参考図書2: 24時間の明晰夢 夢見と覚醒の心理学 / アーノルド・ミンデル( 覚醒中の夢見: 24-時間 明晰 夢見のための手法 )

明晰夢または覚醒夢というワードで括ってみたところ,なんでか24時間の明晰夢タイトルだけがトップページから並んでいるような状況が多い。(このウェブサイトはプロっぽいのかな,と読みかけてみたら,既製シューのおしえ?といったように,先ず本当に個人根拠的と主張できるような‘ 夢見 ’専門のテクストが見当たらない。)この夢見の実践みたいに明晰夢での検訂上1ページに出ない場合もあるだろうが..
ドリームボディー読んでみようとした処,(ミンデル氏の“ ドリームボディ ”とは,身体感覚そのものからの夢の身体化という意味ではなく,夢内容に反映される,症状の問題だという。)私は夢見に関して指南本の類いだと思えば先ずさわらなかったので,このまえ空席椅子が象徴の表紙絵ではなかったのかな?と不思議だった。[ 付: 参考図書4- ]
私の前1ページで紹介した,ロイナーに拠る“ 覚醒夢イメージ療法 ”では,クライエント自身がなんらかの象徴的な表れや変化に,意識的な“ 防衛 ”を避けることができる,という利点が示されていた。あとで睡眠中にみるだろう“ 夢 ”に解決策を依頼するという方法が,必ずしもその直後に上映される保証は無い。その場的に判断され易いという意味でのスムーズさだというが,その著者たちはイマジネーションに対して子ども自ら攻撃的な対処に出るようなやり方にはさせない。)
その本自体には効能よりも一般向けの概説に割かれすぎるという障害ゆえ(本質的には良いパートでも,通俗的なアナロジーや中途半端な図版の為に反って粗雑にしてしまう.特に,該博さは読者を遠避ける。)実践面としての体験的要素の示しが弱いのは残念な点。
[私は今回その本を“ ジェネラティブ・トランス( スティーブン・ギリガン著 )”と同じ書棚にみた。私にとって要なのは“ 24時間 明晰夢見 ”というその題である。]
その著者ミンデルは“ センシェント(?)”という語で表される概念を説明している。老子の“ ぼんやり ”,呪術師ドン・ファンの“ 統制された放棄 ”など,“ 周縁 ”に自動的に意識されているものが,明晰なドリーミング覚醒のための表象とみられる?
[ 私は私の独自に“ 夢自体の論理 ”という見方に至り,意識的に原因を辿るとしたら“周縁化” するような分離にはしない(;以前私の日記に最初リチャード・バンドラーたちのNLP本から引用した“カリブレーション”に関しての部分がある,, / 2019-08-04-;夢見の心理 -以後.)それもカルロス・カスタネダ呪術師の“ 視野の中心よりも周りで視るんだ ”との関連みたいに言われていたようだ。
私は6面色キューブを触っていた頃に,私がそれ自体のロジックとして理解していなくても偶然6面色を合わせたり“できる”と知っていた。なぜなら,解法なくても(たぶんおサルでも,)単に“その同色面を素早く合わせて戻す”という目的が最初に見本として(ある意味“神”として)示されていたからだ。
本の1章目,ミンデル氏が在野-老人から“(いま街の中心となっている所)あそこはドリーミングが最も強い場所だ ”と聞いたように,もし外在的な到来という意味合いでないなら,私おそらく“ 力の感覚 ”そのものだといっただろう(外来的な同在)として。“ 外在的な到来 ”であるとしたら,一見“現象”と写るだろう。
私にとっての(以前)あの夜道やその墓地が“独特の夢-空間”であったとき(“これ”との対象であると感じられるときに)それらは“生きていた”]

