KOUSHIROU_A1 ( 編集-未整理 )

2012年1月1日

私はおねしょをやめた。
今年は(私)なにかやってみよう。
私自身の“要請”は消え去った。
ある未来という希望のようなよろこび、誕生。

2012年1月4日 - シリンダーの中

一昨日、ある夢で、私はシリンダーの中にいた。すべてはそのシリンダーの中だった、その他のものなどはなかった。
 その後、頭痛とともに起床するのが私にはつらかった。眼の周囲が凝り固まったかのようで、私には偽だった(私の体が寒さに堪えていたせいだったのなら、私は厚着をしてでも私の体を保温しなければならない。)
“(私が)眼にすっきりとしていない”ということは、“我慢”があるということだ。青春映画"The Fight Club(1999)"主人公タイラーダーデンに向かって、名前のない修道僧が最後に言った"My eyes are open."は、私にはタイラーへの対峙ではなかった。ある“対象”という嘘を解消したとき(映画の彼にとってそれは銃口の何なのかを気がつくことだった、)私は楽天にいる。

2012年1月7日 - ふしぎのモアイ像

ファッションモデルAが室内にいた。私はAにきっかけの言葉をかけようとした、だが「あなたは犬を飼っているんですか?」「あなたが今飼っている犬は5匹目くらいですか?」という言葉だった。するとAはそのフロアの中にいくつかのモアイ像のイメージを見せた[室内の光景と別に、そこに浮かんだそれが絵のようだった。] それらは背を向いた4体ほどの石像と、その向こうに正面に向いたいくつかの石像たちだった、(あたかもそれらが円の中に向いていたので)私にはそのようにみえたといった形だった。それらの顔の部分には一様に(簡単な線で描かれたかのような)ヒゲのようなものが付いていた。それがAの答えだった。

2012年1月9日 - なぞの黒いからだ

ある小さな自動設備の一部みたいな屋内の一室。(私は)ずっと作業待ちのまま室内に立っているような状態で、別の室内での徹夜の不寝番の後だった。前の室には3人ほどのアルバイトの男性がいたが、(私は)そこから出た後、別の機械室のようなところに入っていた。その長細い室内に、黒い機械設備のような物が一台横たわっていた(その本体は真っ黒で、その表面に、青い光に何か表示した液晶画面のような物がひとつ、私に近い位置にあった。その機械自体の高さは人の背丈よりも低かった。それは狭い室の端から端までほぼいっぱいの長さだった。)とても私の喉が苦しかったので(私は)数秒おきに無呼吸を堪えていた。そこには30才代くらいの主任か専任の係の男性が2人いた、私の様子をみたのか「(あなた)どうかしたんですか?」とそのうちのひとりが私に訊ねた。その人の顔をみながら「今にも(私は)眠ってしまいそうで」と私は正直に言った。(私から少し離れた)その室の出入口のそばで、その現場主任たち2人はその手に持った紙パッドのような物に現在の生産量について書き込んだり互いに何か話したりしていたようだったが、私には無関心な様子だった。

[私にはその場の無関心な様子だった。なぜなら、そこにいた私自身は偽者に対して無関心になったからだ。偽者たちのアルバイトの室からそこに入った(私)、黒い“機械”のようなものの前に私は立っていただけで、もう作業も何もしてはいなかった。
 睡眠中に苦しくなったのでその状態で息をするために(私は)繰り返し私の喉を動かそうとしていた。夢での状況は睡眠不足そのままだった。その後、私が寝ている間に何度か吐息のように声に出たかのようだったので、そこに言葉があったのかどうか確認のために私はそれを録音してみたかったが、テープレコーダーに自動録音開始用センサー機能がなかったので、「それと同時に私の手を使ってそのレコーダーを操作することはできないな(無理だな)」と私は思った。]

