KOUSHIROU_A3 ( 編集-未整理 )

2012年3月3日 - 満天の星星

[家の外側に近いところから上を見上げたような視界だった。]
夜空というよりは星空のようなところに無数の淡いものが天の川のように現れて、みる度にくっきりとした。次に、その星空はゆっくりと回転した。周囲に積雪があり、屋根にも雪が積もっていたようだった。 [そこで私は部屋から部屋へと移ったというよりは、途中でいきなりある高さのない段差を(身体のない状態で)瞬間的に上と下に2回移動したような感じだった。この夢の後で“二重の段階”と私はメモした。]
先ほどの景色の中に、周りから雲がかかったようだった。 その真ん中に、何かその右側に漢字の文字の浮きでた白いパネルみたいなものがあった。 [視界にみるようにはっきりとみえたのだが、どうしてか私は後でその文字等の意味を思い出せなかった。その白いパネルはあたかも以前に室内用の丸い蛍光灯セットの内側にみたもののような、ある種の製品にあるような印象だった。]
そんなところに文字の付いたパネルがみえるのはおかしいと私は思った。そこで目が覚めた。

[午後のうちに『未知との遭遇』無料放映があると知っていたので、アラーム時計をセットしておいたのだが、実際には私はほとんど気にしなかった。いま同時にそのTVを他の部屋でかけている。しかしBS放送にしてはその画質がTVサイズだし、画像にノイズなどが出ていて良くなかった。あの“異星人”の挨拶の絵をあらためてみて私は吹き出した。それは“拉致をした宇宙人”側に対する問題というよりは、“E.T.”の両眼は青かったというように、アメリカ人になった者たち自身だったのだろう。また、そちらを観ようとしなかったからこそ、夢にもっと美しい星空をみたのだろう。
“私”という懸案の数々を時間的に持ち込もうとしないで、素直に楽に眼をひらいたように視ようと思っていた。]

2012年3月4日 - 製品紹介グラフ

あるひとつの新製品紹介カタログみたいなものを開いていた。(先ず白地にその物だけの写真が大きく入ったシンプルな構成。)
 最初に、あるスタンド付きの大型液晶TVモニターみたいな正面写真。(そのモニターの枠の下側に直線的に少し中央に2辺形に下がった部分があって、あるメーカー製のデザイン的特徴のようだった。)
 次の見開きには小さくぼやけた色見本のようなものがいくつも並んでいた(それらはどれもあかるい色合いだった。カラーサンプル等々のパレットのようなもの。)
 その次にはある簡単なフィルム装填式カメラみたいな外観のもので、その本体の前面と背面とが何か分かれたようにその一方が透明プラスティックの蓋のような形だった。(しかし、その説明によると、それには8ミリフィルムの絵を取り込む機能があるという。) その暗い外面に平行にスリットみたいな溝等々が等間隔にあって、それらがその中央の深く凹んだ部分の暗がりに消えていた。おそらくそこにフィルムをセットすることができるのだろうと私は思ったが、それにしてはその凹みは6角形で、通信用ケーブルの差し込み口のようでもあった。そして、それについての説明の最後には、「これの使用について保証はできません」というひと言があった。

[それを左側に開いて右側をめくってみていたので、それは横書き説明のあるカタログの類いだったのだろう。しかし、説明文の類いを目で見るように読んだような覚えもなく、カメラに関する説明がどのようにあったのか、その場の思いつきだったのか、私にはよく判らない。その夢にはまったくそれらのページしかなかった。
 私にとって面白くないのは、それらを繰り返し前後に眺めるだけで、その何なのかを私の視点として考えようとしなかったことだ。いわば“コブ”という対面者もいない、“2001年宇宙の旅”のラストの小部屋みたいなものだ。]

2012年3月6日 - Kou-chanの子どもたち

高いところから普通の住宅地を見下ろしたような光景だった。(まるで団地の上のほうの階から窓の外に眺めたような、駐車場や住宅等々のある光景。)

