読書要約文集石の階段】よりの再録。

1. Stephen LaBerge博士の著で引用されていたSaint-Denys侯爵( MARQUIS D'HERVEY DE SAINT-DENYS )の夢日記からの抜粋

連想して私Kohshiroh Okedaの夢記録の場合を付記する


Stephen LaBerge著、"LUCID DREAMING: The Power of Being Awake & Aware in Your Dreams"の日本語訳版“明晰夢──夢見の技法”より )

私( Kohshiroh Okeda )によって下記に引用された各節について部分的にその前後は省略された。“明晰夢──夢見の技法”に抜粋・引用されたサン・ドニ(Hervey De Saint-Denys )の記録からの部分と、“夢の操縦法( 夢の実践的観察とそれを操縦する方法 )”原書からの日本語訳の該当部分とをそれぞれ並記する。
日本語では“私・私自身”という語の代わりにしばしば“自分( jibun )”または“自分自身( jibun-jishin )”という語が用いられている。しかし、これは他言語の方々には通じないだろうことなので、私はあえて“自分”という語に一々( 私 )と書き添えてみた。しかし“私自身”という語の方がすっきりすると思ったので私がそれらを一括置き換えにした。よって、ここでは以下の文中の“自分( 私 )”はすべて“私自身”となっている。また、私はここでは文章そのものに対する改訂作業などは行なわないで( 私 )を挿入するか句読点などを省くだけに留めた。私が都合により部分的に送り仮名を調整したり漢数字表記等をすべて英数字に改めるなどした。

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西洋における明晰夢習得に関する最も早い論文は、

〔 明晰夢──夢見の技法:第6章 明晰夢の習得 p.30 - p.31より 〕

Hervey De Saint-Denys,以下の文中では"Saint-Denys"とだけ表記する》:

日中、私自身の夢のことを考えそれを分析し記録していると、こうした行為が覚醒時の生活における記憶の貯蔵の一部になり、眠っている間に私の心がその記憶を引き出すようになった。そうしたある夜、私は自分のいろいろな夢について書き留める夢を見たが、そのうちのいくつかはとりわけ異常な夢だった。目覚めたとき、まだ眠っている間にこの例外的な状況に気づかなかったことを(私は)非常に残念に思った。絶好の機会を逸した、興味深い細部までたくさん見ることができたのに、と。私は何日もこの思いにとらわれていた。すると、日中それについて考えつづけているという、ただそのことによってまもなく(私は)また同じ夢を見た。しかし、変化したことが一つあった。夢を書き留めるという考えが、連想によって自分が夢を見ているという考えを呼び起こし、今度はそのことに完璧に気づいたのだ。私は目覚めたときもっとはっきり心に残っているようにと、(私は)興味を引いた夢の細部にとりわけ集中することができた。

《 夢の操縦法:第1部 第2章 p.19 - p.20より 》:

私たちの日ごろの行動や配慮は、現実生活の反映である夢の本質に大きな影響を与える。日常生活では真実とは実に平凡なことであり、私がいま報告している観察の端緒である私自身を観察することなど言うまでもないことと思っている。起きている間に夢について思考をめぐらし、それを分析し描写する私の習慣が、精神的諸要素を無意志的記憶に映し込ませる結果となり、その記憶が眠っている間に夢となって現れるのである。こうして、ある晩、私は私自身が夢を記録し奇妙な夢を詳述している夢を見た。この特別な状況を睡眠中に意識できなかったことを、私は目覚めたときに悔しく思ったのである。「絶好の機会が捉えられなかった! 興味あるディティールが掴めたのに!」と、私は呟いた。この思いは数日間私から消えず、私の精神もその思いに捉われていたので、その夢が間もなく再現されたのである。しかし、主題に付随した要素が前とは変わっていたために、私ははっきりと私自身が夢見ているのだと感じ、(私が)目を覚ました時はっきりと夢を覚えているように、私自身が興味を抱いているものに注意を集中させるようにした。すると、この新しい夢の世界はだんだんに広がっていった。それは私がこの研究で幼稚な愉しみとは別のものが見られるようになるにつれて正確な探求の原理となったのである。

[『夢の操縦法』では“無意志的記憶”という語に一々“レミニサンス”という読みが宛てられてある。が、その場に原語的註解釈がないので、英語での"reminiscent(思わせるような)"の形容詞と同じ扱いかどうかはわからない。Kohshiroh Okeda