何かの事務室のようなところだった。その奥に入った(私は、)狭い室内に6×4台ほどの各PC卓の前に掛けて何かやっていた者たち[それらのPCモニター類はどれも同じ型の黒みがかったグレーだった。教室というよりは、それらは何かの作業中を思わせた。] それらの前列の真ん中からやや右寄りに座っていた者の(その後ろ姿の背の右側その上に)大きさ1メートル半ほどのオレンジ色の幟が立っていた。そのひとつかふたつ右に離れた位置にあった者の後ろ姿の右側に、同じ高さの青い幟がひとつ立っていた。それらはそれぞれK党(S学会)と、K実現党(Kの科学)のしるしであった[それらはそこにそれぞれ大きな荷物か背嚢みたいな物などと一緒にあった。戦国時代の幟などを思わせる。](私は)その室を出た。
 オフィス用ビルディングの外側の広場みたいなところで、その真ん中に置かれた一台のPCの表示画面を私は見ていた。そこに女の警備員と思われる者がすぐにやってきた[服装は警備員ではなかったが、その見かけは白人女性だった。その女が私に拳銃でも向けたように、私に即刻止めるようにとその女は言った。] 私の一方には他に数人がいた。その女に向かって先ず「You're not Komeito.」と私は言った。それから簡単に「I quitting it.」などと私は言った[このような動詞型が一般的なのかどうか私は知らないのだが、]私の目の前のPCモニターの動作を私はすぐに終了させようとした。

2012年1月10日 - 中心の光

またもや気分に出来なかった夢の後、寝床で私は意図的にひとつであろうとした。この身体の中心に光を定点しようとした私は、その中心の光と、その一定の周りの球状の淡い雲のような不均一のものをみた。それがあたかも中心の光(星)とノイズ帯(球・星雲)のようだった。しかし、その中心の星以外のノイズ帯の部分が薄青く不均一にみえたということは、完璧な現象ではなかった私(それはかつての「一点の光から放射したような美しい青い光のもののようにきれい」ではなかった。)それらは一体ではなかった、外側の雲は中心の星から離れていたし、私が視点もその外側からだった。それらは分離を表わしていた。光が時空を超越するものなら、かつての青い光はすでに完成された(私の)ものからの現われに違いなかった。

2012年1月14日 - 私がみなかった映画

今週、夢見に中心することが難しくなっている。私はつぶやき組を処分しなければならない。これらに関して、概念的に一致のない(具体性ではない)雑念の類いを排除するべきだ。「ものたちの印象を消す」ということは、関心をここに呼び戻すということだ。睡眠中の通常の夢はいくつかあったが、私が記録するほどのものではなかった。
 目を閉じていたとき、そこに特定の形のようなものが浮かんできた場合もあった。不思議なのは、それらの特徴的にみえたりする部分がどのように発生するのか(私には判らない。)思いたがる人類にとっては未知の、希望や心象が形あるもののようにみえることもあるのだろうか。
 今週、“家族”などの印象を反転的に私の理想と入れ替える試みを私はやってみた。それらを直接私の中で改変した。私にとってはこれこそが“拡充”法だ。しかし他人に悪影響を及ぼすようなメイクアップを私は一切しない(私は他人に対して嫌な言葉を遣ったりはしない、障害や矛盾を私の中に作らない。もしそれらが私の中にあるなら、レイプ欲に過ぎない。Kステータスも参照のこと[ 現在-収録無し ]。)それらが単に“私自身”の問題に過ぎないものなら、私は純粋に私自身を改訂すれば良いのであって、「誰もお金のために他人を動かすことは出来ない」のは明白だ。だから、ここに私が発生しないなら私は実在できない。例えば路上で「私はどこへ行きたいんですか?」と言ってみたり、レストランで「私の好物は何ですか?」と周りの者たちに訊ねたり、寝床の上で「今日は何をしたいんですか?」と空気に向かって訊ねるような詰まらなさだ。それはそれだけだ。だから私は目的を見つけるだろう。

