KOUSHIROU_A8 ( 編集-未整理 )

2012年10月9日 - 部分的つっぱり

もう一週間以上も“夢見”がない。今朝の“ゆめ”は、何か車に乗って普通の住宅地のあいだのある小さな事務所まで行ったというだけの退屈な(他人を観念的にうつろにみたとでもいったような)面白味のないものだった。私はそんな“ゆめ”を私の実験的な夢見だと言うことはできない。
先週,私は( サイトの作品用に )ある地下通路の写真を一枚撮影するために昼間の栄地下街に下りたのだが、そこで女の子たちの奇妙な視線に遭遇した。歩きの若い女の子たちの何人かがどうしてか私の胸の辺りだけをじっとみた。一時期街の通りで私の靴だけをじっとみようとするような通行者の変な視線があったことに私は気づいていた。私は何も変わった格好などしていなかったし、この3年間、普通にいつもの着古しのTシャツとタオルとスラックスだけだ。しかし、私には街の通りでのことは何も“現象”ではなかった。私は普通の街( 遺跡 )を普通に何も気にしないで誰もみないでひとり歩けるだけでよかったのだから。〔 私は特定の女の子のようなものが一方的に私に気にしたのをその女子たちが受けてロボット的にコピー行動しようとしたのだと思った。それなら私は逆に彼女たちを反対方向に差し向けてでもその元を殲滅する方法もあると思った。 〕

私の体の右側にはいつも神経が通っていつでもわき腹の感触があるといった感じだったが、左半身にはそれが無かったかのようだった。私は腹の左側の筋肉を何とか動かそうとしていたのだが、どうしても右側の神経よりも鈍くてぎこちないようだった。先ず右半身の筋肉等と左半身のそれらとの部分的緊張や緊張の度合いが違っているようだった。左足の部分に余分な力が入っていなくて楽に伸ばせるときに、私はまっすぐに立って両踵を付けたまま180度に開くことができる。私は私の意によって私の左半身の沈黙していた部分を右側のそれのように“応答”させられることに気づいた。“突っ張っていた(体を意識的に動かそうとしなかった)”のは私自身だったのかもしれない。私は私の体のある部分には“話しかけ”をしていたがそのほかの部分には何もしていなかった。
 それで私は昨朝きもちよく勃起していたのだが、その後“夢”も想い出せないほどグーグーに寝てしまった。

2012年10月10日 - ふしぎな“体外離脱

昨晩私は居間にいつものように親父さんの向かいに坐っていたが、突然その父の左側にもうひとりの“ 父親 ”がいるかのような( 眼には見えない )印象が起こった。それは一瞬だったのだが、私はそれは本来私自身だったはずのある“ 印象 ”と思った。そんな風にすべてに対して私のある想像が投射されていたのだとすれば、私はいっぺんも人をしらなかった。
2重の“ 印象 ”が私からの向かって左側にいた点には、私が昨日中に書いたこと( 私の左半身への問題 )が解放されつつあるということかもしれない。それは私の対象としての“ 父親 ”となにか関係があったのだろうか? それ自身が私の左半身の通りの悪さの原因だったか? 
そういえば、ここ何日かの間に、私はひとりでいたときに室内などでふと私のそばに黒い影みたいなものが一瞬よぎったようにみえたり雰囲気的にいるような気がしたのだが、それも私自身の左側に近かった。私はそのような“ 影 ”についても以前に何度か日記等に書いたように、私自身の影だとみなしていた。一度私が寝床にいてお腹の底から自動的に声に出して“ 語って ”いたときにみえた素早い黒い“ 影 ”は視界の右側に動いた。あたかもそれは私が室内に両眼を開いてみていた最中に起こったもののようで、私は一瞬そこに“ 赤く光る目 ”があったかのように想った。私はそれは私の写し身のない(言い様のなかった)“ 影 ”そのものだった場合かもしれないと思う。

