KOUSHIROU_A6 ( 編集-未整理 )

2012年8月6日 -

アイデア1-2.
私の体の中を空(中空)とみる、何もない。
内に持たずに体の表面だけに在る。

2012年8月11日 - “タケアゴ”

ふと、高速道路の何もない途中のようなところを側面にみたような絵で、いきなりその道路の向こう側から青い海面が上がってきたかのように大きな水が迫って来たのがみえた。(その様子が本当に大洪水みたいにリアルだったので、恐かった)。それは大阪だったのかもしれない。
 私が車の中にいたとき、別の男がひとりこちらに向かって入ってきて“タケアゴ”という名前のような言葉を口に出した。私は“タケアゴ?”と繰り返し彼に訊ねた。(そのとき私はあたかも言葉で訊ねたときのようにその“状況”自身に私の印象をもった)。

何か屋内の施設に外側からの白い光が入ったような所。その一室に棚がいくつか、幼児たち向けの物などがいくつも置かれたバザーのための部屋といった印象だった。あたかも通路の左側から若い顔の長髪の男がひとり歩いてやってきたかのように、その頭が目の前を横切った。その白っぽい光景の中に、その男の眼の周りだけが(やや液体の飛び散った形のような)真っ黒い痣のようにみえた。

2012年8月13日 -

私は落ちている。
体は冷えていた、
通常の夢はどれも“憑依現象”だ。
夢は私のものだ。というとき、私はみる。
だが、注意観察が働く度に夢自体は中断する。それらの夢自体は私自身の限界だ。
 私は夢自体に“気づく”ための仕掛けをするか(記憶と特徴)、最初から“私の睡眠”をやめなければならない。

2012年8月14日 - “黒い面”

この夢でも私は“実験”できなかったが、ひとつ私のその場での“おもったこと”がそのまま一瞬後の絵に即座に現れていたことに気づいた場面があった。例えば、何かふしぎな生き物の顔みたいなものが目の前にあってこちらをみていた。私はそれを“何だろう?”と訝るようにみた。するとその顔に両目の周りだけを覆ったような黒いマスクみたいな面が現れた。(ちょうどCGアニメの三銃士の猫の絵みたいに)。私はすぐにそれが私自身としての“訝る”ことの現れだと思った。
 また、夢の最後に、大きな鯉のようなものが(正面向きに)口をパクパク開いているようにみえる絵があったのだが、その鯉の両目の部分それぞれに黒い丸いリング状の模様のような縁がみえた。これは両目の疲労と関係あるかもしれないと私は思った。(一昨日、私の片目に何かが入り込んだのか、昨日ずっと私の右目の辺りが痛くて頭痛がやまなかった)。私はひょっとしたら以前の“頭痛”の場合のように何か肉体以外のことが原因かもしれないと思った── 片付けなければならないことがありすぎるのか? しかし、“夢を見れない”ということの問題は、少なくとも数日間、私が個人としての一定時間を確保できると保証されていれば難しくはない。

2012年8月17日 - いくつかのワーズ

いくつかの見覚えのない名称のような単語が現れた。私はそれらを3つほどメモしたはずだった(それらは簡単な文字数のものではなかったので、私は正確に記憶しなければならなかった)。が、それもまた夢の一部だった。それらをいまここに正確に筆写できないことは私にとって悲劇的なことだ。

