1d
私たちはそれらを“他人”の心的イメージに投影することで、
〔明晰夢──夢見の技法:第7章 実践的な夢見──明晰夢を応用する p.190 - p.192より 〕:
《 Saint-Denys
》 私は私自身が夢を見ているとは気づいておらず、(私は)忌まわしい怪物たちに追われていると思っていた。私は無限に続く部屋から部屋を通り抜けて逃げていた。私は部屋を仕切っているドアを開けるのに手こずった。(私が)背後のドアを閉めるたびにすぐさま、再びドアが開けられるのが聞こえ、怪物がぞっとするほど行列していた。怪物たちは私を捕まえようと実に恐ろしい叫び声でわめいた。私は捕まりそうだと感じて、はっとして目覚めた。息は切れ、汗びっしょりだった。
〈 S. LaBerge 〉 同じような悪夢が、“そっくり同じ恐怖感をともなって”、6週間のうちに4回繰り返された。だが、“4回目の悪夢がおこったとき……”。Saint-Denys の続きをみよう。
《 Saint-Denys
》 怪物たちが再び私を追跡しはじめようとしたまさにそのとき、突然私自身の置かれている本当の状況がわかった。こうした架空の恐怖から逃れたいという私の願いが、恐怖に打ち克つ力を(私に)与えた。私は逃げなかった。その代わり、(私が)意志の力をふりしぼって壁を背にして幻の怪物の顔をじっと見つめることに決めた。これまでのようにちらっと見るだけではなく(私が)今度は怪物をじっくりと調べようとしたのだ。
〈 S. LaBerge 〉 明晰であったにもかかわらず、彼は“初めはかなり強い感情的ショックを味わった”。そして、“何かが夢の中に現れるとき、それは(私の)見ることを恐れてきたものであり、それに対してあらかじめ警戒されていた場合であっても精神に相当な影響を与えることがある”と述べている。それでもなお、この勇猛果敢な人物は止めなかった。
《 Saint-Denys
》 私はその親分格の敵を見つめた。それは大聖堂の門に刻まれている毛を逆立て顔を歪めた悪魔にどこか似ていた。すぐに私の学問的な好奇心が他のどんな感情にも打ち克った。私は非現実的な怪物が2歩~3歩離れた所で停止しシューという音を立てては跳び回っているのを見た。(私が)いったん恐怖を克服してしまうと、怪物の行動はただの戯画に思われた。私は怪物の手の──あるいは足のと言うべきか──鉤のような爪に(私は)気づいた。全部で7つであり、それぞれが非常に正確な輪郭を描いていた。怪物の姿はなにからなにまで緻密でリアルだった。髪やまゆ毛、肩の傷のように見えるもの、そしてその他たくさんの細部まで、事実、これまで夢で見た中で最もはっきりしたイメージの一つだったろう。おそらく、このイメージはあるゴシック風のレリーフの記憶からきたと思われる。いずれにしても、怪物的イメージの動きや色は確かに私の想像力が創り出したものだった。(私が)この怪物の姿に注意を集中した結果、怪物の侍者たちもみな魔法がかかったように消えてしまった。まもなく親分格の怪物の勢いも衰え精密さがなくなり輪郭もぼやけてきて、最後には獣の皮が浮かんでいるような感じになった。それはカーニバルのときの仮装服店が通りの目印として使うような色あせた衣装に似ていた。それからあまりはっきりしない光景が続き、とうとう私は目覚めた。
《 夢の操縦法:第3部 第2章 p.209 - p.212より 》:
配慮と意志──次に私が述べるのは、多くの人が見ている夢である。私の友人の何人かは、とりわけ風刺漫画家として最も有名な一人は、私が見た夢とほとんど同じ夢を語った。
《 私はそれが夢だとわからないまま、恐ろしい怪物に追いかけられていた。果てしなく連なる部屋の仕切り扉をつぎつぎと開けて逃げていたが、恐ろしい怪物がすぐに後ろから追ってくるので扉を閉めることもできないのだった。怪物は私に追いつこうとして恐ろしい唸り声を上げていた。私は追いつかれそうになって心臓は脈打ち汗びっしょりになってはっと目覚めるのだった。