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こうした人々の中でも最も偉大なパイオニアは Hervey De Saint-Denys伯爵だ。

〔 明晰夢──夢見の技法:第2章 明晰夢の起源と歴史 p.30 -p.31より 〕:

Saint-Denys 》 私は寝入った。私の書斎を飾っている小さな物までも何もかもはっきりと見ることができた。磁気の皿にたまたま注意が向いた。その皿は私が鉛筆やペンを入れているものでとても珍しい装飾がなされていた……私はとっさに思いついた。(私が)覚醒時にこの皿をみるときは、それはいつも完全な形をしている。夢の中でこれを壊したらどうなるだろうか? 私の想像力はどうやって壊れた盆を表現するのだろうか? 私はただちにそれを粉々に壊した。そして、その破片をつまみ上げて綿密に調べてみた。割れた線の鋭い縁や、装飾模様がいくつかに分かれた割れ目を(私は)観察した。私がこれほど鮮明な夢をみるのはめったにないことだった。

《 夢の操縦法:第3部 第4章 p.239より 》:

── 私は眠っていた。仕事部屋に飾られた小さなオブジェがすべて夢に見えていた。ペン-皿として使っていた独特の装飾のある磁器に(私は)気づいて、(私は)ふと次のような想像をした。私はこの磁器の外観しか見たことはないが、夢の中でこれを壊したらどうなるだろうか? すぐに私は夢の中で磁器を粉々にした。(私は)その破片を取り上げ注意深く調べて見た。割れたばかりの真新しい断面が現れていたが、あたり一面にペン-皿の壊れた破片が散らばっていた。これほど明晰な夢はまれにしか見られない。間もなく私は眠りに陥り、しばらく夢見を意識している状態と意識できない状態が交互に現れた。(私は)見た夢を記録しようと筆を取った。私は夢を記録する夢を見ていたのである。やがて、私は私自身が夢を見ていることに気づき、目を覚ます努力をし、本当に(私は)目を覚ました。

( Kohshiroh Okeda )2010年4月30日:

(私は)見慣れた台所にいて、赤ワインの入ったグラスを持ち上げる。右側にもうひとつそっくりなグラスがあって床に落ちて転がり、見るとその底にワインの液体らしきものが、そのまま造り物みたいに固まっている。そうだ、このワインの味をみよう。色合いは普通に赤ワインのようだが香りがわからない。グラスを傾けて少しずつ何回かすすってみる。マスカットジュースの味だ。台所の側面に小さな鏡があるので自分の顔を映してみる。顔は普通に私の顔面に似ているがやや洋ものがかっている。横を向いて鼻を高くしてみようと手で引っぱり上げようとすると、伸びずにとれて、その下にもうひとつ同じ形の小さな鼻がある。歩いて別の室内に向かうあいだに、どうもいつも通りの光景なので、私はこれは歩きながら夢を見ていると思っているだけの状態ではないのだろうかと思い始めた。

私の場合に関しての付記:

私がここでこの夢の記録を付録したのは、このように(これは夢だ、と)私が気づいていても、そこで私は“物品”等を破壊できなかったのだ、とあらためて憶ったからだ。S. LaBerge博士の本には、別の人たちの夢での物品等を敢えて投げつけてみたり破壊の様子をみたりしたなどの“確認”例がいくつか引用されてあった。が、S. LaBerge博士もそこで述べたように、Saint-Denysなどは夢に予測が反映されるだろうことを考慮していなかったようだ、という意見は当然にあった。だが、Saint-Denysが見たかったのはその“ペン-皿”の割れた面だったに違いない。なぜなら、Saint-Denys当人が述べたように、その“ペン-皿”の外観でない中身が“割れた場合”にどう見えるのかをみたかったからだろう。必ずしもそこに“割れた面への視覚的予測”が働くとは限らない。私ならそこには光る液体のようなものが滲み出たかもしれない。Saint-Denysが“断面にみた物”に関心を惹かれただろうことは“夢の操縦法”の後半の記述にもある。

《 木炭の丸い割れ口は真っ黒だったが懐中時計のフレームのように見えた。うまくデザインされていてそれが時間を示していた。私はちょうど真夜中だとわかった。》── “夢の操縦法”第3部 第8章 p.320 -
“私は数日前骨董品屋で木炭を模した黒檀の玩具を見つけたが、その切り口の一方は羅針盤になっていてもう一方はカバラの記号が散りばめられた星座盤になっていた。”── “夢の操縦法”第3部 第8章 p.322.