どこかの“島”が私の実際ではないように、私の夢にみた“女の子みたいなもの”が私にはそのものであったことははっきりしているので、それは人物的イメージではなかった。

2012年8月19日 -

毎日起床の度になぜだか頭痛がある。
 私はいつもお尻の穴を洗う習慣があったので、先週かそれ以前から特定の部分に出来物のような感触があったことに気づいていた。時折ほぼ同じ個所に何か出ていたこともあったので、“たぶん(継続的にある課題について上げなければならないという)焦りがあるのだろう”と私は思っていた。が、私が今日の晩にその部分に触れてみたら、まったくきれいになくなっていた── どの瞬間にそれが消えたのだろう? 
[以前、片方の目蓋のはれが突然何でもなかったかのように消えたときがあったのだが(DIARY 2010-1、2010年3月2日)、私はこの晩のうちにそのことを思い出さなかった。無論、私はいつも“その瞬間”を観察していたわけではない。私はそれが原因というよりは“人間”の感知できない本質のあらわれなのだろうと思った。“私”側に対する拒否感または圧迫感(ここに落ち着いて居られない)そのものが原因なら、“私自身”が一瞬消えた(いなくなった)瞬間にそれが解消されたのに違いない。“私がある課題について継続的にこなさなければならない”という問題自身が、“他に展開しなければならない”という意識になるときに、それらは苦痛になる。
 もし本質的にこれが意図によって出たり消えたりするものなら、一晩でこの体を“八頭身筋肉美人”に変身することもできる、と私は冗談のように思った。]

2012年8月20日 - その窓の時間

目の前に何か階段のようなものとその先のテラスみたいなものがあって、その左側にひとつのドアみたいなものが開いていた。私は神父のような者だった。誰かがそのドアのようなものの向こうに入って行った。私は“その窓の時間を忘れるな”というような文句を繰り返していた。そして私は左手のケータイにその文句を一文字ずつ打ち込んで確認していた。

 ある災害後の建物などの中にあった家具の一つに、女のような顔をした生存者がひとりいた。誰かがその生存者のことで“そんな所にどうやって3年間も生きていたのか?”と言った、“実際には(その期間は)6カ月間だったのではないか?” 
[私は後のその夢に私自身の窮状が反映されていたとは思った。その“女”とは私自身だったわけだ。“他の者”がその災害の生存者に関して“いったい彼女はどうやって生き延びたのか?”と言った。しかし、私には“6カ月間”という期間の意味がわからない。]

2012年8月22日 - “緒子孝命”

中国語のような文字列か、漢文詩句のうちの一部分(私は中国読みはまったくできない)。そのうちの“緒子孝命”だけが私の記憶に読み取れた。

[夜間のように薄暗い、町の通りのようなところを(私は)歩いていた]、
(私は)堤防に上ってその向こうへ下りかけた。子供たちが何人かその辺にいて箱の中に小型のチョコレート1個毎にそれぞれ形と色の違ったものなどが並んでいたのをみせた。私は緑色の“金床(片方の端に突き出た部分のある台座のようなもの)”の型のものを1つ手に取ってその匂いを嗅いだ。ひどい「古い油の臭いだ」。そのとき右側から来た男が突然「カカオの香りはよいよね」と言った。

[濃緑色の“金床”が私の生殖×と関係ある象徴なのかどうかはわからない。古びたチョコレートはもうチョコレートの匂いがなくて油脂のような臭いがする場合がある。が、それが現実に室内にある私の気づいていなかった臭いなのか、それとも何かの記憶によるのか、それもわからない。]

2012年8月23日 -

エクササイズ:
腕を伸ばして指先の力を抜いた状態で手首の先を回転させるかのように(腕の方向を軸にして)指先を素早く振りつづけていると、指などの感覚が変わってくる。(もし痛みを感じるようなら即中止してください)。
もし性行為のような動きでもそのように省力的に素早く動けたら体の感覚が変わるのではないか? 私はヴィデオのサンプル画像ではものすごい速い背立位での動作をみたことがあるが、私はそこまでの体操をしたことがないので、そのような感覚の変化が起こるかどうかはわからない。女性にはもちろん自由に動ける騎上位がベストだろう。私が最近みた映画では『ミレニアム』のリスベットのベッドシーンは上下運動ではなく素早い前後運動であり、おそらく比較的に力を要しない方法だと思われる。
[たとえば眠るまえにこのような運動を適当に行なうことが夢見にどう作用するか? という実践と質問をしてみたい。]

2012年8月25日 - 窓と視点

・私が寝る前にしなかったこと
“事件簿”づくり
最近夢見がなかったといった“欠点”は私の予定がなかったからだと思われ、
・私が寝る前にしたこと
夢見の実践の書類に再びタッチしようとようやく思い立ちながらも、“ファイルにできない”と言った。私は放置し、かつそれらの予定にしない。

