KOUSHIROU_A ( 編集-未整理 )夢日記-再収録

2011年12月6日 - ふしぎな学校

婦人Hと(私は)あるところに向かっていた〔このシチュエーションは私には不明。(駅のようなところまでの料金を)そのHが払ってくれたので、「後で私の代金分を計算して彼女に渡そう」と私は思っていた。そこでは(私は)未だ自動的状況に対して気がついてはいなかった。「私」の目的というよりは“彼女”のそれだったのかもしれない。〕
(間隙)
(私は)学校の教室のようなところにいた。Hもその中にいた。S博士〔しかしその姿は、乱れた黒髪、痩せた体にブルーのジャージ。〕「これは夢で、(私は)S博士の教室にいる」と思っていた。(私には)それらはひとつのクラスという印象ではなかった。そこには(今では私と付き合いのない、)婦人O。彼女は背を向けていた。

[昨日私はある“付き合い的な食事”の一回を断わったので、その後のきっぱりとした(気分のない)私の時間には良かったのだろう。読みかけの本に手の指を挟んで眠っていた(私のRATIONメモに引用したW.C.Triplett『帝銀事件の真実』。)
「夢だ」と私が気づいた場面について(少なくともその3回分を)記憶しておこうと思ったのだが、どうしてもシチュエーションとしての繋がりはないようで、夢にストーリーとしての前後関係にはならない。]

〔私が“その校舎の外側に停まっていた(小型トラックの)荷台”を見たとき、それらの印象として、室内にいたまとまりのない者たちの様子から、人影のない薄青い室内との、あたかも別々のフロアにいたかのような面だった。“乱れた髪とブルーのジャージ姿の博士”が正面にあった瞬間、他の画像とそれとは関係ないもののようだった。〕
 その外側にみえた小型トラックの荷台に整然と積まれたように、栄養ドリンク類の紙製の箱などを思わせるものがいくつもあった(だが、それら箱たちのいくつかはそこから運び去られたように、その積み荷の左側の角を欠いていた。) それぞれの箱などに同様に“D”という頭文字の次にカタカナ3文字ほどのその名称が並んでいた(日本の古い“栄養ドリンク類”のロゴマークを思わせる、“エネルギッシュ”“スパート”といった字体のイメージ。たぶんカタカナの“Su”で始まる言葉だったが、何と書いてあったのか、私はどうしても想起できない。)
(間隙)
私の目の前のテーブルに“ラーメンの丼”が置かれてあった。(私は食べかけていた。)ふとその“ラーメンの丼”の具を見たときの印象が一瞬に変わったかのように、再度「また夢だ」と私は気づいた(その“ラーメン”の様子自体におかしな点などはなかった、普通に日本で言う“パイタン・スープに、ネギと麺”が浮かんでいたようなものだったのだが、その分量が突然増減したというよりは、ある一瞬に別の映像に切り替えられたかのような印象。変化はその映像自体の動きではなかった。ただ「あ、また夢なんだ」と私は思っただけだ。)

[たぶん(私は)そこで再度その“小型トラック荷台のドリンク類の箱など”を確認しようと見たのだが、どうしても後でそのロゴのカタカナ数文字分を思い出すことができなかった。それらは光景自体としてはまったく白けたようで(私には)色合いではなかった。人のいない室内の印象も私にはそんな風だったので、私は“薄青い”という言い方をした。私自身の簡素な印象に対しての“寒い”という形容はないからだ。私はそれらを“校舎(その建物)”の内側から見たのだと思い込んでいる。しかし、それらが何かの“サイン”だったとしても、一連の整合性などはない。また、私の要求だったとしても、それらに意味があるとは思えない。
 何度も「その夢に確認しよう」と私が思ったので、夢自体として“応答”したのかどうか(私には)判らない。]

2011年12月7日

睡眠中の(私の)記憶なし。二度目に(私が)私の目を閉じてそこにみえるものを見ようとしたら、一瞬、別の部屋(居間の)一部の“形”だけがみえた(私が私の目を閉じたときにみえるような模様の中に、半ばそれらの輪郭と濃淡の影が浮かんだようだった。)
[両目を閉じたら、夢はすでに始まっている……。しかし、夢がある意識(印象)の時間的反転なら、私の目を閉じて眠る前のものが私の目を開く直前に現れるはずだ。そこで、(睡眠の)直前に意識的に何かやってみる。]