むしろ、それらは“予測されたもの”ではなく“想定されている”といったが本当かもしれない。無論、現代人にはSF的イメージや“モーフィング”効果のような映像例を見慣れていることもあるし、何年もCGなどを自作できる私のような者ならもっと自由な合成イメージをそれと思わずにみているかもしれない。
上記の私の夢の場合に、私はワイングラスが台所の床に落ちたところを偶然みたのだが、それは意図というよりは私の怖れ(不安)だったかもしれない。しかし私は破壊を好まないので、物理的法則を無視したかのようにそのグラスは割れずに転がった。と見ることができる。たぶん、もしそれが“包丁”みたいな物だったとしたら、私はそれを空中に止めたかもしれない。(それにしても、私は刃物や突き刺すような夢をいっぺんもみた覚えがない)。当然、グラスの中身も“床にこぼれてはいけなかった”。だから、これは私には自然な夢だったと言うこともできる。この“物品”に対して私は利用的目的にできなかった。

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明晰夢を見る人は次にやることを選べる。

〔 明晰夢──夢見の技法:第5章 明晰夢の体験 p.127 - p.128より 〕:

Saint-Denys 》 ……私は晴れた日に馬に乗って出かけている夢を見た。私は自分の置かれている本当の状況がわかりはじめ、(私が)夢の中で自由意志を発揮して私自身の行動をコントロールできるかどうかという課題を思い出した。「さて、と」と私は独り言を言った。この馬は幻覚でしかない。つまり私が走り抜けているこの田舎の風景は単なる舞台上の風景にすぎない。だが、たとえ私が意識的に決断してこうしたイメージを喚起したのではないとしても、確かにこれらをコントロールしているようだ。私は駆けようと決意して駆けている。私は止まろうと心に決めて止まる。そこで(私は)二手に分かれる道の前に出た。右側の道は深い森へと進んでいるようだ。左側の道は朽ちた邸宅のような所に続いている。右へ曲がるも左へ曲がるも自由だとはっきりと感じ、そこで(私は)廃虚に関連するイメージと森に関連するイメージのどちらを作り出したいかを私自身で決定した。

《 夢の操縦法:第3部 第2章 p.203 - p.204より 》:

私は、父が病気で(私に)戻ってくるように呼ばれた夢を見たことがある。私は使いの者の顔色から私の恐れている真実を読み取ろうとしたのである。配慮の作用が働かなければ、(私が)このように私に隠そうとしていることを確かめようとすることなどできるだろうか? その夢で、私は直ちに馬車に乗りこんだが、途中、観念連合から生み出されたさまざまな障害が発生するのだった。ところで、この帰還の夢は私の意志によるものとは言えないだろうか? 
もうひとつの夢で、私は天気のよい日に馬に乗って散策をしていた。そのとき私は私自身が夢を見ているのがわかり、夢の中で(私が)思い浮かんだり行為を思いどおりに実行できるかどうかを知りたいと思った。《 さて、この馬は幻覚でしかなく、この田園風景もまた幻影にすぎない、と独白した。私自身の意志でこの夢をつくりだしたのではないのだが、少なくとも意識的にこの状況を操作することができる感じはあった。(私が)軽く駆けたいと思うと馬は駆け足となり、(私が)止まりたいと思うと止まった。目の前に二手に分かれる道があらわれた。(私が)右に行けば生い茂った森に迷い込み、(私が)左に行けば荒れ果てた館にたどり着く。(私は)右に行くのも左へ行くのも自由だったから、森に向かうようにイメージするのか廃虚に向かうようにイメージするのかも結局私自身で決定した。(私は)まず右に馬首をめぐらしたが、(私が)この夢を実験するために小塔と天守閣の見える方向に夢をみちびいたほうがよいと思った。なぜなら、(私が)この城館のおもな構造を細かいところまで憶えておけば、(私の)目が覚めたときに何がこの夢の原因だったのかを知ることができると思ったのだ。それで私は左の小径をとり、(私は)絵画にあるような跳ね橋を入ると馬を下り、眠りながら大小さまざまなものを念入りに調べてみた。尖塔式の円天井、彫刻された石、ぼろぼろに錆びた蝶番、ひび割れた城壁など、(私は)すべてのものの微細な正確さに驚嘆しながら記憶に写し取ったのだった。しかし、やがて(私が)注視していたはずの壊れた古い門扉の大きな錠前の色彩や輪郭が突然ぼやけ、まるで光源が遠ざけられた幻燈の画のようになった。私は目が覚めたことを感じた。現実の世界に眼をひらいてみると、常夜灯のあかりが私自身を照らすだけだった。朝の3時だった。》

