KOUSHIROU_A9 ( 編集-未整理 )

2012年11月16日 - 身のうち

- ( 家の室外との境,囲いの中に現れた“彼”は )私の身体的にペニスと象徴的一致していたようである。

身体的に“こうする”といった場合“睡眠状態”ではなくなり意識的持続があった。反転した場合の身体は外側から現れたように感じられるので私自身と拒否するような態度によって“障害”と目された。本能性が否定されたので“それら”は悪意とみなされた。外見的関心ならそれらに対して排斥運動のような形を取ろうとする。しかしそこにはなにひとつ具体性もない。それゆえ自分自身に性的な関心を持つと危険な“催眠的疑心暗鬼”の状態に陥る可能性はある。

2012年12月3日 - 出る

- 昨日:
突然赤ワインの入ったグラスがひとつ目の前に置かれたようにあった。


私はそのとき以前の明晰夢のように“夢だ”と気付いたきっかけの瞬間をみたようだと思った。しかし、その前になにかがそこにあったとは想えない。そのグラスはなにを表していたか。それはすでに私の欲望ではなかった。
私は今年の2月以来いっぺんもビール類を口にしていないし、ワインも少しずつだ。だが、私は元々アルコール類をまったく受け付けなかったと思う。私は煙草なども2009年の後には一本も吸っていない。私の好きではないものに対して“面白がる振り”をしていたのだ。もし“空のグラス”に無理矢理なにかを注がれたら、私ははっとしただろう。だが、それを私自身の“明晰さ”の理由にはできない。偽者の横着をそれと気付かない者は危険だった。

2012年12月9日 - その人

ある一室に、その入口の方向から私に向けられた薄いグレーがかった外観の流線形のなにかの装置のような物があった。その左右に振り向けられた平たいノズルのような形の先端に近い上面に発光した部分があった。ちょうどそこに誰か来たのか、“それは重粒子線です”と言った( 男性の声が )聞こえた。そのせいなのか私の身体に震動したような感覚があった。
男の人がひとり室内に入って来て私にいくつかのシール部分に分かれたシートみたいな物を手渡した。その人は“そこにあなたの名前を書き込んでください”と私に言った。私はボールペンを使ってそれらに私の氏名を記そうとしたが、例によってインクが足らないのかそれらの紙の部分にペン先を引いた跡が残るばかりで一文字分も出なかった。( 私の筆跡はまるで書き慣れない子どものそれらのように不格好だった )。私はそのボールペンを私の右手背後の事務机の面に置いた。薄グレーの曲面の扁平な握り部分に滑り止めの筋のようなものがいくつか付いた小さめのペンだった。するとそこにもう一本ボールペンのプラスティックの六角軸のような物がみえたので、私はそれを手に取ってもう一度書こうとした。が、やはりインクは出なかった。

私にはその“人”は以前の“明晰夢”直前の特徴と思われた“夢で私に質問した人”のようなところがあった( あれば良かった )と思った。私の最近の夢では先ずほとんど“本題について話しかける人”がいなかったからだ。“あなたの名前を書いて”と言われることは私の夢においては重要なのだ。普段の暮らしでは、義務教育でも家庭でも私の役割だったはずのことを他者たちが先に自分自身のことのようにやってしまおうとしたので、私はいつも詰まらなかった。それらはあらかじめある一つ一つの個所に貼られる“紙札”といったようなものであった。
私は考えもしなかったが、私はシートを渡されてから私の氏名を漢字で記入することになんのためらいもなかった。しかし、そのような“人”が出てきたということは、少なくとも私には“動物的”ではなかったので、私はこれは良い兆候だと思った。そのように本当に“いま、これが夢だとご存知ですか”と言うような“人”があれば面白い。

2012年12月10日 - 話してください

1.私はある教室のような室がみえる通路のようなところに来た。( そこは窓で仕切られたという風でもなく、何人かの少し年のいった男性女性がそれぞれに机を前にして椅子に掛けていた様子がみえた )。私はその室のみえる通路側の台に置かれたなにかの用紙に私の苗字を記入した。私の名を記すまえに室の中から“こちらへ来て話をしていただけますか”と私に言葉をかけた人があった。

そこで私が立って話したことはもう私自身にとっての対象への意味にならないので私は憶い出せない。たぶんその直前に私への思慮分別について簡単にいっていたひと言だった。私の昨日記したことから言えば、“名前”を記そうとしたところで“これは私の夢だ”と明確になるべき場だったのだが、すでに私自身の名前を記すこと自体になんの抵抗もなかったので、一定の“私”はあったわけで、そこ( 室内 )に若者たちではない姿として現れていた。

2.“ふたりの女性”といったイメージ。そのうちのひとりについて“自転車屋の娘だ”といった者があった。あたかも私が頭を寝かせた体勢でみたかのように、その“娘”のピンク色のセーターのような姿が私の上から現れるや彼女の唇を近づけた。私はその唇と舌の先の感触を覚えた。