2011年12月8日 - なぞの生首(頭)

大島弓子が一時期の漫画に描かれた女の子のような絵。[私の文書の改訂作業中に浮かんだイメージ。]

次の睡眠の前に、私はこう自分自身に言った。「私自身(夢に)委ねるように意識的夢見を依頼する。」
(間)
ある室内の光景だった。突然(脈絡なく、)その中に、頭をすっぽりと覆ったキャップの前頭(額)に眼鏡が掛かった男の顔のようなものがひとつ現れた。それは古い飛行士のような姿だったが、その白っぽい顔の顎から上の部分だけが空中に浮いたように、動いていた。それは顔の正面(やや太く短い黒い眉毛)を向いたままゆっくりと斜めに回転したような奇妙な動きだった。

[後で、以前の別の夢に現れた“空中移動した仮面”を連想したので(私は)不気味だった。それ自体の幽霊みたようだったからだ。
 そう言えば、(ところで)睡眠の前に両目を閉じていた。何度か、半ば立体的な球状の小さなものたちがそれぞれに一定のいくつかの異なった色合いによって一斉に浮かび上がったようにみえた。それは(目蓋を閉じたときにみえる)通常の不規則なノイズ模様ではなかった。といっても、そこにははっきりとした色彩も明るさもなかったので、あたかも暗い中にわずかに(それぞれの濃度に差異のある)立体的集合みたようだった。
 そのような“イメージ”類は、夢ほどはっきりとした“光景”ではなかったが、ノイズよりも“物の外観”に近かった。]

2011年12月10日 - 3つの工作員

家の玄関に私が戻ってきた、だが、その周りから3人の男が近づいてきた、玄関の戸の前にまで入ってきた、逆に私に何か訊ねようとしていた。彼らは一様に作業用ヘルメット(真ん中に浮いた縁などの部分のある西洋型の)を被った姿だった、(一見)彼らはそこに工事をやりに来たとでもいったようだったが、彼らのうちのひとりが奇妙に図々しい口調でいきなり『1.5センチ×──』と、何か小さな物のサイズについて私に言いかけたので、私は彼らを拒否して追い出そうとした。

[“3人の作業員たち”というと、“ 2011年10月1日 - 小さな光 ”の3人の作業員風の男たちが家の室内に入ってきた、という夢があった。そこでは私にとって“彼ら”は嫌な印象ではなかった。しかし、今回の夢で“彼ら”が言いかけたあるサイズは、何か特定の“仕掛け”のような物を思わせる。後で私は「例の紙札(シール)類の件かしら? それともウォーターゲート事件かしら?」などと、過去に私が使った仕掛けについての嫌がらせが「そのような“偵察員たち”という象徴によって探りを入れてきたのだろうか?」と私は思った。すでに「Yの問題・原典」に私が書いた通り、私が名古屋の街なかに貼った紙シール類(約25mm×18mm)。]

2011年12月11日

夢見の「私」にとって最も大切なことは、シンプルな「私」であることだ。
私にとって、読みかけの本の途中に私の指を置いて休むことは当然なのだから、私には子供の安心感のようなものだったのかも知れない。詰まり、そこには「私」のドリーミングがある。
食事よりも“お金のため”と言うことよりも、そこには「私」の可能性がある。

2011年12月12日 - きみょうな昆虫

勃起したペニスのそれ自体というよりは、そこにふくらんだ空気のような感覚。それは何度か(一定の間を越えてそこにあるもののように再び意識されながら)連続的に発生したかのようだった。
[それは加えられた刺激による感覚ではなく、そこに空気のようなある一定のものがあるといった感じだった。]
(間隙)
木製の支えの付いた単発式ライフル銃。室内で、その銃本体によって撃つときのように構えてそのボルトを引いて戻して引き金を引く動作を(できるだけ素早く繰り返した。) 標準の照準器と、更にスコープも取り付けたらいい。しかし、それは“JFK暗殺用”に違いない。そこで私はそのライフルに触る気がしなかったので、卓の上にそれを置いた。
(間隙)
風呂場にいた。タイルなどの面に、体長10センチほどの一匹の奇妙な昆虫みたいなものがいた。頭と、触覚などと、節で分かれた体の両側に昆虫肢などが出た、薄い白っぽい背中部分がみえた。驚いて(彼は)青色バケツに湯船の湯を汲んで(彼は)それをタイルなどの面に流して虫を除こうとした。だが、(どうしてか)その“虫”はまだそこにいた。それで、その“虫”を排水口に遠ざけようと(私は)何度も湯で流そうとした。(私は)それを殺そうとしていた。
(床)
 けれども、最後にその“虫”のイメージに(確認のために、あえて)私は向かおうとした。すると、そのイメージにおいて、その“虫”はひっくり返って両側の昆虫肢などを上に向けたまま、動物の交尾のような動きをみせた。それで私には判った。

