これらの物語に於ける“ 盟友 ”的体験というものは未だ消化されていない。焦点する部分(が盟友そのものなのかどうか?)
- 夢見の実践ファイル(今夏予定:)“ 夢見の技法と能動的想像(アクティヴ・イマジネーション)”前文.,

(1)
 目立たない本?
[ このまえ先に参考図書2扱いとしてしまった“ 24時間の明晰夢 ”のと,同じ点描図版等がそれにも使われている。まるで監修役がいないか時間の足りないまま何冊かに渡って少しずつ付け足されたメモみたいに。]
内的な“ 協調 ”のための外的説得ではなく,ある“ 夢-身体 ”自体の動きを(好悪の評価無しに,身体症状として)表出しようというプロセス体験の理論と実践(の模様?)が繰り返しちょっとずつ述べられた。
私は夢見についても私自身経験的に記してきたこともあるが.,“ ドリーミングボディ ”という観念に関して“ POP(プロセス指向心理学)”にそのミンデル著書等を辿りだした処,彼の説いた“ プロセスワーク ”と“ ドリーミングボディ ”という観念とは別物だという印象になった。
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ミンデル著書等に於いては,“ ドリームボディ ”での先ず象徴概念的な定義と理論づけが,後期の本ではそれらとは示されていなかった。それらがユング心理学からの古い通り道であったのだろう(一時期フォン-フランツの“ おとぎ話にみる- ”など,横たわるオシリスが表紙絵の“ 夢とシ ”だったか,私はもう読みにくくなっていた。ある晩,街頭に立ってその一冊を声に出しながら“よむ”努力してみた。その場では読み通せなかったが,チャンネルが違うからか,ぜんぜん憶い出さない,- 憶い出れるか,自体?)
たとえだれもが“ 夢 ”をしっているから“ ドリーミング ”という語の扱いについて説明不要だというのでは(それらの一冊だけを読んでみようとしたという読者にとっては,)その元の根拠が不明なままとなる。

ミンデル“ ドリーミング ”に関してその要件が表れている記述等のひとつに,“ プロセス指向心理学( River's Way )”関係チャンネル等という章節が遇った;
..ドリーマーが夢を語る際、夢を解釈する側は通常、ドリーマーに対する反応を持つが、それは、夢人物がドリーマー自身に対して向けた反応なのである。こうした反応は、夢が語られる前にも、その最中にも、そしてその後になってさえも生じる。..
..セラピストがクライアントのダブルシグナルを意識的にピックアップできなかったために、自分の反応がどこから来ているのか、気づかないで反応して起こることを指摘しておけば十分だろう。..しかし、ダブルシグナルが伝わらないほど離れた距離においても、人がドリームアップされるという、ある意味で超心理学的な状況もある..
(“ プロセス指向のドリームワーク ”にも,夢見手と夢の解釈者とが同一“ フラート(自身の注意を惹くもの,焦点の対象)”を同時にみる場合がある,という簡単な言い回しが遇ったが.,そこでは単に同一者に於ける内からの動きと視点との問題として述べられたかのようでもあり,超心理学的な見方ではないという言い方ともみえるが-?)
たしかにミンデル版“ ドリーミング ”は動的だと思われる。が,例の“ 小さなあなた/大きなあなた ”という図案化したような捉え方や,そのアーニーの(対人的な関わりの)筆跡は私のような独身的な読者には合わないだろう,それらの読まれにくさが遇った。
それら主要項目ひとつひとつの詳述について一冊毎のまとまりが無かった為に,あたかも散逸したかのような,まるでアーニー自身が(2000年前後までのその著書等に於いて)その本流を持てなかったひとの,より上手い展開図にならなかったとしたら,残念[- もし私が輝かしいツリーの暗い一角であってその天頂星ではなかったとしたら..? ]