( Kohshiroh Okeda )2012年1月31日:

室内の一部に白い光が射したようなので(変だと思い)今一度みようとしたとき、室内の様子が違うのを見て、突然(夢だったのか!!と)私は思った。その先をみようとしたら(私)、その室内は全体に白くて、高い位置にあったのか、階段が下に続いていた。私はそこを下りていった、途中で直角に折れ曲がった階段の下で、それは白いらせん階段になっていた。

[ いったん光景がみえなくなった後、私はもう一度夢に戻ろうとした。それは目蓋を閉じたときに映るような動く紋様みたいなノイズパターンで、(白っぽい、無背景の中に)みえたようだった ]。

その前の“室内”の状況がほぼそのまま繰り返された。やはり夢だった。だが、今度は室の先の真っ白いスペースある部分に(窓というよりは壁の一部にただ四角く開いたような隙間があって、床との間に、外界が狭くみえるような窮屈な印象で)古い町工場かガレージの入口みたいなものがその正面にみえた。その入口の上に特徴的な“桜の花”の簡略化されたシンボルマークがひとつあった。そのいくつかの花弁の意訳されたマークの中に、社名のように3つほどの漢字文字が並んでいたが、私がじっと見るたびに、それらの文字類は他の文字に変わっていた。一方、右側には赤い鉄工板の表面に簡略化されたハウスのようなマークと、そのマークの右隣にアルファベットの“IM”と思われる文字が続いて直線的に板状に浮き出したような形だった(私が見下ろしたところでは、それは階下の右側にほぼ直角に出た鉄板のようなものに付けられたロゴマーク、建築関係会社のそれを思わせた。)
白髪混じりの長髪、きれいな目つきの男性がひとり、濃い青のビジネススーツとベストを着用したような姿だった。私はその人を私の元の勤め先の一社員だと思った。

[ そのとき私がいた“室内”は少し広いフロア(踊り場)といった程度の曖昧な印象で、私自身の白い印象だけだったのか、ほとんど何も識別できる材質感もなかった。視界の右横に近い私の背後に、上からの階段が床と接する間にいくつかのより広い段があり、そこに“高級な社員”が現れたかのように立っていた。その先(左側の小工場のマークに対して右側向かいに開いたところに)赤茶色の鉄板製のような特徴的サインがみえた ]。

「社の状況について確認しておきたかったんですが」と(何年も以前の事だと思いながら)私は言った。「わかりました(了承)」とその人は答えた。しかし、同時に私はその外側の“看板”をもう一度読んでおきたかったので、その人から少し離れた。“社員さん”は(私の左背後で)ちょうどそこに現れた少し背の低いひとりの黒いビジネススーツ姿の中年男と何か話し始めた。
私は床下の端を覗き込むように(四角く狭くみえる光景の)“桜の花びら”マークの中の文字に注目した。
[ リアルタイムではそれらを視認できる漢字として読んだと私は思い込んでいたのだが、私が記憶しようとしたそのときの字面のひとつは、後で、その読みの音の“IDEI(イデイ)”とそれ合致しなかった ]。
だが、その3文字は変化して“発電”という2文字になった。

[ PCにそれ自体の入力文字がないので、私がそのままを描くには、“電”の部分が中国の省略式のような表記みたいに“雨”が付いていなかった、と言うしかない。日本には古くから崩し字としてのひらがな・カタカナ50音表記等はあるが、日本人は現代漢字以後には漢字そのものを簡略化するような表記の習慣を持っていない ]。

私の場合に関しての付記:

私は目の前に現われた“男”を確認するよりも“屋外の光景”を確かめておきたかったのだ。(その場でそれらに“私自身ですか?”と訊ねるような対処があったとしたら、私は別の言葉を聞いただろう)。だが、それらの“看板”等がどのようにそのような形となったのか、私にはわからない。それらの素を観念的に辿ることは難しい。しかし、私が“その社員さんに会社について聞こうとした”ように、それ私自身だとしっていたはずなのだ。
Saint-Denysの“左右の道への選択”は私の身柄自身としての表現ではなく、進むにつれてよりはっきりとする“光景”自体をみようとした試みのようだ。彼がコントロールできる“馬”に乗っていたという感覚自体がそれらを強めたのかもしれない。

1d

私たちはそれらを“他人”の心的イメージに投影することで、

〔明晰夢──夢見の技法:第7章 実践的な夢見──明晰夢を応用する p.190 - p.192より 〕:

Saint-Denys 》 私は私自身が夢を見ているとは気づいておらず、(私は)忌まわしい怪物たちに追われていると思っていた。私は無限に続く部屋から部屋を通り抜けて逃げていた。私は部屋を仕切っているドアを開けるのに手こずった。(私が)背後のドアを閉めるたびにすぐさま、再びドアが開けられるのが聞こえ、怪物がぞっとするほど行列していた。怪物たちは私を捕まえようと実に恐ろしい叫び声でわめいた。私は捕まりそうだと感じて、はっとして目覚めた。息は切れ、汗びっしょりだった。

S. LaBerge 〉 同じような悪夢が、“そっくり同じ恐怖感をともなって”、6週間のうちに4回繰り返された。だが、“4回目の悪夢がおこったとき……”。Saint-Denysの続きをみよう。

Saint-Denys 》 怪物たちが再び私を追跡しはじめようとしたまさにそのとき、突然私自身の置かれている本当の状況がわかった。こうした架空の恐怖から逃れたいという私の願いが、恐怖に打ち克つ力を(私に)与えた。私は逃げなかった。その代わり、(私が)意志の力をふりしぼって壁を背にして幻の怪物の顔をじっと見つめることに決めた。これまでのようにちらっと見るだけではなく(私が)今度は怪物をじっくりと調べようとしたのだ。

S. LaBerge 〉 明晰であったにもかかわらず、彼は“初めはかなり強い感情的ショックを味わった”。そして、“何かが夢の中に現れるとき、それは(私の)見ることを恐れてきたものであり、それに対してあらかじめ警戒されていた場合であっても精神に相当な影響を与えることがある”と述べている。それでもなお、この勇猛果敢な人物は止めなかった。

Saint-Denys 》 私はその親分格の敵を見つめた。それは大聖堂の門に刻まれている毛を逆立て顔を歪めた悪魔にどこか似ていた。すぐに私の学問的な好奇心が他のどんな感情にも打ち克った。私は非現実的な怪物が2歩~3歩離れた所で停止しシューという音を立てては跳び回っているのを見た。(私が)いったん恐怖を克服してしまうと、怪物の行動はただの戯画に思われた。私は怪物の手の──あるいは足のと言うべきか──鉤のような爪に(私は)気づいた。全部で7つであり、それぞれが非常に正確な輪郭を描いていた。怪物の姿はなにからなにまで緻密でリアルだった。髪やまゆ毛、肩の傷のように見えるもの、そしてその他たくさんの細部まで、事実、これまで夢で見た中で最もはっきりしたイメージの一つだったろう。おそらく、このイメージはあるゴシック風のレリーフの記憶からきたと思われる。いずれにしても、怪物的イメージの動きや色は確かに私の想像力が創り出したものだった。(私が)この怪物の姿に注意を集中した結果、怪物の侍者たちもみな魔法がかかったように消えてしまった。まもなく親分格の怪物の勢いも衰え精密さがなくなり輪郭もぼやけてきて、最後には獣の皮が浮かんでいるような感じになった。それはカーニバルのときの仮装服店が通りの目印として使うような色あせた衣装に似ていた。それからあまりはっきりしない光景が続き、とうとう私は目覚めた。

《 夢の操縦法:第3部 第2章 p.209 - p.212より 》:

配慮と意志──次に私が述べるのは、多くの人が見ている夢である。私の友人の何人かは、とりわけ風刺漫画家として最も有名な一人は、私が見た夢とほとんど同じ夢を語った。
《 私はそれが夢だとわからないまま、恐ろしい怪物に追いかけられていた。果てしなく連なる部屋の仕切り扉をつぎつぎと開けて逃げていたが、恐ろしい怪物がすぐに後ろから追ってくるので扉を閉めることもできないのだった。怪物は私に追いつこうとして恐ろしい唸り声を上げていた。私は追いつかれそうになって心臓は脈打ち汗びっしょりになってはっと目覚めるのだった。
どうしてこの夢を見たのか、そして何が原因なのか、私にはわからない。最初は病理学的な理由によったのだろうが、6週間の間に何度も繰り返されたのである。それは明らかに、私の抱いた印象や怪物がまた現れるのではないかという本能的な恐れによるものであった。夢の中で扉の閉められた部屋にいると(私は)、途端にこの忌まわしい夢が思い出された。扉に目をやり(私は)その怪物が不意に出てくるのではないかと恐れると、かつてと同じ光景や恐怖が同じように現れたのである。夢の中で夢を見ていることを意識できるようになってから、怪物が出てきたとき、それが夢だという意識が弱ければ弱いだけ、私は目を覚まそうとした。しかしながら、ある晩、4度目の夢で、怪物が私を追いかけ始めようとしたとき、私は突然真実に気がついたのである。悪夢と戦おうという気持ちが、私に本能的恐怖に打ち勝つ力を与えたのである。(私は)やみくもに逃げ出さず、この状況をあえて把握しようとした私は城壁を背にして慎重に夢の怪物を熟視することにした。見られるよりは見てやろうということだ。精神が、すなわち先入観が恐ろしい幻想を否定することは容易ではないので、最初の精神的衝撃は強烈だった。私は凶暴な怪物を見つめたが、それは大聖堂の入り口に彫られた逆毛立てて顔をしかめる悪魔にそっくりだった。確かめようとする意志がどんな感情よりも勝っていたので、私は起こっていることを観察できた。夢の怪物は私のすぐ近くに止まると呻きながら体を動かしていたが、恐ろしいと言うより滑稽なものに変わっていたのだった。俗に言うように手足の爪が7つあり、形がはっきりとしているのに(私は)気づいた。眉の毛や肩の辺りにある傷やほかの細々としたところが精巧で、それは最も明晰な幻視と言うことができるくらいだった。これはゴチック教会の彫刻の無意志的記憶によるものだろうか? いずれにせよ、私の想像力が怪物に動きや色彩を与えていたのである。(私は)この視-像に精神を集中させることによって思いがけずその要素を消滅させることができたのである。その視-像はまもなく動きが緩慢になり、輪郭がぼやけて雲のようになり、最後はカーニバルの仮装品店の色あせた洋服にも似たふわふわした脱け殻に変わったのだった。その後、無意味ないくつかの光景が続き、私は目が覚めたのである。》
以後、この夢が繰り返されることはなかったが、私にとって、意志と配慮が夢の経緯に影響を与え得たという点で、おそらく今でも間違いなく特別な経験であった。ある晩、私は眠っていたが、明晰な意識を持っていた。ただ夢に現れる幻想を何となく見ていて、私自身の意志の力だけで幻想を喚起できるかどうかを実験するのにその経験を利用してみようと思った。(私が)そのために相応しいテーマを探すと、かつて強烈な恐怖を与えた怪物の姿がまざまざと思い出されたのである。私はその姿を喚起し記憶の中から引き出し、私のできる限りの力で夢に見ようとした。この最初の試みは成功しなかった。私の前には美しい太陽に輝く田園風景が現れた。そこには小麦の刈取人とそれを積んだ馬車があった。私が意図したものは全然現れなかったのである。というのも、夢を構成する観念連合は自然に展開する静かな流れから外れようとはしなかったからのようだった。そのとき、まさに夢の中で私はこう考えた。夢が現実の反映とすれば、そこに起こっていると思われる出来事は、脈絡がないと言われる世界の中でも現実の一般的な因果関係の法則と照応するはずである。たとえば、もし私が夢の中で腕に怪我をすれば包帯で吊るしたり気遣いながら腕を使う。もし窓の鎧戸が閉められていたなら光がさえぎられ、あたりは暗いだろうとすぐに連想する。この考えに立って考えると、もし夢の中で私が手で眼を覆ったら現実に目覚めているときの眼を覆う行為に対応した結果が得られるのではないかと推測した。つまり、私が眼を覆えば目の前にあるものを消し去ることができるということである。この眼前の対象物への遮断がもたらされたとき、私の想像力が対象物に配慮を向けるのはもはや容易ではないだろうと私は自問自答した。この推論式に基づいて慎重な実験が行なわれた。結局、夢の中で(私の)目を覆うように手を置くと、想像力だけでは変えられなかった刈り入れの田園風景が消えたのであった。私はまさに現実の生活がそうであるように一瞬何も見えなくなった。そこで、怪物が例のごとく現れる様を思い出して、もう一度敢然と召喚しようとした。今度は魔法のように、その怪物が思い通りにかつて夢に出てきた容貌と少しも変わらず実に明瞭にはっきりとして慌ただしく現れたのである。