 ベートーヴェンの“月光”のピアノ曲がかかっていた。
 両側に上からの階段があって途中の平面で真ん中のひとつの階段につながっているところに(私は)いた。その折り返し部分の平面に、ひとつのピアノのようなものがあった。私はその鍵盤に触れた、簡単に両手のひとつずつの和音のように合わせてみた(オルガンの音のよう。)
[その階段全体、あたかもその外からのあかるい光によって、]左側の階段の上からひとりの男性、(昔の同窓生H氏)下りてきた。
 背後の低い位置の床面で何かしている小さな子どもたちみたいな7人ばかりの姿があり、“Kou-chan”という声があった。「(それを)やめろ」と私は言った。

[母が昔好きだと言っていた曲なので、その印象としてみた夢だろうか、と私は思った。(私が奏でようとしたのは即興だった。)
 階段での彼の場面は、私にははっきりとした前後の順序でないので、年代的に並べてみた。すると“月光”の曲が以下のきっかけだということになるが、順番としては合わない。これらの夢について私が最初に思ったのは、見下し(見下ろし)の絵があったということだ。私はこの点をはっきりと認識していなかったので、案外だった。仮に床面で何かしていたのが“子どもたち”でなかったとしたら。
H氏はわたしがデザイン科に通っていたときの同窓生で、いつも他の者たちから“ウンコチャン”という嫌がらせがあった。その言葉は、数年前ある派遣従業の環境で私に向けられた他の従業員たちからの嫌がらせでもあった。しかし、例えば私が“女の子”とみたものたちのそれ印象を逆に指摘したものかも知れなかった。無論、“関係ない”と言おうとする私に対してそれは虐待的と言えるようなきついものだ。Kステータス前日分に述べたように、それらが私から消えないなら、それらは他からくる。
そのように、何もない床面にいた子どもみたいな姿のものたちも、ある印象だ。それらが“Kou-chan”と言っていたので、私が自生的に言ったという言い方はない。だが、それらはすべて自分自身の、限界だ。(それらが動物または誘惑なら、人ではないから。) これは夢においての本質的問題だ。

睡眠中の夢に断絶があり、一定の注意者としての私の視点が私にないなら、私はそれを一定の刺激としての私のリハビリ活動にしなければならない。もし私がそれらに対して“明晰夢”というような望み自身であったなら、昔のように彼は“あなたの夢”について、と言ったはずだ。だが、これらを言語的に設定するのは難しい。]

2012年3月8日 - 「おい!」と「去れ!」

夢に質問してみよう。眠る前に夢への質問を決めてみよう。「夢です」と夢から教えてもらおう。
 私の明晰夢の実験は自由なのだから誰も関係できない、私はただひとり眠りをやめてここに楽にみるだけでいいと思った。
 夢そのものを展開する。

[ある居間のような室内で、私は目の前に置かれてあった物に呼びかけるように注意するとそこになにか力が関係したかのように私にくるのに気づいた。]
「おい!!」と私がそれに向かって呼ぶと、そこにある物が跳ねるように私の手にくる。「去れ!!」と私が言うと、それは一瞬に離れた。私はやったと思った。ちょうどそこに母がいて、[母というよりはある女性といった者。要素としては、以前のエレベーター内で私にショルダーバッグについて訊ねた“女”のようなもの。だが私はそこでそのフィギュアに“母”だといっていた。]私は細長いカップをそのやり方で手元に寄せたり放したりしてみせた。
[そこには別に研究者のような西洋人男性と思われる2人がいた。おそらく私の右側──いや、左側の背後にそれらがあった。その夢の直後に私はすぐ“缶を引き寄せた”夢について記したことがあったのを思い出した。“連想”と言っても、夢自体にダイレクトではない。その前後の記録などにも相互に比較できる部分があるかも知れないと思ったところ。
“その物”に対して直接に働きかけるまたは作用するということが本当に可能なのかどうか。しかし、夢ではそれらは夢のものなのだから、物体という外観の問題ではない。(その“細長い円筒形のカップ”、私の普段使用の物とは違っていた。それらにはガラス製の材質感というようなものでなく、なにか別のものを象徴していたという気がする。その室内は家の居間に似てはいたが、違っていた、その“カップ”もまた。)
 たぶん、最近のSoftBankのテレビCMでトリンドルに演じていた“みどり”の服のものについて、それ自体を2000年よりも以前の自身の印象として辿るのは私には難しいというのと同じだ。(しかし、そのCMの文脈では“鳥取の砂漠での糸電話”はカットされた。)]