2012年10月18日 - 金色の光

その夢ではずっと空中に浮いた視点からみていたかのようだった。
 室内に女性たちがいた。皆で何かを助けようとしていたようで、なにか“学校の同窓生たち”といったようでもあった。空中に(“Xファイル”の)モルダーが気を失ったかのように目を閉じたまま裸で浮かんでいたのがみえた。
 私が座った横に、女子高生の服装の大人しそうな数人がいた。
 2人か3人の男たち、他に何もない土の路上のようなところを歩いていた。
[それらの顔も不確かな姿は、以下の場面において、どれも特徴ない無性別で色も毛もなく白っぽかった]。
(私はある坂道の狭い石段のような所を下りていた。その右側への曲がりの隅に、ひとりの坊さんのような者が一瞬こちらにその眼を向けながら戸の隙間か出入口の陰に入っていったのがみえた。階段を下りていったら、そこに一枚の塀のようなものが立っていた。その塀の厚みはちょうどブロック塀程で、その上の辺が私の足下辺りにみえていた。私はそこに乗り上げれば向こう側へと下りられると思った。が、私が足を掛けた途端にその塀は倒れそうになり、その瞬間周囲に大きな赤いストロベリーのようなものが無数に私に垂れかかってきたようだった。私はそれらを避けながら向こう側へと下りた)。
~ 私と他の数人がある屋内へと入ろうとしていた。そのとき上に太陽の光があって眩しかった。私は“ その太陽の光を直接みてはいけない、この夢から褪めてしまうから ”と、私の右手の掌の部分を目の前にかざしたように放射状の金色がかったような光を遮った。屋内には何人もの丸刈りの者たちがあたかも“集会”中のようだった。 それらの前方には簡易机のようなものに向かって男性が何人か掛けていて、そのうちのひとりが何かを読み上げたように皆に向かってなにか“あいさつ”をしていた。その人の足下の左側にはこちら側の囚人のような者たちとよく似た男がひとり倒れていたのか病欠中だったのかその体に白いタオルのようなものを掛けられた姿でその床に横になったまま動かなかった。私は“説明”を聞き取る前にその夢からオフしたようにそのまま私の寝床の体に移行した。

[私はこれらのそれぞれの場面に“間”のつなぎを見い出すことはできなかった。どの瞬間に夢だと気づいていたのか? 私の部分的には全体に夢だと気づいていたのかもしれないし、“まぶしい光”をみた一瞬だったのかもしれない。“空中に浮かんでいた裸のモルダー”には奇妙というより私の90年代にみたような夢の画風のようでもあった。また、そこここに“気を失ったかのように倒れている者”がいくつもあった。それらも絵としては白いペーパーみたいなものといっしょか、または無色のものだった。
 これらの夢のうちでなにか象徴的に想われるのは、“階段”の途中で出入口に消えたその“坊さん”であった。彼はそこから下りずにスリットの内側へと隠れたわけだ。すると、私はその下へと向かったことによってある“病原菌”のようなものと“倒れた者たち”をみた。しかし、私は前の文中では別の女性っぽい外見と区別するためにそれらを“男たち”と書いたのだが、それらの夢では特に性別を感じさせるようなものではなかった。“集会”にもまったく人いきれのような雰囲気はなかった。
 夢だと分かっている場面からの“オフ”は突然の場合もあったし、今回のように数秒かそれ以上だと感じた場合もあった(寝床にいる私の体に戻ったと感じるまでの時間)。私が最近のインタヴで言ったように、夢での身体感覚は夢そのものであって、直接の肉体感覚ではなかったということだ。
“太陽の光”と言えば、以前このような夢体験もあった。私が“下降”していたので“光源”は外部の放射のようにみえた]。

2012年10月22日 - われを助け給う

あるひと気のない室内。
[私はそこに“仕事場”だと思っていた。そこに“T君”がひとりでいた]。
“T君”は私に一枚の紙切れを渡した。それは小さな長方形の紙片に細分されるようにあらかじめミシン目の入ったようなもので、それらを一つずつに取り分けるのが私の仕事というわけだった。私は“とりあえず今日の給料分がある”と思った。

インディアンの衣装のようなものが一着だけそこに掛かっていたようにみえた。

ある室内の低い囲いの内側のベッドをみた、そこにまだ年若い少年のような丸刈り頭の(見覚えのない)者が眠っていた。

 別の室内。私が床に座していたようなところへ、すらっとした体格の女ともうひとりが来た。その長身の女は両膝を出して私の左側に座り込んだようにその右足をいきなり私の太腿に能てた。その素足の感触は“すべらか”でとても気持ちよかった。室の前方でパネルを背景に眼鏡を掛けた男性ひとりが立って“説明会”のようなことが始まった。
[その顔は自民党の前総裁・T氏に似ていた]。
 彼女に“単なるアルバイター”とは違うのだろうかと思って、私は“あなたフジカラーの方ですか、それとも本社からですか?”と訊ねた。彼女がその長髪の頭を私の肩に傾けてもたれかけた。私は触手こそ出さなかったが、その肌の感触がよかったので拒否もしなかった。