Kohshiroh Okedaの読書

LaBerge博士の著からの翻訳では、《 果てしなく連なる部屋の仕切り扉をつぎつぎと開けて逃げていた 》の夢はSaint-Denys当人のものだということになっていた。依然として文名人には“悪魔・鬼”の出現を認めにくいというような時代だったのだろうか? 
“仕切り扉を開けたり閉めたりしながら部屋から部屋へと逃げる”という私自身の夢として連想されたのは、“女のようなものが追いかけてくる”場合であった。私にはその“女”の正体はわからなかったし、“夢の中”でそれと向かい合ったりもしなかった。私はそのような悪夢ではいっぺんも夢だと気がつかなかった。

Saint-Denysはかなり女ったらしだったようで、私は彼による美少女とのデートのような夢の記述を読んだ瞬間つい吹きだしてしまった。彼の記述にある“アイリスの根の小片の風味による実験”の効果といった部分にも、彼がある“フランス座の楽屋にいた”場面という設定が出てくる。

《 ── 魅力的なX嬢が楽屋に入って来た。黄金の小さな花を散らした薔薇色のモスリンのショールに琥珀と真珠のネックレスを着け(彼女は)そこから色の着いた石を下げた出で立ちだった。古代風のブレスレットが腕に巻かれ脚の優美なくるぶしにも飾られていた。指にはサファイアが輝いていた。彼女の美は理想そのもので、ブロンドの髪には太陽の光が反射していた。『この衣裳、いかが?』と彼女は私に近づいてきた…… 》── 『夢の操縦法』第3部 第7章 p.291.

無論、彼の文脈ではそれは“最高にロマンティック”なものだったに違いないのだが、私は“いかが?”のセリフのところで日本の伝説“口裂け女( Kuchisake-Onna )”の話を思い出してしまった。それは私のような少年たちにはやがてくる“キタナイ・コワイ”ものへの恐怖だったのである。

《 私は夢である夫人と馬車に乗っていた。この夫人とは初対面だが、奇妙なことに何の不思議もなく、彼女が私自身か私自身の一部だという気がしていた。私たちは2人が知っている人の家に嫌々ながら義務的に向かっているのだった。途中で夫人が別の日に出直してはどうかと提案した。彼女は頭が痛いので屋外を散歩したいと言うのだった。私は彼女の頭痛は言い訳でたいしたことはないとはっきりわかり、それでも行かなければならないと応えた。》── 『夢の操縦法』第3部 第8章 p.323.

彼がそのページで“予知夢”という言葉を用いて述べたのは、私の見方では、ある夢での諾否において何かを選び決定する者は“自分自身”以外に何もなかったからだいうわけだ。(しかし、Saint-Denysの説明では、その“予知”とは“私が窓の外の芝生が白い霜に覆われていた夢を見たのは、その朝突然寒くなったから”または、“私が串刺しの2匹の狐などの料理の夢を見たのは、狐の臭いが台所から微かに漂ってきたからだろうか”といった程度の、感覚的ものの想像というような問題だ。)
“2人が知っている人”というのがどのような人物または家だったのか示されていないが、“その夫人”はあきらかに一緒に馬車に乗って“そこ”へ行くことに消極的だった。彼女は馬車で義務的に行くことよりも“屋外を散歩する”ことを選んだのだが、彼はそれを言い訳だと思った。