[それらは生殖行為の模倣というよりは、ある古い時期の“動物神経”のようなものだろう。「私」にとってそれらはある圧力のような冷たい衝動だ。しかし(「私」がいるところでは「私」が欲求というものに同一していないので、)それはなにか奇妙な対象としてそこにいたのだが、「私」はその場で気づかなかった。
 昨日私はMEMO-RATIONの記事の方で“トムとジェリー”のタイトルを私は久しぶりに言ったのだけれど、「あれらは一種のエッチ表現だった」という説になるので、直接の黒人蔑視的なプログラムというよりも「一見“ユーモラス”であった」という言い方だ。しかし、例えば“爆発”による真っ黒焦げのジェリーの顔に対して“霊的”と述べた人はほとんどいなかった。だから、ここでは説明する段に、“動物神経”に同一できない(気分的興奮ではない)“代償”の場合だという読み方もあった。
 それだからこそ、あたかも気味の悪い昆虫を始末するかのように、それ自体であることを否定しようとする側の、暴力がある。実際、私は“栄町”というところでそのように“エッチ問題”を打ち消そうとしたし、仮にもっと動物的だったとしたら、かつての夢でそうであったように、絡んでくる男の子たちを(彼は)車道に放り込むのでなく、彼らを凌辱していたはずだ。
 それで、そういうものに対する「発情しないで」という言葉の方が正しい、ということになる。]

2011年12月14日 - 石畳のマーケット

(偽者の私)バスに乗ってある街の中に降りた。[日本の町のようだが半世紀ほど古臭い体裁で、年代が違っていたかのよう。](偽者の私)何かの試験会場に用があった。[私は何かの試験を受けに来たか、その後で街に出たある女の人だったのかも知れない。]両側に車道のようなものがみえた、石畳の通りにまたがるようにマーケットの覆いみたいな囲いが立っていた、(偽者の私が)その中に入ってみた、その内側にも路面のように雑な石畳がそのまま連続していた、あたかもその市場のスペースが大通りの片側車線を塞いだかのような形だった。

2011年12月16日 - 古代遺跡の隙間

その岩に掘られたような通路には非常に狭い入口がひとつあった(見張りの女がひとり離れたところに付いていた。)私は一度その隙間に私の体を忍び込ませるように入れてみた、ちょうどこちらの胸と背中の幅しかなかった。その奥に別のスペースがあると私は見当をつけた。
 私は再度その岩の間に体を入れてみた。私は立ったまま真横に体を動かした(ぎりぎりの隙間だったので、そこに詰まったように)くぐり抜けた。[その隙間自体2メートルもないほどだった。中には幅1メートル少しほどの床面のある通路が3メートルほどの奥行きだった。(私は)薄暗い古代エジプト遺跡をみたようだった。]私は床をみた(そこに納められていた遺物などの目録か、“女王ハプティクの頭部(遺骸)”などの名称が浮かんだ。) 入口のそばにいくつか大小の立方の箱が置いてあった、私はぞっとした。その奥には直角に少し折れた回路があり、そこからもうひとつ平行した通路があった[元の入口に近いところにつながった回路。] そのもう一方の側に入ったとき、私は薄暗い中に床一面に無数に描かれたような線画をみた(遺跡の画というよりは、漫画少女の練習の跡みたいに、大雑把な黒い線描によるいくつもの横向きの女性の顔があった。それらは同一の絵だった。それらには傾斜した2つの線の間に、縦長の丸があった、それらは目の部分を表わしていた。)
 私は一巡してそこから出た、岩の中にくりぬかれたような傾斜した通路の上に、[近代的な]部屋があった。そこに男がひとりいた、彼は地下遺跡への出入りを私に禁止したように言った。「私はその中に入ってみただけで、それらを傷つけてはいない」と私は言い返した。