[ちょうど以上の日記を私が書き終えた時間に、『Mr. ビーン』のおどけ演技のような印象が浮かんだ。Macを終了した直後の午後1時過ぎ、私は外へ出かけようかと思いながら新聞紙を開いた、そこで最後にその新聞のテレビ番組欄に目をやったら、そこになんとちょうど午後1時からのある映画版『Mr. ビーン~』放映予定が載っていた。私のみた印象とほぼ同時だった。しかし、私にはじっと視るような類いの映画とは思えなかったので、「私の未来からの現象ではない」と私は思った。テレビは朝から消してあったし、誰かとそのようなテレビ番組について事前に話したわけでもなかった。未来の記録からの印象ではないとはっきりさせるために、その映画については私は1コマも視ないことにした。しかし、私の記憶にはないが、先日、近日中の映画放映についての予定表を私は簡単に確認したことがあったので、その一覧表の中のタイトルがどういうわけか脳に記録されていたのかも知れない(私の不意にも“タイマー”が働いたのかも知れない。) 私の本質がそのような映画を視たいなどと私に言うとは私は思わないが、不思議だったのでここに記録しておく。]

2012年1月16日 - 脳内の「連索」

先週末、久しぶりにロバート・A.モンローの最後の著作『究極の旅(Ultimate Journey)』を私は開いた。その最初の章に書かれてあった『意識というものは、電流が止まったとたんに消え失せてしまう電磁石の磁場のようなものなのだろうか。だとすれば、「電流」を変化させると、意識も薄れたり強まったりするのだろうか。もし私たちが実際こういうことをしているのだとすれば、やり方も知らずにやっていることになる。いったいどうしたら、そんなことをコントロールできるというのだろう。』
 そうだ!! なんと良い質問なんだ!! そこで私はこう思えた──もしも脳内の特定記憶の連鎖のみによって意図を発生させることができるのなら(脳にはメモリーしかないはずなので、これ自体が大変なことだが)第一の「私」はどのように“行える”のか? どうして睡眠中の夢において私は出来なかったのか、または、なぜ睡眠中の夢において「夢だ」と私は気づいたか?(これらについて“意識的”といっても工作にならない、この問い方自体であることの矛盾性、愚問としての“明晰夢”という標示。)
 ある「連索」を作ることによって夢見を活性化することが可能か?

今朝の睡眠中には、一瞬「自覚夢」に近づいたかのように、(私がずっと私の目蓋を閉じて何もないところを私が眺めたような感じで、何も私の視界に浮かんで来なかったが、あたかも私の目の前のものに急にオートフォーカスが効いたかのように一瞬はっきりとした。) そのように何度か繰り返された。

何か小さなテーブルに向かい合ったかのようにひとりの女がこちら向きに掛けていた。たぶんもうひとり女がその場にいた、何か話をしていたのかも知れない。その女が急に立ち上がったので、その化粧された整った白人女性の顔が手前に接近した(その瞬間に普通の光景のようにかなりはっきりとみえたのだが、細部の記憶にならない。その“女”の両目は閉じられていた。黒っぽい洋服姿で、たぶん膝上丈のスカートだった。)

目の前に女がひとり立っていたかのように、小学生用の体操着姿のような格好だった。その顔は普通に日本人女性みたいで、その首筋くらいまでの長さのやや後ろに流れた黒髪、その顔は横向きだったがほぼ全体がみえた。
 私は少し興奮しながらその女に近づいたところで「あなたの名前は何というんですか?」と私は2~3回繰り返し訊ねた。その体操着のような白っぽいものの少し前に出た胸部分の右側に、手書きの大きめの文字みたいなものがいくつかあった(ネーム用の枠からはみ出したようないくつかの漢字で、私がみようとしたうちにそれらは最初の文字から他の文字に替わっていたようだ。上から「島」「津」などと私には読めたが、私はその別々の文字すべてを起床後まで憶えていられなかった。後で、それらの文字の書体がペン字というよりは板のような物に単純に刻まれた形を思わせた。)

[その“女”の顔自体には私の見覚えはなかった。だが、思い返してみようとすると、私のある何気ない顔のひとつだったのかも知れない。しかし、ある漢字などの文字が私の見ていたその場で他の文字に入れ替わるという変化は、私の夢ではほとんど例がなかった。私の夢での画像はたいてい通常の視覚的光景のような固定的にそこにある物をみた印象と違わなかった。]