(2)
 わざわざむつかしくするひと?
アーノルド・ミンデルもカルロス・カスタネダ著を曖昧に用いて“ ドリーミング ”を説こうとしたが,例えば“ 盟友 ”というその呪術師ゆずりの語について見ると(以下,下線は私に拠る;)
..夢や日常的現実に関する情報を収集するとき、ドリームランドや日常的現実に於ける、ある夢人物や状況が夢見手にとって支えになっているのに気づくことがある。それを覚えているなら、そういった夢人物や状況を特別な援助者や盟友として物語の中に使うこと。..
;といったように,単なるメンタルサポーター役としての“ おともだち ”化という意味合いのよう? [ -但し,この原稿は私が未だ“ シャーマンズ・ボディ ”を視ていないうちに書いたので,おそらくこれへの書き足し(3)から私への修正点等が必要であろう。]
私にはこれはカスタネダの述べた“ 盟友(非人間であり,力の感覚としての)”とは違う。なんでもかんでも“ ドリーミング ”と称したかのように,別ワード等に集約していたのでは?とも思われる(ミンデル名でのそれらは時々一見新しい語でリサイクルされたか,その都度に異なる説明がひとつのワードに項目化されたかのような相違点がある。)
その著者の文質が上手くないということもあったのだろうが,先ず私のようなオリジナルとしての夢見者にはプロセス指向ワークという関係性本意の方法論が需要にならなかった(目に着かなかった.私にとって読む価値があったのは語りかけではなく,直接体験だけだ。)
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無論,心理療法の-という眼点で読まれるとしたら,たとえのその著にも“ 注意を払われるすべての事象はシンクロニシティ(共時性)の可能性であり,いついかなるときにも起こるので,散発的なのではない。”というような観念の問題が,どうして不可解と言われない?と不思議に問われなければいけないのは当然である(;より個性的で在ろうとするひとの‘ 夢見 ’が,“ 社会性 ”に協調しなければいけないという理由は無い。ミンデルはなんでか自身が社会的問題に関係しているかのように言ったようだが.,私は‘ 夢見 ’を社会的に問うような関係したさは逆に“街の悪(わる)”というメンタルパーを増長させるであろうと,今更ながら警告する。私の日記本編-過去ログには,“他界”とは無関係に私-自身の自己悪循環に陥ってしまった様子がそのまま書きのこしていた。)
セラピストとしての記述に読むとしたら,例えば(先の参考図書3とした)ユージン・ジェンドリン著“ からだによる夢解釈(あなたの体にあなたの夢々を解釈させる)”のちょうど一見良心的な一文があるので,これに引用してみたい;
横柄な人は,人生の専門家のように振る舞います。しかし,内気すぎて‘いいえ’と言えない人も同じです。そういう人は意見を求められると,とにかく何か言わなければと感じます。‘その質問に答えられるのはあなただけです。答えはあなたのからだの内側から出てくるものです’と勇気をもって言いましょう。
こんなふうに言うと,人に対する力や影響力を自分から放棄するように聞こえるかもしれません。しかし,あなたが放棄したものは見せかけの力にすぎず,実際には人を動けなくするものです。本当の力とは,人びとが自分のプロセスと自分の本当の答えを見つけるのを,あなたが手助けすることなのです。見せかけの力は役立たないし,あなたを笑いものにするだけです。
あなた自身の価値観を混ぜてはいけません。よい考えがあるのなら,それを質問に変えましょう。人が自分自身と自分の人生を探るのを援助しましょう。
..( 5章 他人の夢を解釈する )

 やさしく言ってほしい?
ミンデル著に於いても“(ある夢に表れた)夢人物になってみる ”という視点.,また,今回の参考図書に関して言えば,“ 一瞬のフラート( flash-flirt,自身と関係あるかのような,気になるもの,表れるサイン )に注意してみる ”というその方向性は良い。
[ “ 覚醒夢イメージ療法 ”では,セラピストの提示したモティーフに各自どのような“ 表れ ”が起こるのかを判断とするが,ミンデル著の言った“ フラート ”とは,(予めそこにあってなにか気にかかるものを)自ら注意を向けて見るためのきっかけとする.,反映対象としての“ 表れ ” ]

(3)
 ウンキング-デッド?
[-“ シャーマンズ・ボディ ”ちょうど借りられたのだが,再び予約が付いていた。“ 汚れあり ”というラベル付き。私は今回も最後ページより辿ってみた。]
“ 地域社会に対する新しい見方 ”?;
..周囲の人々は荒野で出会う動物と同じで、自己の全体性に目覚めるようあなたを挑発する精霊なのである。..
ひと晩で読み切って返したい。が,“ 盟友 ”に関する話に着くよりもまえに,またも鉛筆の線引き跡がページ毎に少しずつ,なんでか点々と焦げ痕まで。無駄な消しゴム時間で一旦終了.
[(その文中,ある呪術医たちに拠れば,..“ 普通の人々の世界あるいは精霊の世界、いずれのリアリティにも同一化しないことが大切である ”自覚だと。)そう述べながら,むしろ一々だれかに“ 幽霊(ファントム)”と言いつつしんだかのようなミンデル氏,辛かったのか,狡かったのか( -このまえ私の初めて聴いてみたショパン音楽のひとつ,あの“ 葬送行進曲 ”みたいな不可解. )取り敢えず私は“ 導管の中を行く ”というカスタネダの言い回しが彼の自然だった,と。
..今この瞬間から他者と共に夢を見ることを始めよう。そうすることによって奇妙な人物あるいは逆に魅惑的な人物と思われるだろうが、今のところ自分で自分自身を慰めるしかない。だが近い将来、精霊を無視するために、それに憑かれてしまう幽霊というのは、高い死亡率を持つ疾患と見なされるようになるだろう。
-そんなに,ミンデル。]

The Dreammaker's Apprentice:
Using Heightened States of Consciousness to Interpret Dreams (2001,)
[訳]藤見幸雄 + 青木聡 /他 (2003.)