[私は後でこう思った。たぶん私はそれらの夢の途中でいったんその“ベビーベッド”に寝たことになっていて、そこで別のそのイメージ(インディアンの衣装)をみたのだが、いっぺん元の場面の続きに戻った瞬間にその“ベッド”に“少年”をみたのだ、と]。
(室内のような背景に)ふしぎなUFOのようなものが私の目の前に浮かんだ。それは白い平たい皿のようなものの縁だけがその円から垂直に立ったような形だった。
[私は後でこの記録を付けるときに“実験用の小皿”というたとえを思い付いた。しかし、その場ではそれになんなのか思いようもなかった。なぜならそれは本質的なある表現自体だったからに違いない]。

私の“父”ががらんとした工場のようなところにいた。その“父”はなにかとても細かいプラモデルのような物を手に入れたようで、いくつかの“キャラクター”に分けられた部品の数々がそこにあった。私は手伝うというよりは勝手にそれらの部品を手で切り離して組み立て始めた。(ニッパーのような道具を使わなければそれらの部品等をランナーからきれいに切り離せないと思ったが、それらは案外手先で簡単に取れたようだった)。だが、かなりの部品数だったので私は一々その棚のパート毎に分かれた別々の説明書を探してめくらなければならなかった。(しかしそこでは適当な説明書はひとつも見つからなかった)。私は細かなプラスティック部品等の間に黒っぽい金属製のネジなどが置かれてあるのをみた。そこで私が組み立てかけたのは卵型の胴体から四つの手足がまっすぐに伸びたような怪獣の一種で、その胴体部分の前面になにか斜めにアルファベットの文字サインが付いたような白いパーツが嵌め込まれる形だった。
[私はそのときには思い付かなかったが、それは小さな“キングコング”の姿だったのかもしれない]。

私はまだ完璧にそれらを組み立ててはいないと思ったが、“父”たちはどこかへ出かけようとしていた。
[場面は自然の土や緑のある屋外に変わっていた]。

[私はこれらの夢を、次第に“細分化”された精神的なもので、これらに対する自覚が必要だ、と思った。すべては自己自身であったわけなのだが、“プラモデルを組み立てること”自身であったとき、私は“父”ではなく“子”だった。覚めた毎に私はその直前の夢に対して言い掛けた。次の夢想では私は必ず“これは夢だ”と気付くであろう、と]。

2012年10月28日 - 自覚的な朝

私は室内からその窓外をみた。朝もやのかかったような町内の景色。

私は室内にいた。私は普通に歩くように通路のような形のところにいて、そこで“れい(霊)”という言葉が浮かんだ。私は“霊か、よし、幽霊をみよう”といってその通路の角を右に回った。すると、少し薄ぼんやりとした中に薄青い若い子の背中のようなものがみえた。それは坊主頭の青年だった。私は両腕を彼の両肩において“どうしたいんだ?”と訊ねたが、私の両腕につかまれたような感覚が起こった。私は断られたと思った。

ある窓の外の景色をみた。ちょうど家の1階の窓側から向かい側の家のあるところをみているようでもあったが、その外観はなにかの工場のようにみえた。その薄黒い外観の2階辺りの高さにいくつかの小さな窓がみえた。私が少し身を乗り出したように右側へと目を向けたら、町内の家々だけが並んでいたはずのところに、いくつもの大きな樹木の緑が開いていた。その視界の端に朝靄のかかったような光景で、それらの木々の緑のうちの一か所に小さな黄色っぽい花々の植物がはっきりとみえた。

[これらの“光景”はほとんど間を置かずにあったのだが、私は直後にメモを付けようとしてすでに最初の“窓外の朝もやの景色”そのものとして憶い出すことができなかったのを残念に思った。私はこれら3つの場面において自覚していたが、私は“夢を見た”というよりはそれらの“窓の外の景色”は私の“想-像”によって起こったのだと思う。
 3つの景色のどれかまたはその前に、私は以前のように身体的に何かの中を“押し通る”ように外側へとぬけようとした。また、室内の窓際からその下のあるところにまっすぐに身体を伸長したように降りようとした。私はそのとき“まるで蛇のようだ”と思った。その瞬間ほとんど“光景”もなく希薄だった。別の場面またはこれらの最後の部分で、私は右側の路上に一台の停車中の乗用車と若い髪形の男がひとりでいたのをみた(光景としてはその男は車内前部の左側にいた)。私が近づいてみようとした瞬間、その男が車内から出て避けるように路上を左側へと逃げたのがみえた。そのスーツまたはコートの上着の下に薄イエローのベストのようなものがみえた。その瞬間もまた光景自体が希薄になった。
“窓”を通して“見る”ことは、それ自体の剥き出しになった無自覚のなにかに対して、私のある客観性を保証する。だから、私は“木々”や“家々”そのものではなく、私としてそれらをみた。“幽霊のような青年”や“乗用車内の男”は、以前の“ガラス面の向こうの子ども”と“廊下にいた赤ん坊”や、“体脱中に私に向かってきた黒ガラスの暴走車”といったような、遮蔽したもの自体からの暴露その後かもしれなかった]。