ミングルと0(ゼロ)?
ミンデル氏は“ 小さなあなた/大きなあなた ”という部分的/統括的な見方として呼び掛けた(その同一化による差について?)だけれども,いわゆるコンプレックスとの対立的なものが‘ 私の ’軸とされる場ででは,決して“それら”に包括する作用にはできない。それから,ミンデル氏の文中に,観念と出来事は‘もつれている’という言い回しが遇った(“エンタングル”という片仮名ルビが振られてあった。)?私はその単語entangleのために英和辞書をめくった。その語韻には“ミングル”という連想だが,私やはり憶い出せなかった。その“mingle”との間ページに,偶然“ tangelo ”というふしぎな呼び名のような単語が遇った(-タンジロウ.)いずれにも私は語源を知らない。]

個人体験に特化する( 意識と明晰さ:)
そのひとの章節自体に“予知のプロセス”に関する教え的な書き出しが(唐突に)遇ったり,私としてはその文節のいきなりになんのことか判らない(-ミンデル氏のその本は量子理論かなにかを併用していたが,反って雑多な,ちょっとずつ安い体裁に収めたかのような.. たぶん先ず“ センシェント ”について理論と実践を一冊分にもっと丁寧に述べた方が良かったのでは.. )
[私自身,一時期よくあった“ 数秒まえ予知 ”みたいなことについては未だ説明が付かないままなので,私はただ記録するに留めた。]
(その本での章節-構成には要編集-が,特に説明不足と問われるような)その著者の一例として,そのパートナーとのジョギング中(不思議)体験が書かれて遇った[部分的編集;]
..私たちは走りながら夢について話し合い,それぞれについて話していた。上り坂を走り始めたところでエイミーは一息入れた。そのとき突然、私にちょっとした衝動が沸き起こった。その衝動は余りにもばかげていたので、私はそれを周縁化した。しばらくして周縁化したことに気づき、私はその衝動に従ってみることにした。私の衝動には、エイミーの頭から何かを引っ張り出そうとする傾向があった! 私はその衝動に焦点を当てていった。私は彼女をよく見た。しかし、何一つ見つけることはできなかった。
私は彼女の頭から何かを引っ張り出したいという衝動に焦点を当てた。それについて彼女に話してみた。「エイミー、申し訳ないんだが、君の頭から大きなプラムを引っ張り出したい変な衝動に駆られているんだ。」
彼女は大笑いして走り続けることができなかった。彼女が忘れていた昨晩の夢に出てきていたと言うのだ。その夢で彼女はプラムと遊んでいた。

..ここに言い直せば,もし‘私の自己-強制コントロールを無くしたらなにが起こるか?(逃避しないですべてに意識的であること)’だろう。しかし,このやり方も(一応“ 焦点 ”と述べてはいたが,)いわば消極化であって,例えばスタンリー・クリップナーたちの“ ドリーム・テレパシー ”に於ける思念-動的な発信実験とは対極であるというべき。(エイミーがその“ 夢 ”を忘れていた,というのが本当なら,どちらかの意図的な注意集中ではない。ここでは“ 能力研究 ”に於けるワシリエフやテレパテマに関して敢えて言及しないが.,その“ 表現 ”自体なんの関連が?)
センシェントな領域に対する明晰さを持ち,同時に各部分を意識すること。という,観察的-明晰さであろうから,無意識に受動化されたのではないだろう。

..
ところで,私は“あなたは-”という語り掛け文には読む気がしない(今回,一頁毎にだれかの書き込み痕が少しずつ,私は消しゴムに苦労した。)私はやはりあのカスタネダ呪術師とのひとり語りのような方式がうまかったなと思う(日本語訳がかなり単純平易だったので,若いひと向きだった。以前私の引用のために“ 力の第2輪 ”かどれかから空中のラ-ゴルダという場面を少し試訳してみたのだが,語の整合性よりもその文脈に読むのが難しかった。)

明晰夢?

[ 著 ]アーノルド・ミンデル 他
[ 訳 ]藤見幸雄/青木聡
24時間の明晰夢 夢見と覚醒の心理学(春秋社,2001)
DREAMING WHILE AWAKE: techniques for 24-hour licid dreaming (2000,)

読書記録5: アーノルド・ミンデル / 自分さがしの瞑想( ひとりで始めるプロセスワーク )
読書記録1: エイミー・ミンデル / メタスキルs
参考図書4: ドリームボディ