2011年12月20日 - 顔のないルームメイツ

寝具の状態が居心地悪かったので、私は気持ち良く夢を見るための体勢を選ぼうとした。私は「私」以外の“妨害者たちの私への不法侵入”を一切無視したまま、どのような邪魔が入っても「私」の実験に集中しようとした。

私は夢の光景をみた度に一所懸命に「次の夢に対して、私は夢とみる(決して夢自体に対して私はぼんやりとしない)」としていた。しかし、何事も後からの追及ではそこに「私」はない。あらかじめそこに「私」がいないなら、それに対して明晰と見ることが出来るわけはない。

目の前の空中に設置されたかのような、プラスティック製の白い本体に青の部分などが付いた何かの器具がみえた[その左側に取り付けられたような部分は現代的な小型サブマシンガンの外観を思わせた。一見、SF映画に出てくる宇宙船の形のよう。(私の)視界にその全体が見えていたわけではなかった、その見かけの長さは1メートル半から2メートルくらいだった。映像としてはそれきりで、そこには私に説明的に見えるものがなかった。それ自体にある言語だと私が思ったら、左側をみるための“検査銃”か? “赤”などはなかった。白と、青というもの。]

ある小さな個人室内のような印象が(薄暗いところに)あった。突然、「夢を見ている」と私は気がついた。その途端に光景自体がはっきりとみえた。私はその室内に立っていて、そこからやや斜めに向かった壁に黒いボードのような物が掛かっていたのを私はみた[その下の端に英字3つほどの太い淡いプリントみたいなロゴ、その一点について私は焦点的に確認はできなかったので、綴りを覚えていない。] 私の体の前に、椅子に掛けたような若い男の後ろ姿、その後頭部があった。右側の隅には若い女がひとり[私にはその姿の何も見えなかったが、私の側に向いているようだった。] 私はその若い男の両方の肩に私の両手をかけて(私は確かめようとして、)こちら側に回した。だが、その途端に光景自体がみえなくなった。そのとき(私はまだ室内に立っているようだったが、私の両目を閉じたような状態で、)急に私の右腕と股間前部に何か押されたかのような部分的感覚があった。(私がその“部屋”をみたときから、伴奏付きのメロディで「ララララ~」と歌う女声の歌があった。私にはどのシンガーのどの歌と特定はできないが、それは一般的に放送される類いの普通の歌曲の旋律のようだった。夢の終わりに流れた曲のように、それは続いていた。)

[17時過ぎ、起床直後に歩きだしたところで私の体に麻痺したような感じがあった。その前の、私の股間前部に押されたように感じたときの丸い範囲に起こった感覚は妙だった。右腕の方に続いて、ペニスの辺りの位置に15センチメートルくらいの円の範囲にだけその感覚が一定一瞬に起こったかのようだった。しかし、ペニスの勃起のときの感覚とこれとは違った(勃起はそのとき無かった。) むしろ、そこで尿意があったのを私が抑えていたことの原因だったかも知れない。]

[私が上記を書いた後、私はこの記録のファイルをアップロードするためにあるネットカフェにいた、そこで私があらためてこの記録を読んでみたとき、その「私の体に感じた」と記された部分に、私は驚いた。その“感覚”について書かれた部分が、私にはまるで私の子供時代の尿失禁(おねしょ)の再現だと言ったように思えたからだ。それは“体のある部分を押さえられたような感覚”だったのではなく、私が寝ていた間の失禁またはそれを抑えようとしたときの記憶だったのかも知れない。しかし、私があらためてその記録の部分を読み直すまで私はそのことに気づかなかったわけだし、それが直前の夢の“室内”の光景などと関連していたのかどうか私には不明だ。尿失禁(夜尿症)があったことの直接原因がそのような不気味な夢にみたものによるのかどうか、親たちからの問題だったのか、そのとき私本人だったからなのか、私には未だに判らない。
 前に“私が尿意を抑えていた”と私は書いたが、大便の場合と同じで、あたかも私は“飛行機内のお客たち”を連絡通路の直前に留めていたに過ぎない。]