2012年3月10日 - 流れる星星

“詰まらない、映画祭のホール”。映画館というよりはディスカッション用のホールといった形で、客席等々のいくつかの列には若い外見の男女たちのようだった。両側面に横長の表示パネルがいくつかあって、それらに別々の映像があった。ある婦人のような背面もあったのだが、何も喋り合ってもいないかのようで、面白さはなかった。右前方の外見の若い者たちのうちから、ケータイ着信用のような単純なピープが聞こえた。それは古い"Count 2 Ten"という歌のサビの部分だった。

[その室内全体は平坦で白けたように灯りもなく、ただ客席等々のいくつかの列にあるだけだった。それら自体の暗い印象というわけではなかった。1988年頃に私自身が“ユーロビート”に由来として何か見たわけではなかった。ケータイのピープとして鳴る直前にその歌がそのまま流れていたようで、そのピーピーはある特徴とも言うことのない模倣の詰まらなさだ。
 パネル・ディスカッションという言い方だと思うが、歌メロのピープが無意味だったように、誰も何も個々に話し込むような様子もなく、底のある議題もなかった。]


 回転する円い天井をみたよう。(その中心から少し離れたところに長方形の黒い部分があって、視界に回っていたかのよう。)
 その次に、目の前にあったかのようないくつもの星星が左側に流れるように動いていた。(あたかも回転する私の視界の中にその星々等が一方に動いてみえる。)
 それらは次第に加速した。
 次の瞬間、青空に割合くっきりとした縁の照らされたような雲があった。そのほとんどの部分はやや逆光がかったように薄い影だった。
[星星をみているところでは、私には視ているという面だった。それはこのまえの密な星空というよりはいくつかの等間隔に近い光のようで、いっぺんに百個以上もなかっただろう。しかし、そこではそれ自体とみるだけだった。空の雲はまったく自然だった。たぶん映像的記憶だろう。]

2012年3月17日 - “ひとびと”

1個の室内にやたら大勢がいっぺんにいた。だが、そのうちの誰も私に夢だと言わなかった。むしろ非難がましいというか、下らないものしかないような、詰まらなさだった。

[勝手に思い違いをして私に好きだと言ったりする者たちがあったのを、私は嫌だと言った、中学生のときだった。逆だったと私は思う。あたかも“彼ら”がいたとき、私には謎だった。そこには誰もいなかった。孤独死だった。
 それはなくても、私はもう一度つくることができるだろう。]

2012年3月21日 - いくつかのワード

薄暗い室内にいくつもの人影、西洋風の王侯か何かがいて、(ある聖職者たちのみている前に)、やってきたか連れられてきた3人がいきなり撲殺された。
[その画質としてはいかにも中世のヨーロッパみたいだったが、映画のような豪華さではなく、薄暗い、人気のない印象だった。何も目立つ像もなかった。その場にいた聖職者たちは何もしないで黙ってみていた。
 しかし、最近の私の像だとすると、その3人が一体何で、どうして撲殺されたのかを判定できるはずだ。かろうじて特徴的にみえたのがそこに立っていたうちの“聖職者”たちだった。“王様”などはいなかった。それらの像は室内の正面と左側だけだった。]