どうしてこの夢を見たのか、そして何が原因なのか、私にはわからない。最初は病理学的な理由によったのだろうが、6週間の間に何度も繰り返されたのである。それは明らかに、私の抱いた印象や怪物がまた現れるのではないかという本能的な恐れによるものであった。夢の中で扉の閉められた部屋にいると(私は)、途端にこの忌まわしい夢が思い出された。扉に目をやり(私は)その怪物が不意に出てくるのではないかと恐れると、かつてと同じ光景や恐怖が同じように現れたのである。夢の中で夢を見ていることを意識できるようになってから、怪物が出てきたとき、それが夢だという意識が弱ければ弱いだけ、私は目を覚まそうとした。しかしながら、ある晩、4度目の夢で、怪物が私を追いかけ始めようとしたとき、私は突然真実に気がついたのである。悪夢と戦おうという気持ちが、私に本能的恐怖に打ち勝つ力を与えたのである。(私は)やみくもに逃げ出さず、この状況をあえて把握しようとした私は城壁を背にして慎重に夢の怪物を熟視することにした。見られるよりは見てやろうということだ。精神が、すなわち先入観が恐ろしい幻想を否定することは容易ではないので、最初の精神的衝撃は強烈だった。私は凶暴な怪物を見つめたが、それは大聖堂の入り口に彫られた逆毛立てて顔をしかめる悪魔にそっくりだった。確かめようとする意志がどんな感情よりも勝っていたので、私は起こっていることを観察できた。夢の怪物は私のすぐ近くに止まると呻きながら体を動かしていたが、恐ろしいと言うより滑稽なものに変わっていたのだった。俗に言うように手足の爪が7つあり、形がはっきりとしているのに(私は)気づいた。眉の毛や肩の辺りにある傷やほかの細々としたところが精巧で、それは最も明晰な幻視と言うことができるくらいだった。これはゴチック教会の彫刻の無意志的記憶によるものだろうか? いずれにせよ、私の想像力が怪物に動きや色彩を与えていたのである。(私は)この視-像に精神を集中させることによって思いがけずその要素を消滅させることができたのである。その視-像はまもなく動きが緩慢になり、輪郭がぼやけて雲のようになり、最後はカーニバルの仮装品店の色あせた洋服にも似たふわふわした脱け殻に変わったのだった。その後、無意味ないくつかの光景が続き、私は目が覚めたのである。》
以後、この夢が繰り返されることはなかったが、私にとって、意志と配慮が夢の経緯に影響を与え得たという点で、おそらく今でも間違いなく特別な経験であった。ある晩、私は眠っていたが、明晰な意識を持っていた。ただ夢に現れる幻想を何となく見ていて、私自身の意志の力だけで幻想を喚起できるかどうかを実験するのにその経験を利用してみようと思った。(私が)そのために相応しいテーマを探すと、かつて強烈な恐怖を与えた怪物の姿がまざまざと思い出されたのである。私はその姿を喚起し記憶の中から引き出し、私のできる限りの力で夢に見ようとした。この最初の試みは成功しなかった。私の前には美しい太陽に輝く田園風景が現れた。そこには小麦の刈取人とそれを積んだ馬車があった。私が意図したものは全然現れなかったのである。というのも、夢を構成する観念連合は自然に展開する静かな流れから外れようとはしなかったからのようだった。そのとき、まさに夢の中で私はこう考えた。夢が現実の反映とすれば、そこに起こっていると思われる出来事は、脈絡がないと言われる世界の中でも現実の一般的な因果関係の法則と照応するはずである。たとえば、もし私が夢の中で腕に怪我をすれば包帯で吊るしたり気遣いながら腕を使う。もし窓の鎧戸が閉められていたなら光がさえぎられ、あたりは暗いだろうとすぐに連想する。この考えに立って考えると、もし夢の中で私が手で眼を覆ったら現実に目覚めているときの眼を覆う行為に対応した結果が得られるのではないかと推測した。つまり、私が眼を覆えば目の前にあるものを消し去ることができるということである。この眼前の対象物への遮断がもたらされたとき、私の想像力が対象物に配慮を向けるのはもはや容易ではないだろうと私は自問自答した。この推論式に基づいて慎重な実験が行なわれた。結局、夢の中で(私の)目を覆うように手を置くと、想像力だけでは変えられなかった刈り入れの田園風景が消えたのであった。私はまさに現実の生活がそうであるように一瞬何も見えなくなった。そこで、怪物が例のごとく現れる様を思い出して、もう一度敢然と召喚しようとした。今度は魔法のように、その怪物が思い通りにかつて夢に出てきた容貌と少しも変わらず実に明瞭にはっきりとして慌ただしく現れたのである。
Kohshiroh Okedaの読書
LaBerge 博士の著からの翻訳では、《 果てしなく連なる部屋の仕切り扉をつぎつぎと開けて逃げていた 》の夢はSaint-Denys 当人のものだということになっていた。依然として文名人には“悪魔・鬼”の出現を認めにくいというような時代だったのだろうか?