2012年10月29日 - ふしぎな赤ちゃん

・今日までのこと
(先々週の週末頃、私がひと晩に画像調整に執心して直後)、私が充電中だったカメラ・メモ用ケータイに私の手を触れたとき、その左手の先がしばらくビリビリした。感電か静電気かと思ったほどだ。先週初めにもまた私の左手の先だけが電気のようにビリビリしていた。それが左足の先にも来たかのようだった。ようやく左側の神経が開通したのだろうか、なにか嫌々なものが私にありすぎて固まっていたのかもしれない。
・その日私がしようといっていたこと
“外側へと拡がっていく私”を(説明なしに)肯定すること。肉体的限界ではなく身体であること。内面性にしない。
 2日ほど左手の薬指と中指それぞれの先だけが痛痒かった。
[しかし、その“痛み”は、私の体の左側を覚醒させようとしたために起こった一種の幻覚かもしれない。指の骨の先部分自体にそのような“痛み・痒さ”が起こるとは思えない。“感電”したようなビリビリ感覚でさえ“充電されたケータイ”という身体的たとえだったかもしれないのだ。私は以前にいわゆる“気の感覚”についてそう言ったこともあった。それらは“夢の感覚(または、記憶的想像)”のようなものかもしれない]。
以下の夢の直前までは“また体の左側が鈍ってきた(怠けた)ので、私の体の左側の筋を活性化してみよう”と、再び体勢を意図してみた。言葉で話してみてもそれは“起こらない”のだから、先ず体自体に応答を促すように私はいう。

女と体でセックス行為をしていた。そこで“しているうちに、赤ん坊の声が聞こえてくる”というようなお話が私にあった。すると、本当にどこからか赤ん坊の鳴き声のような音が聞こえて、している女の下腹から動いたようにその底に赤ちゃんが出てきた。
「ちゃんと(その赤ちゃんの父親と)話し合わないといけませんよ」と私はその女に言った。(その女は玄関からひとり帰るときのような様子で)私の言葉にうなずいた。
 ちょうど私の母親がそこにきた。「本当にお話通りに赤ちゃんが出てくるなんて」と私は母に言った。

[私は本当にそんなことがあるなんて、と思いながら覚めて途端に、それが夢の側だったことにはっとした。昨日のうちに私は“私は想像妊娠していたのかもしれない”と思っていた]。

2012年11月5日 - “ゆめ”をやめる

私は前夜の間中私自身の低俗さを片づけようとしていた。なによりも不愉快なのはいつも私が“夢”に先制されていることだ。私はいまいちど“夢”に対して一所懸命に“死ね!”と言い掛かった。必要なら百万回でも言える。“夢”こそすべての元凶かもしれない。私自身を支配させはしない。
 私は下らない“お喋り”の間にほんの少し睡眠状態だったのか、ある夢のようなイメージをみた。通路の底面に水に浸ったいくつかの階段と平らなテラスとが交互に繰り返し続いたような像だった。その瞬間、私は“ これは夢だ!”と自ら言い聞かせた。すると、そう言った直後、その像の代わりに、土でできた粗い模型のように,ある小さな建物の左側に教会堂の尖塔部分のようなものが付いた、2階か3階分くらいの外観といくつかの窓のように開いた部分がイメージのようにあった。それはいくつかの別々の建物がアパートメントみたいに並んで小さく合わさったような( 西洋式というよりはどこか東洋風の )形だった。
(が、それらはほんの一瞬で“ 光景 ”というには希薄だったので、私はそれらを従来の“ 夢 ”における“ lucidity(光-妙)”とは思わない。私自身が低下した、視察監督のなかった“ 夢 ”の状態では、私は観察者として同時にそこにあることが難しい。“ 体外離脱 ”体験的であった場合には私はそこにあって“ それら ”を眺めることはできた。しかし私はただ見ようとしたのでそれらに自由に改変するという試みをやめてしまった。私があるコンピュータの不可視だったデータをなんなのかと見ようと思えば、私はそのデータ自体に同時に作為を働かせることはできない)。