“インセプション”のような映画の導入部があった。(その状況は出だしの途中からだったようだが、もう一度繰り返されたそれらは最初の部分からだった)。ある建物の上層階にいた何人かの者たち。ある女がフロアの別の開いた室内で他の女性たちを誘っていた。手前の室内の何もないような ところにいた男たち数名、下の階から上がって来たもう一方の者たちから逃げる必要があった。[私はその男たちのうちの比較的小柄で若い者みたいな“キャラクター”だったが、後ろ姿だけで顔はみえなかった]。
 私は室の右端に近い上側の正方形の窓をひとつ(手によってではなく、自動で開いたように)開いて、そこから数mの高さのところを飛び下りるようなつもりでいきなり飛び出した。が、相当な高さだろうと私はしっていた。窓を抜けて飛び出したら“下に”別の建物の屋上部分のような長方形の面がみえた。
[“窓”はいわゆるサッシの付いたガラス窓のような物で(内-外開きではなく)片側にスライドするようになっていた。擦りガラスではなかったと憶うが、その場ではその窓の向こうに直接視認できないといった印象があった。たぶん飛散防止のための直線が縦に幾つも入ったガラスとやや波が付いたように紋様がかった面を想わせる。が、その大きさは見かけに約70cm×70cmほどにみえた(それがいくつかのガラス窓等部分の上にはまっていた形)。それから“下にみえた屋上面”は(手前の室内だったところと平行で)何か薄黄土がかってみえた。無論、そこでは私の視点は単一に近かったのだから、“空間”という認識ではなかったし、何もほかに“見え”なかった。(それらの光景とたとえていえば“外光”もやや薄い黄土色がかったような印象だった。象徴的なものでなかったとすれば、たぶんこれは視覚的にそのときの寝室に入っていた光が私の目蓋に映ったか、一瞬みた“光の落ち”のせいだろう)。そこで私は従来の体を持っていなかったかのようにほぼ水平か少し上向きに移動することができるのをみた。以前のそのような状況では“高さ”に囚われて私はいつもすぐに“落っこちて”いたので、これは進歩だ、と思った。しかし、私はある種のコントロールを働かせようとしながらも、なぜかゆっくりと自制によって着地するということができなかった。加速度がついたように“下りて”いった]。

 家々の間のいくつかの裏道で、警察隊による捜索が始まった。他の者たちは逃げた先で捕まって死んだに違いない。小さな通路の途中で、警察隊の少し位のありそうな男がひとり無表情ですぐそばに立っていた。私は片隅にもうひとりの者が水色の小さな掛け布団みたいな物の下に隠れていたのをみてそこに入り込んだが、こちらの身を隠すことは不可能だと思った。
 彼らの隙をみて私はある角にあった樹木の上に飛び上がろうとしたが、できなかった。
 小型のショットガンが一つ路上に落ちていたのを拾って、(もうひとりと何かへたな変装でもしたかのように)青いキャップ等と青い制服等の姿の集合した隊員たちの後ろに付いた振りをした。彼らはまばらに樹木などの立った間の少し低くなったところに数十人ずつ向かい合っていて、全員涙を流すほどに泣いていた。
[まるで子供の頃のへたなごまかしをみたようだ。“猿”のようでもある。(綿入りの水色の掛け布団は、昔家で私が寝るときに使用されていたものだ。と思ったが、実は最近の父親用の物だったのかもしれない。とすると、先に道端に寝ていたのは“父親”だったのだろうか?)。
 それらのうちのどの場面のどの順序だったかはっきりと分からないが、“泣いている女”のイメージがひとつあった。“普通に誘おうとする女”は私のある“文法”だったと思う。しかし男としての詰まらなさには楽しみもないので、それはある愉悦のようなものが必要な場合だったのだろう。]