“教室で私がなにかを言う”というような場面は90年代の私の夢の場面にはあった。そこにいたのは“若い生徒たちのよう”だった。

2012年12月16日 - ウェア

1・( 肉眼には見えない )左と右に一つずつ“衣服”のようななにかがあって、右側のそれを“着る”度にそれ自体が私の別物だった。

なにを“ウェア”といったか。その“ウェア”によれば、私は見えなくなる。私を“取り戻す”には、いったん離れてみることだ。

2.薄暗い一個室内にまだ若そうな女性2人が来た。

いまこれらを書いているところでは、それらがここ数日間の私の両足に対しての感覚的象徴かもしれないと思ったが、その場で夢には気付かなかった。そういえば、前の“自転車屋の娘”といった場合も、私の左右両足の肉体的感覚( その違い、どちらが優勢か )をそのまま表すワードだったということになる。無論のこと、“自転車屋”とは私自身のことだったわけだ。

2012年12月18日 - 見慣れた室

・今回の睡眠前の条件:
何事も睡眠そのものを妨げるような“反休息”にはしない。頭や肉体を休めるときには“その他の問題”でいることはできない。だからこそ、ある種の“責任”というリーダーシップと一緒にいることは、本当のこころみを難しくする。例えば“ウェア”ひとつに就いて“私はジーンズパンツ党だ”などと標榜することは、自然のよろこびというよりはある“役割”を無意識にでも要求( 自認 )したものかもしれず、それらが“仕事”に代わったときに個人が“使われ”になってしまう。私はもはや自身にも言葉にして云うように“夢をみよう”とは言わなかった。
私は真夜中に眠ることは無くなっていたので、普段の睡眠前には完全に電灯を消していたが、今回は室の電灯の豆電球を点灯したまま寝た。そのように豆電球だけを点灯した状態で就寝した場合に“自覚夢”が起こった例がいくつかあったと憶う。それらはいわゆる“明晰夢”における“イルミネーション”とは直接関与ではなかったと思うが、単に私の目蓋を通してうっすらと灯りがみえたことが影響した( 意図した )とも思える。
私が家の風呂を掃除したときに私の履いていた室内着を私の両膝の辺りまでロール上げしていた。私は寝床から起き上がったときにもそれらがロールのままだったのを感触として気付いた。そのときには私の“眼鏡”として掛けていたわけではなかった。もし私が婦人だったなら2足タイツみたいなものを“身体的眼鏡”として利用したかもしれなかった。

・今回の睡眠時の条件:
寝ている間にお腹にガスなどが溜まっていたので、私は何度か“夢だ、これはなにかな?”と目を開きかけては寝床にいて“トイレに行かなければ”と思った。夢の終わり頃にはかなり苦しかったはずだが、それらはこれらの夢にぜんぜん影響しなかったようだ。というより、“便意”を気にしなかった。なにかを“やろう”としていたことが夢で私に作用していたかもしれない。
“トイレ”に関わらず、なにか音みたいなものが微かにでもあればそれを“聞こう”とするだろうし( 私 )、なにかみえれば“見よう”とする( 私 )。若い頃には当然のように性欲がそのようなきっかけになる。腹が減っていれば“食べ物”の夢をみるだろう。しかし、それらが自動的であれば“やろう”とするきっかけが私本位ではないかもしれない。だから、自動的に現れる“夢”に対して“私はその正体を見よう、自動性ではなく私の夢をみよう”。

1.家の前の路上に似たところに、椅子に掛けたように小さな机を前にしていた( 私は )夜空を見上げた。静かだったが、強風が吹いていたかのように、その夜空のある高さに雲の影と丸い輪郭の縁だけが照らされたように急に迫り上がってきた。若い風体の男女のペア( それぞれモノトーンのジャンパー姿に脱色髪 )の歩いて行く後ろ姿。少女ひとりが突然私に近づいて来てなにか小さく折り畳まれた紙片みたいな物を私の下に落とした。それにはなにか書き込みがされてあったようで、四角く折り畳まれたその紙の隅に更に折り目が付いていた。私は少女の手首を掴まえて“あなた、この辺に色んな物がばらまかれているのを知っている? あなたね、私と一緒にちょっとこの近くの派出所まで行ってもらおう”と言った。

“暗い夜空の雲”は私にとって先日の自民党の票数の心象かもしれない。私は私自身の“まやく”というような言い掛かることを避けているし、選挙の日の朝方にも家の近所の路上になにか食べ残しみたいな物が放られてあったのを気にかけていた。以前にもそのすぐ傍の民家の前に飲みかけの飲料のカップ等が置かれたままになっていたのを私は偶然見かけたことがあったからだ。それでこのような“メッセージの置き捨て”に対して“不審者扱い”になったのだろう。

