KOUSHIROU_A7 ( 編集-未整理 )

2012年9月12日 - 羽根と分身

そこは薄暗い狭い通路だった。硬い発泡スチロール製のボードのようなもので一体の羽根があった。[その形としては昔の複葉機の左右一体の羽根が1m幅・9cm厚みほどに縮められた白っぽいボードのようなもので、前部の両端にやや丸みが付いていた。]。そのボードの片面の左右に短いスリップ等が付いていて、私の両手をそれらのあいだに通して握れば、私がそれとともに駆けることによって“浮力”が発生する。私は一度だけ低く床すれすれに“滑走”できた。が、屋外の路上で試してみたらどうしてかうまくいかなった。(そこでは私の仲間のようなある男が一所にいて様子をみていた)。
[通路には何か両側にごちゃごちゃと積み重ねられたかのようで私は通り抜けにくかった。以前私が夢だと気づいた夢の場面での“書類などでいっぱいの書棚等”光源の無い室内に近かったが、今回のそれらはもっと乱雑だった。その夢の場面について、私は“その夢自体に気づく寸前だったのかもしれない”と思った。そのように色々な物品等がいっぺんにあったような場面で夢だと気づかされたことが何度かあったからだ]。

若い外見の日本人風の者たち全員がそれぞれ向かい合わせのデスク等に着いていた。何かのアルバイト作業所のようなところ。(私)歩きだそうとしたところに目の前にいかにも若いアルバイトの男といった姿が立ち上がっていてこちらに向いた。デスク等に着いていた者たちのうちの女がその者を指したように、“~さんのお蔭で税関の係が増えた”と言った。私はなにのことかわからなかったので訊ねるように、“Yさんのお蔭で税関の係が増えた”って? と聞いたままに言った。私はその名を確認する必要があると思って更に言おうとした。若い男は最初Tシャツ姿のように簡素な姿だったが見る間にジーンズ地のハットとジャケットを着けたような姿に変わり、その顔は鼻の穴などをふくらませたゴリラのそれのようになった。[そこに“用-法”という姓を表す漢字2文字があった。私はそれを“ようおか(YOUOKA)”と読んだのであって、どうしたわけか、私がこの記録のメモを付けた時点でもまだ“用法(YOUHOU)”という通常の単語としての読みを思いつかなかった]。

お菓子メーカーの生産作業現場みたいなところ。うちの母がいくつかの作業を“ながら”にしながら、母はそれらのひとつもまともにやろうとしなかった。私はその一つ一つについて“母”に注意させるように声をかけた。ついに“母”はある機械からコーンカップに注ぎ始めたクリームの積層をその場に放り出したかのように離れた。[淡く薄褐色がかったようなクリームと白っぽいクリームとのダブルが途中までのせられてあったが、それらは“母”が手放したコーンカップごと床に倒れたときまったく崩れてはいなかった]。
「私が主任だったら(私は)おまえをクビにしてるぞ!」と私は追いかけながら繰り返し言った。

映画“パイレーツ・オブ・カリビアン”のパロディみたいな(アトラクションズのような)見せ物。[帆船の左側面に、あたかも大きな黒い3重の木製板等の重なりによってそれらのくり抜かれた部分等が段階的に内側により狭い“BLACK SVAN”というネームのようにみえた]。

2012年9月15日 - 小雪

スーパーマーケット。私はある女の子のような心象に対して、“やめないと弾をぶち込むぞ!”と半ばそれに向かって試すように言った。(ほかの者たちも私と冗談まじりのようだった)。直後、暗い背景から“小-雪”という漢字2文字の入ったカードがいっぺんにいくつもこちらに降ってきた。(空中に撒かれた紙札等のよう)。

居間に具合の悪そうな顔のトム・クルーズがいた。私は彼の髪の毛の束を口に含んでいたのを思い出した。その痩せ枯れたような髪の毛ひと束と、何か真っ白いものとが同時に私の口から出た。(10cm分くらいのひとまとまりの髪の毛と、それらとは別の何か形のわからない白っぽいもの)。
[その“トム・クルーズ”を私自身の弱ったような印象だったとみなすということは、白髪まじりの衰えた髪の毛をみたということかもわからない。私の男性側は痩せ衰えている、という見方をとれば、私の女性側がそれを食べていたから、ということだ]。