2012年8月28日 -

体に振動が起こりかけていたので、ようやくまた集中がはじまったのだと私は思った。もし寝入りばなにしんとしていて頭の中にノイズが発生するような感じがあったら、少なくともその状態で“ いる ”ことができる。
[昔私は“体外離脱”のために外側に集中するという言い方をしたこともあったのだが、それらは結局夢の中に身体や室内を提供しただけだろう。私の先日の夢での“ 飛び出し ”みたいにその場にほとんど身体感覚がなければ、( 身体の )“ 高度 ”への不安感も無い、とみることができる]。
私は寝たままで両腕の感覚をもった場合にその状態がつづくことに気づいた。が、その両手の先を感じようとした度に弱まったので、私は特に両方の上腕のあたりに気をつけてみた。しかし、このようにためしたときには、体を冷やしすぎるよりも多少温かさを感じる程度がちょうど良かったようだ。

2012年8月31日 - 点灯

・私が寝る前にしたこと
体を伸ばすこと、さらさらっとしたセックスの練習(サラ-フォー)。
私が寝る前にしなかったこと
物思い。

ある室内に沢山の者たちがいて何かの催しの最中みたいな印象だった。クイーンの“ボヘミアン・ラプソディ”の歌の一部分のようなコーラスが聞こえた(私の趣味ではなかった)。

[その室内は私の普段の居間よりも一方に大きくて、その中間には床の前後が分断されたように開いた部分と、その真ん中に梯子(はしご)の立て掛けられたような形がひとつあった]。
私はその室から下りたときに、何か点滅するひとつの灯りのような光が上の方にあることに気づいた。(下の階には“母”がいたが私のそばにいるという感じではなかった)。そのとき急に男の鼻声のように“ラヴェンダー・アンテナのハシ…”と歌い始めた声があった。

[“明滅した光”は以前の私の夢の直前の予兆みたいに思われたものを連想させるが、その場の“室内備品”にあったというような形ではなく、それ自体は“室内の光景”とは関係なかったかのようだ。しかし、もし実際にそのとき寝室の窓から陽射しがちらちら入って私の目蓋などに影響したのだとしても、私がみた“光の点滅”の間隔はまったく一定で、あたかも一瞬点いたり消えたりするランプのそれのように変わらなかった。たぶんカーテンは何度も風に吹かれて揺れていたが、私には実際にその寝室に落ちていた光とは違うように思われた。
 歌などについては何もわからない。私がたまたま先日のあるテレビ番組でクイーンの楽曲が紹介された部分があったのをみたので、その人工的コーラスが印象に残っていたのかもしれない。“ラヴェンダー・アンテナ”という語にも考えようがない。
 私がこの“光の点滅”部分を明晰夢に近い状況だったと思ったのは、その前後の場面等にいくつかの共通項があったからだ。
・その“室”には沢山の者たちがいたが、後の場面では誰もいなかった。(そこには家具などはいくつかあったが、私の寝室の様子ではなかった)。“下りのエスカレーターにいくつもの人影があったのに、次にそのエスカレーターが繰り返されたときには誰も乗っていなかった。私はそこで突然夢だと気づいた”。
・視点が上の室から下に移ったところで私の“母親”がそこにいたこと。(以前、私が“母”とすれ違いに居間に入ったところで急に夢だと気づいた場面があった。その“母”は外に出かけたところだった)。

しかし、私は“ 光の点滅 ”には“ サラ-フォー ”の条件( 至福 )がそのまま“ 光 ”という形で現れたのかもしれないと思った。]

2012年9月3日 -

夢見においても何においても“強制”されたことに対しての阻害になる。もし私が誰かから“おまえ夢見をやれ”と言われたら、私は他人に知られたような形ではやらなかったはずだ。たとえば“おねしょ”というものが、親たちから“早くトイレに行け”と言われて済ますことへの拒否だったのだとしたら? その原因は“唐辛子粉や糞便などをまいた”ことの理由と同じだったかもしれない。“発射”あるいは“静止”のどちらにしても、私は父親たちからのそれにはしなかった。

2012年9月6日 - 私の想起

町の中を移動しながら何か別のお話とともに、私が何かに忘れていたことについて一所懸命に思い出そうとしていた。
[この“夢”の後、なぜだか“大きな栗の木の下で、あなたとわたし仲良く遊びましょう、大きな栗の木の下で”の歌が何度もリフレーズされていた。これがある心象的関連なのかメッセージなのかは不明だ。
(たとえば“口裂け女伝説”の本質を読みとくには“その女がオートバイよりも速く駆け抜けた”というような特徴的な語に検討すればいい)]。