2.〔 その直前までのいくつかの場面で私は“夢だ”と気付いた。それまでの夢と夢の間で私は目を覚ました度に“夢に気付こう”と思っていたのだろう 〕。

私は居室にいてある紙製のケースみたいな物があったのをみた。
またどうしてか私は“夢だ”と思った。これらをもっと鮮明化してみよう。その箱を私の肉眼にみえる物のように見ようとした。紙製ケースの蓋部分だけが少し銀色がかった表面( アルミニウムの金属面みたいに細かく筋がかったような )で、なにか贈答品用に使われたような物を想わせた。私は室内の部分に目を向けた。未だ夢から覚めない。( 私はそこでは普段通りの居室の光景を見ているようなつもりだった。が、そんな光景は私の部屋には無かった )。私は紙製ケースのその蓋を開けてみた。その蓋はあたかもなにかのケースに再利用されていた物のように手前から簡単に開ける形になっていた。
本のページを開いたかのように、ひとつひとつの文字等がそれぞれ別々の大きさのカタカナで、その途中には真横に倒れた形の小さな“ ォ ”の字があった。私はそれらひとつひとつの表音を順番通りに記憶してみようとしたが、なにも意味合いにならなかった。その“ ページ ”の下部にはある製薬会社のCMロゴを想わせる大きめの字体が5つ程あった。
私は室の一方の隅に近いところに外側に通じる平面抜けの孔があったのをみた。私は“ 夢だ ”とは気付いていたので、その壁の孔みたいなところに私の身体を真横に伸ばして“ 出よう ”とした。( 外の住宅地の夜景のような絵だったが、その光景では視点の位置が少し高すぎたようだった )。私の頭だけが半分外に出たままこの身体が孔に詰まったかのように途中で動かなくなったので、私はそこから見下ろした。路面にいくつもの携帯用ティッシュペーパーの袋みたいなものがみえた。女がひとりこちら側の外壁の右側を伝って来た。( 少し背丈のあるすらりとした体に赤いネルシャツ姿。私がみたときにはその頭髪はまとめ髪みたいだったが、間近でみたら、その頭にぴったりとした形の茶褐色のショートヘアだった。私はその脱色されたような髪を安っぽいと思った )。彼女の顔面は斜め右側からこちらに向けられた無表情で、やや薄暗い面に無音の眼だった。私は“ キスしに来たの? ”と私から言葉をかけてしまった。次の瞬間、ほんのちょっとの浅くも深くもない唇だった。なんの光景も無かった。

それらの字面は並んだカタカナ文字等ではあったが、私は起床後にそんなロゴなど見覚えなかった( その箱の“ページのカタカナ等”は黒地より緑がかった縁の" THE MATRIX "のタイトルデザインを想わせた。私は一々見出しという“タブ”を設けることによってそれらを意味あるものと捉えようとした。無意味な情報のラ列になにか意味を見い出そうことは、夢という現象に対して特徴的に見ようということであった )。
私がしまったと思ったのは、私が質問を聞かずに“キス”と言ったからだった。たとえそこに“私自身”だと了解していたとしても、私には本質的問いの方が良かっただろう。しかし私は“彼女”がそれ以上のものだったとも言えない。
また、“贈答品用の紙製ケースみたいな物”の特徴として、完全な金属面のようなぴかぴかした反射面ではなかった点。これは以前の“紋様ガラス 2012年9月25日”の例を想わせる。が、それ自体が“自覚”を促す原因だったのか、その標識としてのなにかなのか、なにかの記憶( 印象 )と関係があるのか、私には未だ分からない。

2012年12月21日 - いない

・この睡眠前の条件:
一昨日の晩急に私の口の奥の喉の一部にあっ た痛み( 右寄りの部分 )は今朝までに収まった。頭痛発熱などはほとんど無かった。
- 解決思案( 通常日記・同日分 );
今回私はこれまで以上に“偽もの”を排する( 撤収する )をこころ究めてきた。騒がしさはなくなった。1998年それ以前以来の静けさ。

私は父のワゴン車内の後部に乗っていた。私は私の左隣の座席にいた小太りの男( 丸眼鏡 )に手伝いをさせたかのように、私から灯油用のポリタンク一つを彼に渡して車の外に下ろさせた。

私は父のワゴン車内の後部に乗っていた。私は左側のドアが閉じていたのをみて“おーい、開けてくれ”ともう一人に言ったが、突然、誰もいないことに気付いた。

その車内の面はやたらガムテープのようなもので内側から目張りされていたかのようにみえた( おそらく窓のような物も無かった )。私は“父”の顔をみなかったし、その車内の一部と男の姿と青いポリタンクだけだった。その車内にも“外”にも他に誰もいないということに私は気付いたが、その場面は終わった。

2012年12月24日 - ない

- 先週の18日以来いっぺんも“実験夢”ができなかった。一昨日あたり、いっぺん寝床にいた間に頭の中にあの“一瞬の微かな光”のようなものがあったので、私は“明晰夢の兆候かもしれない”と思ったが、その後なにも無かった。

( 私は“罵り”を撤収したつもりでいたが、私自身を辱めている。もう何年も私には“クリスマス”という意味合いはなかった。私には街へ出て“コーラス”を聞くことの意味合いではなかった。本当にきれいな人でなければ生きていけない。おそらく私自身の“要求”がいないからで、本心に実験目的がいなければ、私は実験できない )。
どうしてなのかをまともに考えようとしなかった。私は本当にしなければならない。以前までの例として言えば、私の“夢見ができない”のは、私の“作られた時間”がなかったからだった。