小さめのアルファベット文字等綴りのように、"VOLA"。
[これは夢というよりは突然浮かんだ広告ロゴのようなイメージといった印象だった。“小-雪”の場合には先ずそれらのカード等が“小雪”自体のように降ったということだとも言えるが、この名称は不明だ]。

2012年9月16日 - 女王の演芸

古い衣装等と“笑いの会話”によって昔の宮廷の陰謀的な場面を演じてみせるエリザベス女王たちの風習。

2012年9月18日 - スイッチなど

簡素なテレビ番組欄。それらの左端に“とんねるずのみなさんのおかげです”のタイトルがみえた。
 ある人のような姿があった。そこでその人は(黒いプラスティック製)スイッチ等の横一列に並んでいたそれらの左端からひとつひとつを確かめるようにOFFにしていった。(彼は連続して4つ分のスイッチ等だけを一つずついったん彼の指で押し下げてからまたONとOFFを繰り返したが、彼はその後のスイッチ等については単にOFFにしただけだった)。それらのスイッチ等は10個ほどあった。私は彼を“先生”と言った。
 女の人のような姿がいくつか並んでいた。私はそれらのうちの比較的身長のあった青いワンピース姿のようにみえた一人の肩に私の手をおいた。私は同時にその横のもう少し背の低い一人とを選んだ。私はうまく誘うような言葉を思い付かなくて、その直前の黒いスイッチ等の話をしながら“村上春樹のお話のようです”と言った。

[私は“先生”に対する偽ものであった。なぜなら“先生”こそ本ものであり、すべてのスイッチ等をOFFにしたようにすべての偽ものたちを消すからだ。私は“村上春樹”の本など一冊も読んでいない]。

2012年9月20日 - 勘違いした国語

“自習の教室”といったところ。題材はある小さなメモパッド用紙ほどの物に書かれた簡単な文章のようなものだった。[それを手に受け取ったが私は読もうとしなかった]。私は彼らに何も評価されなかったのだと思っていたが、彼らが私に“優秀”だと思っていたのを、私の側が一方的に勘違いさせられていたのだということがわかった。

ある女性著者によるカルロス・カスタネダに関するイラストレーション等が主体の本。メキシコ絵画風の色合い。

そこに重なったようにみえた沢山のイカたち。そこでは白い身のイカたちが黒っぽい身のイカたちに触手等を伸ばして捕まえていた(その度にそれらの粘着したような物音)。あたかも白いイカたちが互いに協力して同時に黒いイカを一匹ずつ捕えようとしていたようだ。
 私は私の足に吸い付けられるのではないかと思ってそれらを避けようとした。

[以上のほとんど連続したように思われる3つの場面等の直前にどのような夢があったのか、私は連想的におもいだそうとしたが想い浮かばなかった。“黒いイカを捕まえる白いイカたち”という絵は単純に“黒いスイッチつまみ等がすべてOFFにされる”といった前の夢を想わせる。それぞれに象徴的に“黒いもの”が何で“白いもの”がそれに対する何なのか、私は理解していない。それらに対する“見方”がそれら自体を否定するということもあるが、私自身を“イカ属”とみなすはきみのわるいことだ]。

2012年9月21日 - “タイタニック”

街の夜景にいくつもの爆発した炎と破片等は特撮による映画とその爆発音だった。同時にその制作関係者と思われる男がいた。私は“これらの爆発音はどれも同じ(繰り返し・使い回し)だろう”と言った。
[“これらの爆発(サウンド)”は私自身の他者への批判がいつも以前の繰り返しになっていたこと自体の象徴かもしれない]。

(暗い中に無灯火の6階または7階分くらいのビルディングひとつ)

私の父と(市内バスのような)バスに乗った。他の客たちがいた。後で私は家に隣り合ったスペースのようなところにいた。[ずっと夜景の中にいたかのよう]。巨大な“タイタニック号”の船体が私に迫るかのように立っていた。[それはやや左に向いた形だった。その舳先から船橋そしてまっすぐに立った高い煙突がまるで昔のポスターのイラストレーションのそれみたいにそれらの視覚的な遠近を無視したかのようにその前方にみえた。もし私がそのように巨大な船体を見上げたなら(通常の立体的な物の角度としては)、ブリッジや煙突などがその舳先に近い位置に大きく立ったようにみえるわけはない。それらはそれ自体としての立体的な絵のようではあったが、何も人の気配や飾りなどは感じさせなかった]。
 その乗客がひとりで“室内”に腰掛けたような姿は(男のようにもみえたが)それらは色の薄いブラウンよりも色のない髪と、丸眼鏡のフレームや目付きなどもほとんどわからないホワイティッシュな絵で、その色薄いカーディガンみたいなものを掛けた姿だった。