概念というよりは意味のわからないいくつかのワードのようなものが浮かんだ。
"Humyllye, Humillyie"、これが正確な綴りかどうか確定できないが、これに近いスペリングだった。
 突然発光したような白い文字で、“メルキセデロ事件”。
[“メルキセデロ事件”は、以前に私が読んだUFO関連の話題のどれかかもしれない。が、これらも関係としてはっきりとした言い方でない。最近のトピックとして、軍によるある地元民の被害を訴えた“UFO問題”という見方があったので、連想ならその関係に違いない。
 今週私が読んでいる『わが南京プラトーン』という本に、(1937年12月2日)“日本の手榴弾は麦わらの柄のついた旧式のものであった”というくだりがあった。
私はそこでインタヴで話題にした例の1972年の“中学生たちによって捕獲された小型円盤”という話を思い出した。その“再現モデル”として紹介されていた写真には、その円盤の底の部分に稲穂のような形を思わせる浮き出しがついていた。(それは現在も日本で使用されている5円玉のデザインを思わせる。水田を想わせる意匠でありながら、真ん中の孔の縁に歯車のような形がある。その裏面には“日本国”とその時点での昭和天皇の期間が刻印されてあった。それゆえに“円盤”に関するその話は中国大陸等での虐待という事実を象徴したものであったろう。) 私はその写真をみた記憶で、そのような“円盤”によってある軍国の武器と侵略戦争そのものをいう言い回しがあったのだと思った。しかし、それらは左翼の問題ではなく、私には平和というまっすぐな言い方のほうがありがたい。『未知との遭遇』の“帝国”宇宙人という描き方は気持ち悪いものだった、というように、そんなもの知らないほうがいい。]

2012年3月24日 - 不思議の部屋

暗い室内、[私の自室を思わせるが、デスクやパソコン等の置き位置などまったく違っていた。普段の室内では寝床の枕元の正面にパソコンの機器類が置いてあるのだが、その室はもっと整然としていて、左側の隅の壁にしっかりとした専用のデスクがひとつあるといった印象だった。]
 普通に腰掛けるようにして、私は右側の小さめのモニターの下の電源ボタンを押した。薄暗がりに、その白っぽい液晶パネル部分が発光してモノクロの文字等があったので、私は古いワープロの電源を間違えて入れてしまったのだと思い、そこでまたいきなり電源ボタンを押してオフにしたがためにその機器が壊れたかも知れないと思った。(後でその状態をもう一度確認しようと私は思った。)
 私はそのデスクの正面に向かってその棚のパソコンの電源ボタンを押した。[その本体はPCというよりは、なぜだか暗いTVゲーム機器のボックスを思わせる形だった。]
 すると、電源ボタン等が点灯し、突然ギュウーーーンと唸るような動作音が響いた。

私は振り返ったか、そこに暗い室の一角をみた。その左の隅に、机に向かって腰掛けている女子用学生服の小柄で太った後ろ姿がみえた。その髪はストレートに下りていたが安っぽい金髪ブリーチングのそれのようでもあった。その瞬間、夢だと私は気がついていて、恐怖も感じないかのように私はすぐに近づいた。あたかもその後ろ姿に向かって床に私の膝をつくくらいのところから、「あなたは何なんだ? (あなたは何ですか?)」と言葉に出して私は訊ねた。
[そこで私はある会社名の名義またはその肩書きのような名称を聞いた。私は一度そこで意識的に聞いたままを暗唱した。だが、その直後に、私が目覚めてもう一度そらんじてみようとしたとき、私はすでにそれを一語も思い出すことができなかった。私にとってそれがまったく心当たりのないものだったということ、だから完璧に記憶しなければそれが私の意味合いにならないというのも本当だ。
 その前に記したデスクとPC等の部分との関係もはっきりとしない。眠る前に私はいったん身体の一個所に注意して、夢現になる状態に何とか自覚を持ち込もうとしていた。また、夕飯などを義務的に時間帯によって私に食べないというのと同じ。無理に何かを“食べよう”とすることは健全さを妨げるものに違いない。]

