黒い影が横切る( 黒い影が走る )視界に飛ぶ黒い影というようなワードでお探しの方には,私の本編サイト-日記に錯覚-“ 影 ”などの記録-カテゴリが在ります[ :夢見の実践オリジナル(明晰夢見の実践と理論)>サイドメニュー(または最下段)主要カテゴリ表

トーテム 【 ここでは,備えられ,ある一定のあいだ維持されている夢見の意図 】

2016-05-12:
今朝、わたしが寝床でねむらずに再び‘ わたしの夢をコントロールする ’という、( 昨日の )‘明晰夢を視よう!’への書き足しを実行しようとした。

すると( わたしはまだねむりに落ち込んではいなかった )、灰皿のように中央に一段深い白い皿のようなものが急に回転し始めるという映像が起きた。その途端その白い皿のちょうど中心から平らな周縁に正確に90度4分の直線等として付けられたように( その一段高い平らな縁にだけ )赤い帯4つがあった。わたしは白地に赤いクロスというとアイルランドの旗を連想するのだが、同時にその赤い帯がその皿の急な動きに対して機先を制するように付け足されたという気がした。
‘ それの回転 ’を止める為ならわたしがそれを意図的にコントロールできる余裕があればいい、しかし今回の場合にはほんの一瞬の映像だけだった。なぜ‘ 回転する白い皿 ’だったのだろう? 

無限の本質( 無限のその活動的サイド )/ カルロス・カスタネダ
わたしは午後久しぶりに本棚の‘ 無限の本質( カルロス・カスタネダ,その終焉無き活動的サイド,無限の活動的側 )’を開いてみた。
わたしはこのような本を開いて一瞬の偶然そこにある章節とに意味を見い出そうとしたものだ。そこにはこの節があった:

「実際に見える素早く飛ぶ影に注意を集中しろ」ドン・ファンは微笑んで言った。
 私はドン・ファンに、そのような飛ぶ影は私のまともな生活の終わりを意味することになりそうだと告げた。私はいたるところに飛ぶ影を見た。ドン・ファンの家を去ってからというもの、暗がりで寝られなくなった。明かりをつけたまま寝ればいっこうに気にならないのに、明かりを消したとたん、周囲のあらゆるものがいっせいに飛び跳ねはじめるのだ。完全な姿形が見えることは一度もなかった。いつもさっと飛ぶ黒い影しか見えなかった。
「飛ぶ者の心がおまえから離れていっておらんのだ」ドン・ファンは言った。( 同翻訳書,p.286より )

:カスタネダ氏は‘ 師匠ドン・ファン ’を持つことで自らに安定的な語りをもたらしたのだろうとわたしは思ったが、同時に神秘的なものをみえる形として認識したというのも本当であろうと思う。わたし自身‘ さっと動く黒い影 ’を視覚的なもののように目撃したことは以前からのわたしのファイルにも記述していた。わたしにはそれは意味不明なものだったので、わたし自身の心象との直接関係だと見なしてはいない。その点は夢に表れるようなものと同じだ。わたしはその‘ 黒い影 ’に光る赤い眼があるとみたのだが、それはちょうど今朝の白い皿というイメージに赤い帯が加わったのと同じように一瞬の心理的反射に拠る付け足しだったかもしれない。

[ カルロス・カスタネダの作品シリーズに関して“夢見の技法”系統的にお読みになりたい方には,“能動的想像と明晰夢”のワードで検索可能な本編からの要約ページがあります。meisekiyumeminogihou
,エルヴェ・ド・サン=ドニの夢記録等-そのほかの著書より ]


2016-05-16:
わたしは以前エルヴェ・ド・サン-ドニ氏の明晰夢記録などを話題として記した( そのファイル集の1つ )。わたしはそこに一度“ インセプション ”という映画の中の言い回しに対して一言書いた。その一部分の書き足しはわたしのサイト最後の頃のもので、そこには“ 名前 ”に関して次のようにあった:

夢見者にとってのある特定アイテムがイニシエーションそのものだったという言い方では、それはシャーマンのものだ。わたしにはもし夢のために特定の物を選ぶとすればそれは他人の息がかからないような完全に私的なものでなければならず、だから他人に見せたり触らせたりするようなものとしてはいけないという文脈で云われる必要があると思う。
〔 中略 〕わたしの名前は二度と避けようの無い現実のものであった。しかしこれを“ トーテム ”というのである。

:無論には‘ それ( 氏名 )は世代を通じてはいない ’とわたしは言う。“ トーテム ”は呪物であり、先祖そのものではないから、夢を起こすということに関与している。かつてユング派かだれかの言ったように“ 4者間のけっこん ”さえあるかもしれない。“ 産湯に浸かったときにその体の部分が洗われなかった ”という睡眠ごうとうへの有名なまじないこと、または祈りである。

補足 2017-11-23:
〔 更に,私にとっての‘ トーテム ’とは、ある物自体への問題ではなく、今それが私と遇ったときその状況と私に拠り意図されていた‘ 注-意 ’として必要に想い起こせるよう、その一場に働く為の補助装置という意味である。一例には、私が室内ライト・オンまたはオフに‘ 夢見 ’作業と条件付けたあとで次回それが注意となる。無論、私がこれ迄に述べたように、私は必ずしも私の手を用いてこれをモーター化するのが最良の手段だとは限らない。私がこれ迄に‘・’付きで述べた‘夢見の方法’テーマには今後も有効な試し等が在る 〕。