2012年9月7日 - 目的と場所

体外離脱の夢または夢だと気づいた夢について、推察する 〔 現在-未収録 〕を読み直してみた。“解説のこころみ”はひどい。ただ何か空欄を埋めるためだけに中身のない下らないお喋りをしたかのようだ。今回の修正では私なりの分解能をためすことにしてみた。[夢での“影”または“暗がり”について検討した部分で未だ明るみに出ていない面とその本質を私は見出せるだろう]。障害となっていたのは、私自身が常に“面倒臭い”と言いつつ無理に解釈を付けようとしていたことにあったと私に思い込んでいたのだが、ひとつひとつを再検討してみようとしたら、それらにも逃避があるのでは、と思える。要するに、私は本当に意識的であることに恐怖または他の理由で逃げていたのだが、その真実を知ることは私にはショックなので、私はいつも私自身の問題といった嘘をついていたのだろう。

2012年9月8日 - 想像と著者

Hervey De Saint-Denysはその著書の中で彼自身の夢見について“すべて記憶に基づいている”と言ったが、私は“想像的体験”そのものとしての無限の夢見は可能だし夢は“ある要求”そのものだという見解があるとも思った。無論、私はその原因を把握していないし、夢自体の発生システムを掴まえたのでもない。しかし、私は夢は“ある要求”そのものだという見解を深めることができるだろう。この点についてはHerveyも単に観察者に過ぎなかったので、彼の要求のレベルに対して彼は恥じらい以上の追及ができなかったのだろう。

現在私の夢見がなくなっているのは、まず身体的注意が弱まっている、私自身の受けることをやめようとしたことによる。身体的脅迫をやめるということは“ すべてに自分自身からの障害であるかのように対することを、やめる ”ということだ。身体的脅迫の必要性はなくなり、何も“ 気にする ”必要性ではないのである。
外的考慮の問題についてはすでに“告発文書”等で私が述べ立てた通りなので、9月中に再構成されるはずの“事実と真相への記録”に。(ただ、私は絶対に他人のお金や私生活などをあげつらったりはしなかった。私が各所へ“文書等での回答を求める”と質問を発し続けたにも関わらず、私への回答は一度も得られなかった。しかし、私は私に対する“自分自身という苦境”といった見方をやめなければならなかった)。それらのファイル自体にとって重要なのは記録(資料)性であって、感情作業ではない。

2012年9月8日 - “潜水着”

何かレストランの店内のようなところで、ひとりの年配の男が(通路側のこちらに)一着の小さなジャケットみたいな物を見せた。[“彼がそれを見せた”と言っても、その場の絵としてはそのジャケットが目の前の空中にあったかのようにそれ自体としてこちらに向けられたようにみえたので、その男が両手に持ってみせたのではない。その店内の通路側の右手に奥に向かっていくつかの客席用テーブル等があったようだ。また、私の右側には何か別の男のような者があって同時にみていたというような、姿のない心象だけがあった]。
 それは洋服の短い上着みたいでその全体に均一の暗めの青にみえた。ちょっと変わった形で、その開いた前部の左右に折り返された洋服の襟の形みたいな部分以外に何も付いていなかったが、ちょうどその首の後ろに当たる襟の上部分だけがいくつかの波形の連続した縁で、それがジャケット自体の前部の開いた両端に近い部分では直線的な両縁だった。それらの折り返された部分は通常よくある洋服のそれらのように前部の両端を着ければある高さで合わさるかのように集中していたが、それらは完全に左右対称だった。(触ってみたら、薄いプラスティック製の事務用品パースにあったような材質感で、あたかも私の両手で開こうとするとそれはたわむけれども同時に押し戻されるような感覚だった)。
 年配の男はそれについて“潜水用のものだというのだが”と言っていた。私はそのジャケットが前部をぴったりと閉じた状態で使われるものなのだろうかとふしぎに思った。(それにしてもジッパーも何も付いていなかった)。男は“これは実用には使えないものだ”という意味のことを繰り返し言っていた。