『夢の操縦法』のうちに私が注目したひとつの点は“抽象化と同情”について述べられてあったところだ。

《 純粋に抽象的な次元における抽象化──寛大さ・憐憫・勇気・恐怖などといった倫理的な思考や、大きさ・小ささ・不均等などといった先験的形式によって抽象化された思考のほかに、文明人の精神は社会環境の結果信仰・伝統・象徴などの複雑な思考を多少もっている。こうしたすべての思考は感覚的次元の抽象化とは反対に純粋に抽象的な次元での抽象化と言える分野に生じるのである。
たとえば、かりに私が夢で聖ペテロの肖像画を見てその主題の宗教心を突然抽象的に理解したなら、この抽象化だけで思いついた私の知っている敬虔な人物に聖ペテロのイメージを投影することになるのである。
私は夢に頻繁に現れる精神の働きをこの抽象化の種類によって分類するつもりであるが、この精神の働きはまずわれわれの外部に想像された情況にわれわれを一気に投げ込むのである。言ってみれば、私は2人の人物の口論の証人なのである。想像上私はその2人のうちの一方の立場をとる。もしその立場なら私は何を言うかを考える。そして直ちに私自身の考えとして発言するのである。というのは、そのときには私自身の役割が見物人から登場人物に代わっているからである。
私は恐ろしい事故に遭遇した夢を見たが、一人の負傷者に深い同情を覚えた。私はその男の苦しみがどれほどかと考えると、その負傷者は私自身だったのである。
ある刑事訴訟が私の印象に残っていた。私は殺人事件を思い出し、しかも今まで見たこともない殺人者という以外どんな思考=夢も浮かばなかった。私は心身喪失状態に陥らずにその行為をすることがどれほど恐ろしいことかを想像した。そのときから私はその行為を犯した者の苦痛と一体になった。もしそれが私自身だったら! ところがそれは私自身だったのだ。私は逃亡し私であることを知られるのを恐れた。私は怯えながら殺人現場のすべてを思い出しすべてを後悔した。》── 『夢の操縦法』第3部 第7章 p.302 - p.303.

Saint-Denysは“ある精神の筋道”という語を用いなかったようだ。(私は彼の“抽象的次元での抽象化”という語はより物的な“抽象的次元”をいったのだという気がする)。しかし、例えば近代人には“今日は車を運転したので今夜は車に乗る夢をみない”というような消費された夢の可能性があったと思われる。もしそこで夢見者として“車に乗ろう”と思うなら、映画“インセプション”のコブたちのように“夢を確認するため”という言い訳としての“質感”を利用しなければならなくなる。
(『インセプション』でのそれらが“トーテム”と呼ばれていたのは脚本的に“フォークロアー”の意味合いだったかも知れないが、夢見者にとってのある特定アイテムがイニシエーションそのものだったという言い方では、それはシャーマンのものだ。わたしにはもし夢のために特定の物を選ぶとすればそれは他人の息がかからないような完全に私的なものでなければならず、だから他人に見せたり触らせたりするようなものとしてはいけないという文脈で云われる必要があると思う。わたしはそう思うのだが、どうも映画のアリアドネとコブとの台詞では礼が無い代わりにその意味にもならなかった。
もう一度言おう、わたしの名前は二度と避けようの無い現実のものであった。しかしこれを“ トーテム ”というのである )。

一方、S. LaBerge“明晰夢:”には“感情と明晰さ”に関して次のような引用があった。

〈 シーリア・グリーンによれば、“明晰夢を見るのが習慣になっている人のほとんど誰もが明晰夢の体験を長引かせ高度な明晰さを維持する上で、感情的に距離を保つことが重要である、と強調している”。ここには2つの問題が含まれている。1つは明晰さが失われないようにすることである。感情的に巻き込まれることの一つの危険性は、明晰夢を見る人の意識が夢に再び吸収され夢の役割に再び同一化される可能性である。これは経験豊かな人よりも初心者が多く体験する問題であり、実践を重ねるにつれて、感情的に関わっているときでも明晰さを保つことが簡単にできるようになる。〉── 『明晰夢:自覚の力そしてあなたの夢で気づく』第5章 明晰夢の体験 p.131.

私はこれらのことを前掲として、またHervey De Saint-Denysの著作における夢の記述例などを上げて更に実践編に進みたい。

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出典:

スティーヴン・ラバージ( Stephen LaBerge, Ph.D. )著
『明晰夢──夢見の技法』
大林正博( Masahiro Oobayashi )翻訳,春秋社( 1998年 )
エルヴェ・ド・サン=ドニ侯爵( Marquis D'Hervey De Saint-Denys )著
『夢の操縦法( 夢の実践的観察とそれを操縦する方法 )』
立木鷹志( Takashi Tachiki )翻訳,国書刊行会( 2012年 )
Kohshiroh Okeda (Courshilow) 2013