2011年12月24日 - 自覚夢への試み

私はただ「夢見の実践」として純粋に実験を進化させるためにだけ生き残れる。最終的な「私」の可能性はこれだけだ。ようやく私のスタート地点に戻った。
 昨日私は携帯端末に付いていた暗算テストのプログラムを繰り返しながら「夢で夢と気づくための訓練」と私は言っていた。しかし、これまでのように、偽者の私に“意識的に”と言っただけでは、何も始まらない。他人の本を読むようなことで、それは私には「私」ではない。私が本物に意図しないなら、私の夢見は起こらない。
 私は今日、緊縮した体を解き、私の体の一体感とうちの一点に光を取り戻そうとした。これこそライト(光)だ!

2011年12月26日 - 私は跳ね返す

ある古い地域地図のようなもの(名古屋のどこか。漢字三文字ずつの固有の町名などがいくつもあった。) ところどころに住宅のある淋しい土地。
 砂地以外に何もない場所に、小屋が3つ、それらのうちの真ん中のひとつが少し大きい。その正面からの風に煽られたかのようにそれらの小屋たちが一方の辺を地面につけたまま(ウィリー走行みたいに)青いトタン板みたいな底をみせて半分浮いていた。

室内オフィスのための研修会の模様か、何名かのビジネススーツ姿の男女たち。その全員で、各自のための折り畳み卓などをそれぞれに用意した。一列目の真ん中に“経理担当”の女性ひとりいた(私はその名を思い出せない。)
 小菅(Kosuge)という姓の、気持ちの良さそうな社員風の男性がひとりいた(青っぽい色のジャケット姿で、黒髪は自然に7・3分け、健康そうな顔の好男子といった印象。) 彼と私は話しかけながら室から区切られた小さなスペースに入った。そこで私は持っていた30センチ幅くらいの封筒を開いた。その底にモノクローム写真プリント1枚と、いくつかの小さな紙切れ等が入っていたのがみえた(たぶん全員が一人にひとつずつ持っていた個人用プロファイルの封筒。)
 どういうわけか、私の妹の昼食内容について小菅(Kosuge)さんは私に訊ねた。(小菅は私に訊ねた、私の妹の昼食メニューは何だったのか、と。)
[それは“研修会”というには目的のはっきりしない子供たちの単純な印象だった。小菅(Kosuge)という名について、私には何も心当たりない。]

一瞬のイメージ:窓の外、夕暮れのあかりが照らしたような集合住宅の姿(角度として言ったら、その視界の左側から50度位。) 室内の窓際にいくつもの化学実験用のガラス製の器具類などと、その前に黒いダイヤル式電話機みたいなものがあった(学校の理科室にみたような印象。電話機は最初は1台または2台だった。)

[途中、睡眠の合間に「私の胸を虚弱にしない、酸素不足を解消しよう」といって私は私の体に通気を楽にした。淀んだ毒気を吐き出し、楽に通気をする。後半の夢の2点を私は記憶から記録に移すことが出来なかったのだが、先の呼吸を再現したときに“履歴書”の絵があったのが思い出された。]

空欄に「静(Shizuka)」の字がひとつ入った、履歴書フォーム右側の切れ端みたいなもの。[通常漢字文字では“静(Shizuka)”の字は、“青”に、“争”の旁(つくり)だが、私がみた“静”の字の一部分は“過”という漢字の旁(つくり)の部分のように書かれてあった。その書類の直線の入った辺と不規則に破られたかのような縁との間に、細いペン字のようにその文字が書かれてあった。その瞬間、切れ端の複写されたものから引いたようにその全体がみえたが、他の欄の書き込みについて私は何も読み取れなかった。]

(室内にいたY、Aなど、何名かの、昔の私の高校同窓生たち。この部分は私には最も“夢の自覚”に近かったのだが、たぶん「自分がそんなところにいたのはおかしなこと」だったので、私は夢だと思った。それらがすべて“自分”だったと元から私に判明していたなら? けれども今日のほかの夢などよりも私の記憶にならない。)

家に私の妹とその息子たちが来ていた。私は室内で何かビデオをみていた。冷蔵庫の中には、私が用意して何個か置いてあったバナナ&チョコレートなど小さなカップ入りの菓子類。