2012年1月20日 - “若葉マーク”

壁一面に等間隔に窓がいくつも並んだビルディング。それらのどの窓のガラス部分をもほとんど覆ったほどの大きさの白い標識がいくつもあった。[自動車用の初心者マークの形にそっくりだったが、それらは無地で白かった。その場では(私は自動車に関係なかったので)そこに“若葉マーク”という印象では見なかった。]それらのいくつかはある単純化された配線のサインを思わせるような意匠だった。そのビルディングの前には大きな空き地か駐車場のような何もない四角いスペースがあった、その建物に近いところに黒い仕事用スーツのような洋服姿の若い男性たちが一列に並んで何か“新人社員たち”でもやっていたかのようだった。
 私はその空き地の前を平行に歩いて行った。その周囲にはいくつかの(特徴のない)普通の民家のような建物があった。道端の電柱の手前に小さな暗い丸い部品とそれを収めていた何かのケースみたいな物が落ちるのを私はみた(私はもうひとつ別の物を手に持っていたか、それが私の手にあったとみた。)私が手を伸ばしてそれらを拾い集めようとした一瞬、私がそんな物など必要としていないはずなのにわざわざ拾い集めてノベルティグッズなどもらっておこうとしたのを私は詰まらなかった。「オニイチャン、」そのとき私の左側に男がひとり立っていて私に言った。

[これは私には私の夢ではなかった。ビルディングと窓ガラスの白いサインなどはある1970年代を思わせる。いま別の会社のようなところに無理やり私が“仕事場”と言えば、若手の新人たちからも初心者扱いされるだろうという不安があったので、それがその情景として表われていたのだという私の見方もある。私には常に“もったいない”という嘘があった。販売促進用の詰まらない物でも拾っておこうと私は本気で言ったか? いいえ、それこそ初心者だった。その路上に落ちた“部品”の部分は、その前の夢の場面からの続きだったのかも知れない、それが何だったのか私は思い出せない。しかし、そのときには私は気づかなかったのだが、その小さな暗い丸い物は小型電池の形を思わせる。もう少し厚みのあった丸いプラスティックみたいな物からそれが外れて先に電柱の手前に落ちたかのようだった。それらにひとつの構成的な物としての特徴を私は見なかった。
 手に持たれていたもうひとつの物は、たぶん10センチ角ほどの大きさで、外観的な印象としての私の記憶にはならなかった。]

2012年1月22日 - “私の両目は開かれている”

両目を閉じたはずだった私だが、私の以前の夢には出来なくなった。 Kステータスに私が残したように、動物は“自分”という要求によって動いていただけで、精神的ではなかった。しかし、日々“霊体”はいなくなる。
(虚心もなく)開かれた両目にいたとき、いくつかのイメージというよりはいくつかの印象を私はみた。それらは私には記憶に基づいていたようでもあったが、何か“想像”とも言えないものであった。両目は開かれているようでも、案外何も見ていない。いま「両目が(ここに)いる。」

2012年1月25日 - 寂れた町と黄金像の男

モーテルのようなところに泊まっていた女性2人の部屋に、突然機関銃で撃ってばらばら死体にした者があった。 
(そこでは彼女たちの姿はみえなかった。暗い室内の毛布の隙間に打ち砕かれた片手の部分のその指先だけがみえた。) 戸口に現われたその顔は、少年のように若くみえる黒髪の白人だった。

ある小部屋のような室内、(“ミスター・ビーン”がそこにいるという条-況で、)人間の顔と何かの合成されたような黄金色の像が立っていた。それは次に違った姿にみえた、その頭の部分に同心円状に等しい何本もの突起みたいなものが水平に出ていた(丸みのついた突起がいくつもその頭から出ていた。)
(私は)左側に男に向かって、「お前がチャーチルだって言えばいいんだ!!(お前がチャーチルだったと言ったらよかった!)」と私はそれに怒鳴りつけた。すると急にその面にいくつもの白人男性などの顔の特徴が一瞬ごとのコマ写しみたいに次々に現われた。
[私の印象として残ったそのうちのひとつはTVドラマ『ヒットラー:悪の浮上』のゲーリング役だった男性の顔で、もうひとつは映画『JFK』でオールドマンに言い係ったキューバ関係の役の男の顔のままだった。それらは“他人”みたように私自身にとっての仮面の数々だったのかも知れない。]