2012年9月22日 - “先生”と“馬鹿”

[朝、起きがけに時間を確認したら、なぜだか昨朝と同じ4:08だった。寝覚めがよくなかった。夢の最後の場面で聞いた“先生を馬鹿にするな!”の中年男の突発したようなせりふ。(それは一見私に向かって発せられたかのようなその顔だった)。私は“先生”の側ではなかったか? 先生自身が“先生”と呼びかけられない、または私自身のそれを否定していたからだ。
 民主党の野田佳彦(現首相)が党首に再選された。私に対する“反発”も無用な勧誘者たちのそれであった。しかし、純粋な夢でのそのような言葉にどのような原因が考えられるか。私がこれを対人的の場面としてみれば、“先生を馬鹿にするな!”と私に言ったのは彼だ。そこでは私が“先生”という誰かに対して馬鹿にしたようなことがあったとでも言ったような彼の論理だが、私はどの“先生”にも馬鹿にした憶えはない。
 だが、9月19日分の通常日記に“沈みかけたタイタニック”の話として書いた後で、9月21日分の通常夢記録に“タイタニック”の姿が現れたように、これらはうまいこと連投するような効果を及ぼしている。とみることもできる(そのイメージ自体は私が書いたことの意味と直接関連してはいないようだが)。つまり、私がみたのは前日のうちに何か“先生”に関わることを思ったか私の日記に書いたことのどれかだ。 
[この言い方自体は私本位というよりは反転的だった。だから本質としての“もの”は私の文体に表われずに夢に現れたのだ]。
 一昨日の通常日記について言えば、“オバサンや女の子たちの側の私への間違った態度を広く追及できるように”、といった点に該当するものがあったとも思える。無論、夢の目的としてはその日記の結びの部分に私が記した“仕返しの文句などといった逆転したコントラストの原因に肉薄し、それらの対外的といった幻想を除外された、徹底した事実認定だけに基づく記録であればいい。”といった理由だったと思われる。要するに、私への非難の問題は何か? ということよりは、私はそれらを即刻やめさせることを先決と言おうとした。が、私自身の第一人への状況として言うなら、この“広く追及する”という言葉が私への言い方として作用していたわけだ。だとすれば、“それら”に対して“あなたたちは間違っている”と言うことは私を否定していることになるのだ。これらが外的反映された場面では“彼らが先生”のような振りをしたようにみえた。

私としてはそのような“投影”を正当と言いたくはなかった。昨日私はいつもの用事から家に戻る途中で名古屋拘置所の傍の路上に差し掛かり、そこで私は“独り言”の青年が歩いてきたところにすれ違った。その瞬間、その青年が口に発して“英-会話の~”と言ったのが聞こえた。しかし、私はもうそのような偶然の“独り言”の青年を掴まえて何かこちらからの言葉をパロットにしてみようというような動物実験をするのは悪の業だと思った。非道だ]。

2012年9月25日 - “ガラス戸の向こう”

・私が眠りの直前にしたこと
前夜、私の“意識喪失”を防ごうとした(私自身のある“者たち”への心象などを私の代わりにここに置かないこと)。
連想を排除した。“体外離脱”のために頭の中心にリラックスさせること。寝床に入ったとき勃起していた、私はひと皮むいたが射精まではしなかった。(気温が下がって涼しくなった割に)寝床のそばに小さな蚊がいて私の足などを刺したので痒かった。エタノールによる消毒、キンチョー蚊取り-線香4cm分ほど点火して後、しばらく睡眠。