2012年3月26日 - "Vicious Dream"

目の前に女のようなものがいて、「あなたには受け皿もないし……」などと、ひとしきり私に言われそうなことを淡々と口に出して言っていた。私は別に食って掛かろうとも思わなかったが、しかし、そこで、
「あなたの名前は何というのですか?」と、私は訊ねた。すると、
「マサミコ」とその女は言った。

[どんなに阿呆呼ばわりされても、私は私だ。他事のために変えることはできない。だから“融和”という言い方にはならないゆえに、実際には一致した見方やモコな意見というものではありえない。しかし、その“女”は私自身なのだ。外見的印象としては、まとめ髪に、丸眼鏡の中肉中背の婦人のようだったし、その声も普通に女性のようだった。
 だが、私がそのようなものを潜在的につくりだそうとしたとは思わない。けれども、手もとにカップを引き寄せたり放したりするこのまえの現象の夢のときにみた婦人のような姿と似ていた。
「夢に訊ねてみよう」と言った通り、私は夢でその何なのかを訊ねようとしている。夢だと気づいた先日の夢では、「あなたは何ですか?」と私は訊ねた。夢の瞬間に実在と言うなら、この訊ね方は間違っていない。それは常に私の“ファイナル質問”だ。しかし、その問いが、鏡に向かっての独り言かもしれないとしても、本質的であったら、夢が表そうものについて直接明かすことができるかも知れない。]

2012年3月27日 -

わたしはわたしの中の博士を利用することにした。これはいわば自分自身をやめて、私自身として機能するということだ。“打ち負かされた私”という惨めな環境など必要ない。

2012年4月4日 - 明晰夢っぽい夢

仕事用のプリンター機器類のある室内。出力用のモニター機器類など。私は口にフロッピーディスクを一枚くわえて、どの機器をどう使えばよいのか思い出そうとしているかのようだった。女子従業員が数名。[昔の同窓生のひとりの顔が目前にみえるようにあったが“無言”だった。] マイデータのプリント出し、私はその前にその数値を-1調整する必要があると思っていた。私はふとすぐ左側に2つの小さな縦型モニターがあるのをみた。[それら2つがそれぞれ少し離れて並んだ縦型の枠と面のよう。それらには何も表示されていなかったし、いま思えば投影面もないようだった。私はいっぺんもそのような形の物を勤め先などで見た覚えがない。] それで、プリンター本体のボックスと思われるものを左から右側にみるように回りながら私は、民家の外側囲いみたいな外観のあるところだった。[あたかも一方に外塀があり、もし私の背後にも外塀があったらその間のごく狭い通路にいるとでもいうよう]
その間に、墓石等々の密集したところ。ああ、夢の状態なのかな、これは?と少しぼんやりと思ったかのように私は、右側の小さな突き当たりに、ブロック等々の囲いの中に墓石等々が密にある狭いところを見た。[狭い路地の端にその両側への曲がり角があってもそれらの物陰は私には見えないので、その路の行き当たり正面にブロック等々の塀がみえるといった形。]それら墓石等々の左端から2~3番目に、ひとつだけ古いインド風の彫刻意匠を思わせるものが立っている。‘ これは夢だから恐いものでもない ’と、敢えて飛んでみる、それらの上に。やや動物といった印象。そこから更に試してみようと、私は家々-屋根等よりも上にみえる太陽の光と思しいものに向かって注意するように、両手を伸ばして飛行してみた。[ある方向に集中するためには私の両腕をそうしなければならなかったとでもいうように。] 上から見下ろせる,普通の家屋等いくつかの間に、わずかに短い草生えたかのようにうっすら緑がかった、何も無い平坦な中庭か空き地。屋根等-端の錆びた赤いトタン板等みたいな部分2カ所が当たり前のように見えた。私はまっすぐに“太陽”に向かうつもりだったのだが、どうしてか高度は上がらず、ゆっくりと下がっていった。