淋しい商店通りみたいなところで、薄暗い建物の出入口そばに立て掛けられてあった“英会話のイーオン”の看板ひとつを私は脇に抱えて歩きだした。[その看板は60センチ×1メートル以上の比較的大きな、工事現場サインみたいな縦長の長方形のものだった。また、商店通りといったが、その看板が置いてあったところは、かつての繁華街の寂れた場所のようだった。]私はその看板を抱えたまま路上を歩いた。例によって通行者たちのうちの数人の女性が通りかかるときに私に何か気にした様子だった。ある瞬間、私が抱えていたその看板は薄い透明袋みたいな物に入れられてあった(私はそれをみた。その感触を私の右手にあるかのように覚えた。) 私は暗い路上からいったん地下への連絡通路に降りた(タイル張りと照明された地下鉄駅への通路のようにみえた)が、私はまた路上に戻った。[私はそこではいっぺんも“車”に気がつかなかった。その初めから私には“自動車”の類いなどはいなかったのだろう。]

薄暗い小さな裏路を抜ける前に私はそこに歩いていたある白人男性に向かった。それは小肥りで髪が金髪というよりは白銀、たぶん白い2ピースの洋服姿だった。(私が出てきたその裏路からその男が離れて歩いてもうひとつの通りに出ていくところを)私は特徴的にみてその姿を目で追った。そこはあたかも狭い裏路地といった通路で、歓楽街の者たちが歩いて通るところのようだった。[光景としては全体に薄暗かった。その裏道の様子はいかにも少し古い時代のようだった、背中の肌のみえる黒いドレスなどを着た女などが歩いていた。]

そこで、私はテープレコーダーにそれまでの3つほどの夢について吹き込もうと思ったのだが、また面倒だった。私は白紙に鉛筆で◯内に3の数字を書き入れた。特徴的だった先ほどの変化したいくつもの顔について、私は書き出そうとした。だが、私の手はほとんど何も綴らなかった。
[しかし次に気がついたらそこに私のメモはなかった。それも“偽りの目覚め”の夢だった。これらの夢の一連性やそれぞれの順番などは不確かなので、ゴールドの像をみた場面が本当に3つめだったかどうか、いま私は判断できない。]

2012年1月27日 - ヒョウタくんと天文ドーム

[どこか日本の都市郊外にでもあるような民家まばらな通りからちょうど奥に向かってひとり分の幅の歩行路が続いている。目視の距離では数百メートル離れた(小道の先の少し左の位置にみえる)ところに大きな銀色張り一体の丸い形のドームみたいなものがあった。その背景の前に7才前後にみえる男の子がひとりいた。]その男の子はまっすぐにこちらに向いているようにみえたが、その鼻孔ふたつが(暗い豆などのように)開いていた。その男の子の光景を記念写真みたいに撮影画面に収めようとしていた(その確認画面上での輝度設定が高すぎると、撮影された画が全体にハイライト気味の絵になって細かいディティールが出ないので、例によって一度撮影した画をみてから段階的に調節してみた。) その男の子の名前は“ヒョウタ”といった。 [ところが、次の瞬間“ヒョウタくん”はそこにいなくて、その動く姿が天文ドームの銀色の表面に写り込んでいた。しかも背景ではなく、そのドームの像はすぐ手前にあるもののようにみえた。]