“仕切り扉を開けたり閉めたりしながら部屋から部屋へと逃げる”という私自身の夢として連想されたのは、“女のようなものが追いかけてくる”場合であった。私にはその“女”の正体はわからなかったし、“夢の中”でそれと向かい合ったりもしなかった。私はそのような悪夢ではいっぺんも夢だと気がつかなかった。
Saint-Denys はかなり女ったらしだったようで、私は彼による美少女とのデートのような夢の記述を読んだ瞬間つい吹きだしてしまった。彼の記述にある“アイリスの根の小片の風味による実験”の効果といった部分にも、彼がある“フランス座の楽屋にいた”場面という設定が出てくる。
《 ──
魅力的なX嬢が楽屋に入って来た。黄金の小さな花を散らした薔薇色のモスリンのショールに琥珀と真珠のネックレスを着け(彼女は)そこから色の着いた石を下げた出で立ちだった。古代風のブレスレットが腕に巻かれ脚の優美なくるぶしにも飾られていた。指にはサファイアが輝いていた。彼女の美は理想そのもので、ブロンドの髪には太陽の光が反射していた。『この衣裳、いかが?』と彼女は私に近づいてきた……
》── 『夢の操縦法』第3部 第7章 p.291.
無論、彼の文脈ではそれは“最高にロマンティック”なものだったに違いないのだが、私は“いかが?”のセリフのところで日本の伝説“口裂け女( Kuchisake-Onna )”の話を思い出してしまった。それは私のような少年たちにはやがてくる“キタナイ・コワイ”ものへの恐怖だったのである。
《
私は夢である夫人と馬車に乗っていた。この夫人とは初対面だが、奇妙なことに何の不思議もなく、彼女が私自身か私自身の一部だという気がしていた。私たちは2人が知っている人の家に嫌々ながら義務的に向かっているのだった。途中で夫人が別の日に出直してはどうかと提案した。彼女は頭が痛いので屋外を散歩したいと言うのだった。私は彼女の頭痛は言い訳でたいしたことはないとはっきりわかり、それでも行かなければならないと応えた。》──
『夢の操縦法』第3部 第8章 p.323.