[これも明晰夢っぽい。ひとつの光に向かうというよりは私がそこで何かしようとこころみたので、光をみたのだろう。そこには人のようなイメージは何もなかった。日本では、普通に家屋の並ぶ通りの間に塀で囲われた墓場がみえるような光景も珍しくはなかった。その前プリンター出力の機器の場面で、ある同窓生そのままの顔。連想的には私はその人をいっぺんも知らず、時間も生死もわからないという言い方かもしれない。
 古いインド風のデザインの石がひとつだけ立っているという絵は、私にはエロティックではなかった。もしそれらが私にとって即性的に思われるものだったとしたら、私は別のものを見ようとしたに違いない。しかし、それは夢だからこそ、私は“お墓”に対して何でもないと言うことができるし、死んだようなものよりは実験の方がずっと面白いといえる。
 今日はまた外気が冷えるのでそんな墓場みたいなイメージがあったのかもしれない。昨日私のものを起立させながら数分ごとに繰り返しいくことを試していたせいか、私のものは睡眠中にも起立していた。]

2012年4月8日 -

先ほどから、私は私のテキストファイルの調整作業中に、見覚えのないいくつかの不思議なイメージをみている。幼児の頃の何かかも知れない。けれども私が、通常の注意を向けて見ようとすると、まるでそれらが私の働きによって遮断されたかのように、それらは見えなくなってしまう。しかし、それらが心理的イメージなのかどうか、わからない。

2012年4月14日 - 犬死情報

メモ:多くの報道陣と、若と、窓の外。

飛行機事故、3カ月。若い男性ひとり。救出。
専用室へ移すべき。
『別兎(寸)君犬死情報』札、馬鹿げたこと。

何もない屋内のゆったりとした通路面。その右側面の出入口に何か大勢の報道陣みたいに来ている様子だった。(その通路の左側面には何もなかった)、私はその通路の行き当たりまで歩いて、そこに昔のWのグレー色のジャケット姿があるのをみて、私は彼に声をかけた。その行き当たりの窓の外をみると、下に寂れたゴルフ練習スペースのようなところがあり、そこにも待機した報道器材者たちのような何人かがあった。

 飛行機事故の現場。機体の一部の間から薄い覆いを開いてみるように確かめてみると、そこに横たわって両目を閉じた若い青年のような姿があった。そこでの不思議は、事故から3ヶ月も経っているのにこのように凍らずに生存者があることだった。
 彼が収容された病院内の室内には、相部屋に入れられたかのように他に何人もいた。彼に少しでも余計な刺激を加えたら、彼は即死亡してしまうかもしれないと私は思った。彼をすぐに個室へと移すべきだと私は言った。
 グレーの引き出し戸棚かシンク台のある簡素な給湯スペースみたいなところに、太った体つきの看護婦長のような者がいた。その者が彼について私には関係ないことのように言った。
 通路に出ると、そこに白のカジュアルっぽいジャケットを着た姿の男がひとり立って歩いてきた。[そのジャケットには前ボタン等がひとつも掛けられておらず開かれていた。視点は通路の一方の側面からちょうどまっすぐな通路に出たかのように、その男性が左側から歩いてくるところとみえた。その黒髪は片側から分けられてあり、眼鏡をかけた、その厚みのない顔形は、自民党のT総裁に似ていた。その後ろに付いてやってきたかのようにいくつもの人影があった。]
 その男が手に持って正面にみせている札に、縦書きで病室の青年の姓名が記してあり、その下に『犬死情報』と筆書きされたようにあった。“(彼は)何と馬鹿なことをするのか”と私は言おうとした。
[“札”に書かれた姓は“別*”で、私はその個人名を思い出せない。*の字は“兎”のひとあしの部分が“寸”になった字だった。]