[この夢の直後に「私はヒョウタくんという実在の男の子をどこかにみたのだ」と私はいった。しかし、私として考えてみたら、その最後の部分の「ドーム表面に写り込んだその男の子」という絵が、それ自体の表現だったのかもしれないと私は思った。詰まり、それは“そこ”にあったのではなく、私は手前のものだったのだ。すると、背後にみえた天文ドーム(プラネタリウム)こそ、一見無関係でも、実は科学的関心の象形だったというのが私の見方だ。それは“内側”に投影されたものでありながら、あたかも外観であるかのようにみえる(家屋や町などがいつも人気なく閑散とみえたのは私には当然だ。) しかし、そのドームの一方には天文観測所の施設にあったようなスライド式の蓋があったようにみえた。だから、外観としてみたらそれは密封されたガスタンクのようでもあったが、銀色の長方形タイル張りされた“ドーム”には重量感があって、中身は空疎でも一定の機能を有しているはずだ。
 たぶんその睡眠の前だったと思うが、私はちょうど名古屋市の科学館のプラネタリウムの面白くなかった点について思い出していた(昔の同所のプラネタリウムでは“星々”の光に青みがあって結構リアル感があった。なのに、近年の表示ではまるで暖色ランプのものみたいに詰まらなく、それぞれの星の輝度というよりはそれらの位置関係などを示していただけといった様子であった。)昨年その施設は大きな“球体”の外観に新築されたのだが、私は未だに誰からも実際の評価について聞いていない。

正常な夢見への視点・判断について,「Kステータス - ものと存在」 同日記事も参照されたい。( 現在-収録無し )]

2012年1月31日 - なぞの少年たち

私が家の玄関に入ろうとしたとき、白シャツ姿の若い男のようなものがオープンカーに乗ったような形で(どうしてか私の方をじっとみながら)その前に停まった。私は(気味のわるい奴だな)と思いながら「何か(私に)用か?」と私は訊ねた。その男のようなものは曖昧な口調で何か言いかけた。
[この夢の直後に、もしまたそのような夢のその場で私が完全に夢での状況だと分かっていたなら、試しに“それ”とセックスのようにすることもできるかな、と私に思った。]

私は室のトイレのようなところにひとりで入ろうとしていた。そこに何かが入りかけたので、私は個室の扉を内側からスライドして急いでそのノブの回転式の錠を回してロックを掛けようとした。[あたかもそのドアの擦りガラスを通してみえたかのように]その向こうにひとりの少年のような姿が近づいてきた(それは私の妹方の甥っ子に似ていた。)私は夢だということを分かっていて、彼にその甥っ子の名を呼びかけようとした。が、ノドを動かすことができなかったのでそれらの言葉通りに発音できなかった。
[その姿のすぐ隣にもうひとつの男の子のような姿があった、その甥の弟がいるのだろうかと私は思った。しかし、そこに立った彼らはどちらも白いマッシュルームのように無言・無表情だった。]
「これは夢なんだよ。(これは夢なのです)」とそこにいる彼らに言うように私は言おうとした。
なにか扉の開かれた隙間からこちら側に入り込んできた者をみた瞬間、私ははっとした(開きかけた扉の隙間からその頭だけが傾いて私を覗き込んだかのように、)それは顔面のみ白塗りの、両目尻に古風な化粧されたような若い女の面と分かる顔で[余り開かれた両目ではなかったのでその表情などは私には不明だったが、別段恐ろしげというわけでもなく、普通にちょっとバスルームの様子を覗いた女がいたといった印象だ。]
私はそれに見覚えがなかった。

[それら“少年たち”それぞれの姿は、その夢をみていたときの私のペニスの勃起度に比例していたのかも知れない。“ガラスの向こうに現れた白い姿”というので、その夢の後で映画『A.I.』の場面が私には連想された(もっとも、私の場合と違った、スピルバーグ映画のそれはおそらく水平な波ガラスの類いだったが、観客としては夢でも映画でもそれら映像体験についてある“物品”などと言わなかったものだ。) 以前“ 白いドレスの3人のお嬢さん ”として現れたときには、それらはやや人工的装飾と気分だったのかも知れない。
 こう思うと、私は「私のペニス、私のモノ」という自覚を高めるだけで夢見に効果的なのだろうか、という。- [ 同日記録その後、次ページ ]