彼がそのページで“予知夢”という言葉を用いて述べたのは、私の見方では、ある夢での諾否において何かを選び決定する者は“自分自身”以外に何もなかったからだいうわけだ。(しかし、Saint-Denys の説明では、その“予知”とは“私が窓の外の芝生が白い霜に覆われていた夢を見たのは、その朝突然寒くなったから”または、“私が串刺しの2匹の狐などの料理の夢を見たのは、狐の臭いが台所から微かに漂ってきたからだろうか”といった程度の、感覚的ものの想像というような問題だ。)
“2人が知っている人”というのがどのような人物または家だったのか示されていないが、“その夫人”はあきらかに一緒に馬車に乗って“そこ”へ行くことに消極的だった。彼女は馬車で義務的に行くことよりも“屋外を散歩する”ことを選んだのだが、彼はそれを言い訳だと思った。
『夢の操縦法』のうちに私が注目したひとつの点は“抽象化と同情”について述べられてあったところだ。
《 純粋に抽象的な次元における抽象化──寛大さ・憐憫・勇気・恐怖などといった倫理的な思考や、大きさ・小ささ・不均等などといった先験的形式によって抽象化された思考のほかに、文明人の精神は社会環境の結果信仰・伝統・象徴などの複雑な思考を多少もっている。こうしたすべての思考は感覚的次元の抽象化とは反対に純粋に抽象的な次元での抽象化と言える分野に生じるのである。
たとえば、かりに私が夢で聖ペテロの肖像画を見てその主題の宗教心を突然抽象的に理解したなら、この抽象化だけで思いついた私の知っている敬虔な人物に聖ペテロのイメージを投影することになるのである。
私は夢に頻繁に現れる精神の働きをこの抽象化の種類によって分類するつもりであるが、この精神の働きはまずわれわれの外部に想像された情況にわれわれを一気に投げ込むのである。言ってみれば、私は2人の人物の口論の証人なのである。想像上私はその2人のうちの一方の立場をとる。もしその立場なら私は何を言うかを考える。そして直ちに私自身の考えとして発言するのである。というのは、そのときには私自身の役割が見物人から登場人物に代わっているからである。
私は恐ろしい事故に遭遇した夢を見たが、一人の負傷者に深い同情を覚えた。私はその男の苦しみがどれほどかと考えると、その負傷者は私自身だったのである。
ある刑事訴訟が私の印象に残っていた。私は殺人事件を思い出し、しかも今まで見たこともない殺人者という以外どんな思考=夢も浮かばなかった。私は心身喪失状態に陥らずにその行為をすることがどれほど恐ろしいことかを想像した。そのときから私はその行為を犯した者の苦痛と一体になった。もしそれが私自身だったら! ところがそれは私自身だったのだ。私は逃亡し私であることを知られるのを恐れた。私は怯えながら殺人現場のすべてを思い出しすべてを後悔した。》──
『夢の操縦法』第3部 第7章 p.302 - p.303.
Saint-Denys は“ある精神の筋道”という語を用いなかったようだ。(私は彼の“抽象的次元での抽象化”という語はより物的な“抽象的次元”をいったのだという気がする)。しかし、例えば近代人には“今日は車を運転したので今夜は車に乗る夢をみない”というような消費された夢の可能性があったと思われる。もしそこで夢見者として“車に乗ろう”と思うなら、映画“インセプション”のコブたちのように“夢を確認するため”という言い訳としての“質感”を利用しなければならなくなる。
(『インセプション』でのそれらが“トーテム”と呼ばれていたのは脚本的に“フォークロアー”の意味合いだったかも知れないが、夢見者にとってのある特定アイテムがイニシエーションそのものだったという言い方では、それはシャーマンのものだ。わたしにはもし夢のために特定の物を選ぶとすればそれは他人の息がかからないような完全に私的なものでなければならず、だから他人に見せたり触らせたりするようなものとしてはいけないという文脈で云われる必要があると思う。わたしはそう思うのだが、どうも映画のアリアドネとコブとの台詞では礼が無い代わりにその意味にもならなかった。
もう一度言おう、わたしの名前は二度と避けようの無い現実のものであった。しかしこれを“ トーテム ”というのである )。
一方、S. LaBerge “明晰夢:”には“感情と明晰さ”に関して次のような引用があった。
〈
シーリア・グリーンによれば、“明晰夢を見るのが習慣になっている人のほとんど誰もが明晰夢の体験を長引かせ高度な明晰さを維持する上で、感情的に距離を保つことが重要である、と強調している”。ここには2つの問題が含まれている。1つは明晰さが失われないようにすることである。感情的に巻き込まれることの一つの危険性は、明晰夢を見る人の意識が夢に再び吸収され夢の役割に再び同一化される可能性である。これは経験豊かな人よりも初心者が多く体験する問題であり、実践を重ねるにつれて、感情的に関わっているときでも明晰さを保つことが簡単にできるようになる。〉──
『明晰夢:自覚の力そしてあなたの夢で気づく』第5章 明晰夢の体験 p.131.
私はこれらのことを前掲として、またHervey De Saint-Denys の著作における夢の記述例などを上げて更に実践編に進みたい。
> 2. 手を見る・夢自体をみるひとつの方法
> 3. 夢を嫌う
エルヴェ・ド・サン=ドニ氏の本からの上記以外の部分に関しての話題等:
通常日記Kohshiroh・9p-10p (2013年8月中 ,現在収録無し)