E(昔の同窓生)がいた。私は学校施設か何かの古びた裏門みたいな所にひとりでいた。
広々とした室内。そこに緑色のマウンテン・バイクをみて、私はすぐにそれに乗った。
[90年代の初め頃まで私が持っていた自転車で、私がある晩Eの所へ出掛けていたうちにそれは地下鉄志賀本通駅の東側の中華料理店の前の駐輪-帯から盗まれたように消えてしまった]。
私はそれに乗って素の板張りのような室内を回ったり板壁の一部のわずかな段差の上をまっすぐに動いたりした。
ふと、室内に引き戸の上半分に紋様ガラスの入ったようなものがみえた。[ その面は一般に擦りガラスではないが一面の紋様によって向こう側がまっすぐに透けない ]。黒い、何かの影がそこにあった。これは夢なのだから、それは私自身の何かだ。私は私の左手を伸ばしてそのすべての指先をガラス面に付けるようにしてそれを通そうとしたが、触れたら案外リアルなガラス面の感触だった。それでも私はその向こう側のものを掴むためにこれらの指先をまっすぐに押し付けた。それらが“ ガラス ”に押し通り、私はその面自体を2つに裂いたかのようにその向こう側の何かを私の手に掴もうとした。[ その瞬間は暗がりでのことのように、“ 視覚的な絵 ”ではなかった。私の手に掴まえたものは( 姿は見えなかったが )ネズミか何かの生き物のように繰り返し前後に素早く動いた。実際、寝床のある室内のそばにネズミがいて動き回るような音が始終あった ]。
 それらの夢について後で記録にするためにメモを付けようと、私は室内のどこかにあるはずのケータイを探した。私が拾い上げたのはやや安っぽいメタリック塗装の古いPHS電話機の本体部分( 本来フラップの液晶画面側であったはずの部分がまるごと取れてしまったかのように無かった )みたいな物だった。

[“紋様ガラス”での体験については“擦りガラスの向こう側の子どもたち”といった以前の夢が思い出される。“MTB”といえば“公園施設での浮上”といった“勃起・体外離脱的体験”との関連で参考になりそうな例もある。(夢でのこころみとしては窓のある障子戸のようなもの、その向こうの暗がりから何かが近づいてくる。私があえてそれに近づいて覗き込もうとした。の場合に似ている)。しかし、いずれの場合にも、私はあえてその戸を引いたり直接その向こう側のものをはっきり目に見たりしようとはしなかった。どうしてもいきなり“それ”を見るには怖れがあったのだろう。私は今回は“これは夢であり、そこにあるのは私自身の何かである”と思った。私はその場で恐いとは言わなかったのだが、むしろ私には“ガラス越し”でなければそれらはみえないといったような逆の論理みたいだ。
 今回の夢での特徴は、“物品等”がすべて私の古い記憶に基づいていたかのようにみえた点である。“室内”の様子は私の居室とは違ったイメージだった。後で私が“壊れたPHSのようなものの部分”を私の手に取ったときにも私の居室のイメージは完全ではなかった。ただ、その“PHS電話機の部分のようなもの”の外観も私が10年前に使っていた物のそれよりもサイズが長かったし、それは私の記憶通りでもなかった(私が持っていた機種が車-道で踏まれて壊れたことはあったが、実際には一度もそれらのフラップ可動式の部分が外れたことはなかった)。
 もしそのように“物品”としての大きさの違いなどに“勃起したペニス”象徴のようなものだと見れば、(それは一方の端の部分に“丸く、フラット面から一段高くなった部分のある”ものだった。しかもその出っ張りの部分にはジョイントの跡などは無かった)。が、単純に外観的な似姿というだけなら、それが“ベッド(寝具)”の形または連想だったという当てずっぽうにもできる。それらは“通信機器”としての働きではないが、夢見においてはある機能またはその遺跡としての再確認(手段と目的)がある]。

2012年9月27日 - 夢自体の光景

・私が眠りの直前にしたこと
畳の上でいったん4時間ほど眠ってから私の体の冷えとともに目覚めて、私の自室の寝床で布団に入った。階段にネズミの足音があってうるさかったし、それが私の顔のところに来るかもしれなかったので、キンチョー蚊取り-線香4cm分ほどに火を着けて後、(前日記したように、)私はなるべく寝床に体を楽にして私の頭の中心にリラックスできるようにした。