2012年11月11日 - “かなしばり”の向こう

・その状態の前(睡眠前)の状態は、
ここ数日、私は一々画像の再調整などをしながらも、“私自身のこれらはすべて私に還元される問題だったので誰にも関係はないのだ”と態度をあらためていた。昨晩も私自身に対して“邪魔をするものを排除する”とつぶやいていた。私は“色彩工学の基礎”という本を読みかけてその開いていた頁と頁との間にまた私の右手の人差し指を挟んだまま、肉体は割合リラックスしたような状態で寝た。前日私は“胸の内を通さずに下腹部の方へ一点にしてみよう”としたが、前日中は私が前に書いたようなちょっとずつのイメージのような絵が発生しかけては消えるといったことだけで、私の記憶に残すような夢もなかった。
 昨晩、私の作品画像整理の途中で少し離れかけたときに、また私の頭の中で微かに“ガサガサ”いうような雑音のようななにかがあった。それらは毎回一瞬(一晩に一回)だったので私はあまり気にしていなかった。それは私が以前に“かなしばりの前兆”と書いていたのような“雑音”を想わせた。

久しぶりに“ 何かが向こう側からやってきた ”かのようだった。たぶんそれまで睡眠状態だったのが、私の体が固まっていたところ、私の側に“ 指 ”が差し向けられた。その直後、私は以前の夢である青年のような姿に私の両手をかけたときにその両腕をつかまれたように感じたことを想った。また、読みかけの本に私の指を挟んでいたこと、それがある意識というよりは“ 私に向かってきたもの ”としてそこにあったのでは、と私は思った。私の指は“ 挟まれた ”側であったのかもしれない。( 私が起床するまでのどの合間だったかはっきりとしないが、本に挟んだ状態でのその人差し指の先の部分に例の軽い痛痒さがあった )。
“ それら ”は外側からやってきたのではなく、私の“ 外 ”からきたようななにかだった。

私は睡眠前にBS放送で“LOST”の続きが放映されていたのをたまたまみた。私にはかれらのせりふなどはどれも逆の意味だった。なぜならそれは“LOST”だったのではなく“願望成就”だからだ。私は“今朝の天気予報”表示をみては“ああ、今日は雨だな”などと思ってしまう。なぜなら外の天気は曇りがちだからだ。しかし、そういうしたたかさは私のこととは関係なかった。

その私の室はなにかマンションの屋上にでもありそうなひと部屋のものだった。三方か四方の壁にそれぞれ窓があって、そのうちの一つの向こうに他の住宅等がみえた。その室内、ある壁の真ん中にいくつもの電気関係のスイッチ類のようなものが整列したように取り付けられていたところへ、私の父があたかもいったんやりかけた作業を変えたかのように“この窓をやめよう”と言った。
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 その室内の左端に前後に並んだようないくつかの机など。私の前の席に男がいたようだ。黒い長髪の男が私の目の前の白い机の面にいくつかの新聞紙と雑誌のような物を置いて“2つずつだ”と言った。私はそこから一人に一つずつもらって残りを後ろの者に渡せばいいのだと思った。雑誌の数は足りなかったので私はそれをもらうことができなかった。
 小さな別室の卓の前に黒い長髪の男が掛けていたのがみえた。私は彼に近づいて先ほどの雑誌をみせてくれないかと言った。彼のみていたPC用モニターのようなものに日本列島の形が映されていた。その北側半分の中心辺りに赤い線がやや蛇行したように伸びて上がっていった。それは青森・津軽半島の手前のある一点で止まった。そこに“森ヶ○”という地名のような名が表示された(その3番目の文字は不明)。
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[これらのどこかに“夢だ”と気付いたところがあったのだが、私は具体的に想い出せない。思えば、“電源関係のスイッチ類が並んでいた”の部分は、なにか同一の形状の物がある部分にいくつも並んでいたという点で、私の昔のある明晰夢の場面のようでもある。(そのときには私は気付いていなかった)。]

寝床でいったん“これらをメモしよう”と思った後、私はある意識的なイメージそのものに“停止”させようとした。それは光景ではなかったが、なにか家屋の外観(外壁)のようだった。私が“止めよう”とした瞬間、それはまるでブレーキを掛けられて振動しながら止まったかのように私の中で動かなくなった。