5枚ほどの板で全面的に内張りされた小さな通路か室内スペース(軟らかな緑色がかった、) 私がそこに座ったときその板の感触があったが、その厚さはせいぜい5ミリほどだった。
[日本語原文の表記では、私は“センチメートル”“ミリメートル”などの単位を省略して書く場合がある。なぜなら、夢でのそれらは何も1000分の1単位の測定の問題ではなかったからだ。私が説明的に言う場合には、それ自体のものとしての印象は“細分された刻み”といった観念ではない。]

2011年12月29日 - 夢とヴィジョン

「私の純粋な夢とその場にあったかのように聞こえた“言葉”などは直接関係ではなかった」と私はみなした。あたかもある映画の画像とその音声とが直接の現場での発生ではなく、それらが互いに意味合いであったかのように関連づけられていただけだというように、いくつかのレベルのものがひとつのソースとして同時にそこにあったと誤解されていた部分があった。

 連日「また夢で夢だと気づこう」と私は意図しようとしていたが、睡眠不足のように疲れがあった。“集中と拡散”の繰り返しでは、どうにもならない。「私は外的考慮を一切断わって、またひとつの光になるだろう」と私が言えるなら優しい。
 私は夢見の記録のために録音を用いたことがなかったのだが、夢の直後に私の手でメモ用紙に書いたりするのが面倒なので、私はカセットテープを使うことにした。その最初に私が録音した私の言葉は、「夢に現れるものについて、その外見ではなく、ひとつひとつの概念としてはっきりと見ること。」

 昨日私は意識的にいくつかのイメージをみた。ただ「ここにあるように」私が私の視点を消さなかった、(眠りに私が消えてしまわないように、)見ていただけだ。(その浮かんだイメージにおいて)岩の壁みたいなものに近づいていった、[そこではまだそれが両目を閉じたときにみえるようなものだった。]そこに丸い穴がひとつ開いていた(その厚いひとつの壁、)その向こうに、いくつもの人影たちのようなものがあった。それらに対して私は何も気持ち悪くなかった。自動的な絵が浮かんだという印象だけで、私には意味合いもなかった。しかし、ある瞬間(その浮かんだイメージにおいて)そのように何かに近づいていったところで、まるで水の膜と薄い覆いがひとつずつ落ちたかのように、夢に近いものがその“岩の穴”のようなところに現れたといった印象で、私にはちょっと意外だった[そこにはそれ以上の変化はなかった。]
 その二重の膜がひとつずつ払われたところで、「夢に近づいた」と私は思った。
それは睡眠中の最初の夢の始まりに近いのかも知れない。しかし、意識的に見ようとしてそうして自動的に発生したイメージとして観察されたものは、純粋の夢レベルではなかった。また、これはモンフリ氏の2004年の面白かった“能動的想像”描写のそれとは違って、「それ自体に私が何かしてみよう」という言い方ではなかった。「夢だ」と私が気づいた夢においても、ほとんど“加工”したことがなかった。私には“異性の体”の不可能性なので(本当に触れることができない、)手を伸ばして触れるように掴むということは、自分自身への虐待のようだ──それは一体何なのか?

2011年12月30日 - 恐怖とシルエット

ふと夜道に振り返ってみた。そこにいつのまにか人影のシルエットがあった(同じ方向に近づいていた。) 駆け出しながら(私は)前をみた、(私の)すぐ目の前に、真っ暗に長いストレートヘアの女の影のようなものがひとつ通り過ぎた。まっすぐな一本道のように、その向こうの右側に金網のフェンスみたいなものだけが続いていた。ちょうど対向に男の影がひとつ、(私は)速度を落としてその路の左側からその男にみようとした。男は背丈があった(というより、こちらの視点の側が子供のようにそれを見上げたかのようだった。) それはフェンスの前に立ち止まった。そのシルエットの左に向いた頭に、煙草パイプ(丸く大きい古風なもの)と、額の位置の前部に丸く出た帽子のような(古い西洋型を思わせる)影にみえた。

[人影のようなそれらは、どれもくっきりとしていた。だが、最後の“影”の古風なスタイルがどこからの発生なのか、私には判らない。私が以前に記した“シルエット”という夢では、その瞬間「これは夢だ」と私は気づいていたが、今回の夢だった場面では、依然(それ自体の正体を見ることが出来なかった)弱いプリズナーのような状況だった。]