私の頭の中にあの“ ある高さの音 ”が急に強まったので、私は普通に寝床から起き上がるように起き上がった。その時点ですでに室内の“ 光景 ”があった。私は窓側に近づいて簡単に通り抜けようとしたが、なぜだか物理的な“ 抵抗 ”があった。私は通るために“ 私の体 ”を押し付けてみたが窓の部分に溶け込むこともできなかった。そこで、私は“ 両腕 ”の肘から先だけをまっすぐ前に伸ばしたように、それらの指先だけをガラス面に付けてみた。( その瞬間、擦りガラスに部分的な紋様ガラスの部分等がみえた )。両手の先がそれらを通ったので、私はそのままガラスを抜けるように外へと出た。私の体がやや倒れかかるように下りた瞬間、( そのすぐ下の路面に雨上がりのようにいくつもの水たまり)に私の片足を着地したように楽に軟着陸した。
 そこから普通に住宅地の通りの“ 光景 ”がみえた。私は“ 光景 ”を確かめるためにぐるりと一回転するように見回してから、ある一方向のそれらにおかしな点がないかどうかと見つめた。その通りの左手のある家の2階部分のひとつ窓に灯りがみえた、私の部屋だと思った。その数軒の家々の先の( 視野の真正面に )正面向きのひとつの家があった。その屋根の上に、何かの通信アンテナみたいなものが立っていて、その直に立ったものと屋根との間隔にいくつかの短かめの平行の部分が何本も付いていた( その“アンテナ”の長さはその家屋の地面から屋根までの高さかそれ以上だった )。

[だが、ここで重要な点は、それらの“光景”が実際の家々の外観などとはまったく違っていて見覚えもなかったのにその場で私がまったくそれらに気づいていなかったことなのである。無論、私がいた部屋には“灯り”など灯っていなかったので、“灯りのある窓”という表現にはより心象的だった場合かもわからない。
 私には昨日のインタヴにも“明晰夢とは何か”という題で書いてみようとした点があったので、そこで私が述べたことから今朝のこの“夢”にどう働いた部分があったのか参照してみてもらいたい。このような“夢”は今更意味的に読み解かれる必要もなく、夢自体としてみられている(私がみる)ときにそれ自体に対して同時に比較的判断を下すことはできない、といった私自身の言葉がそのままの場面だった。
 以前の夢での“紋様ガラス”がこの夢では“擦りガラス”の部分部分になっていたかのような点が面白い。なぜそれがその場で“擦りガラス”である必要があったのか? 本当は何も見えなくしたかったのだろうか? それともそれらはある“可能性”の度合いを示していたのだろうか。そういえば、私はこの夢の直前や最中には“勃起”していなかったようなので、そこに身体的な意気を感じなかったのかもわからない(物の抵抗)]。

2012年9月30日 - 暗がりの児

暗がりの中にひとつの幼児のようなものが何かに慌てたようにその両手をばたつかせていた。私は私の両手でそれらを止めるように触れた。そこから幼児のような声で“センリフを貼っておけばいい”と私に言ったのが聞こえた。私の背後の通路から、突然茶髪とピンク服の上下(ジャケットと膝丈程のスカート)の婦人のような姿が来たのがみえた。私はその場から逃げるように幼児を抱き上げたが、すでに私たちは見られていた。(そこは2階屋の木造廊下の部分のようだった)。

[“幼児”にも“婦人”にも、それらの顔はひとつもみえなかった。私はその場では気づかなかったが、“暗がりの中にいた幼児”は、以前の自覚夢での“ガラス戸の向こうの影”のひとつの正体かもしれない。その声は私の妹の末っ子の一時期(3才頃)の年不相応の喋り方を想わせた。私は彼に向かって直接“パロット”とは言わなかった。私は“センリフ”を“線リフ”と聞いたが、どのような由来か私には見当が付かない]。

ごく小さな牛のような生き物がいた。それは興奮する度に赤い消防車のような姿に変わった。(コンテナートラックの台車のような部分に左右に反り上がった半円筒の檻のようなものが乗った形)。それはやがて体の一部を切除されることになっていた。
[そこにあった暗い体は“吊るし切り”という連想のためかある種の魚類にも似た形だった]。
たとえその一部でも神経の繋がっているところを切られるのは痛いだろう、と私は思った。

ある女が私に“南洋の海”みたいなところへ泳ぎに行こうと言った。
 何かの施設への入口ゲート中央に警備員のような者たちの(小さな平べったい円筒形の詰所のような)横一列の窓等の並んだ所があった。彼らは皆白人の姿だった。(私は)彼らのうちの一人に“ここの従業員の数は?”と訊ねた。すると彼は“5人だよ”と彼ら自身について言ったように答えた。(私は)“全従業員では何人?”と訊ねた。
[が、私はどのように“聞いた”か覚えていない]。
 ある女が私に“南洋の海”みたいなところへ泳ぎに行こうと言っていた。
[同時に私はそのいわゆるブルーグリーンの浅い部分と深い水のようなイメージにおそれていた]。