読書フログ(p1-1): ジェイ・ヘイリー著“ 戦略的心理療法( Strategies of Psychotherapy )

〔 部分的引用について,更に私が読み易く分節等の簡略化した処があります。()化に拠る判読性,または下線-補足,〕

(4)-a( 第5章 その対人関係と治療法より
..2人の間に何が起こるかを避け,関係の定義付けを避ける方法がひとつある。自身の言ったことを否定すれば良い。たとえ何と言ってもそれは関係の定義付け。自身の言葉を否定するような意味修飾を使うに拠って,これを無効にできる。
“ 君はそうするべきだが,私は言う立場に無い ”-( 自身相手に命じる関係にあると定義し )同時に否定している。
“ そうしたいんだけれども,どうも頭痛が- ”この拒否に拠って関係を定義付けているのは頭痛であって私ではない,お酒の所為(と意味修飾される。)“ ぼくはそうするつもりは無かったんだ ”というような言葉,小声,ためらうような素振りなど。少年が-(喧嘩の禁じられている)教会で闘おうと-相手に挑戦するような場合。
..

[ 小学校低学年頃( 教室で, )わたしは“ 発狂,病院の子 ”呼ばわりされることが遭った。が( それらは )あたかもセンシングされたのに気付いていないかのような,未分析“ 時代 ”の対応であった。“( 自身についての )説明する対処ができない ”という後日の要請は既に遭った。]

..言わなくてもそれが関係の定義付けをするのであるから彼は言ったこと,あるいは言わなかったに対して否定の意味修飾をしなければならない。

コミュニケーションの矛盾:
(a) 私が-(ではない)
(b) 何かを-(言っていない)
(c) あなたに-(相手否定)
(d) この状況下で-(現在否定)

(a) 私以外のひとと規定する。別の名前で自己紹介。喋るのは彼の立場であり,たとえば教授,単にメッセージを伝える機械。または神が語らせたので,自分ではない。酒,病気,薬などの影響。身体内部で“ 不随意的 ”に起こった事柄の結果。
(b) “ 憶えていない ”-また,自身の言ったことが誤解され。相手の解釈は食い違い。
(-2人の関係についての定義付けではない)矛盾するような言葉で意味修飾。
-ひとには理解されないような言葉を。
(c) 自身に語りかける。相手は誰か他のひと。相手個人ではなく社会的な地位に対し(セールスマンについての一般論。友人ではなく秘かに警官..)
(d) どこか別のところで語られた(別の場所で起こった。)“ わたしの知人はしかじかであった ” - “ これまで随分ひどい仕打ちを受けてきたし,おそらくこれからも ”-

精神科医の行動に対して患者が矛盾した意味修飾をするようなメッセージで応えたと,自閉的であると言われる( これは患者の行動についてで,患者の内的体験についてではない。)もし,相手との関係-定義付けを避けようとするならば,症状として述べられるような方法で行動する以外無いのである。..
患者は話者が自身であることを否定するだけでなく,そのような否定も否定しようとする(-違った人を名乗る。)

[ 私が“ あなたは夢見の実践オリジナルです ”と言うと,私の矛盾点は明らかに否定する。“ もうあなたには夢見の実践は在りませんね ”と言うと,私の中の矛盾は違う答えをする。]

..見知らぬ人と同じ部屋にいるとき,彼はまったく話しかけようとしない。しかし話しかけないことが彼らの関係を決めてしまうので,彼は物とか自身の考えに心を奪われているような様子をする。( 相手に対するメッセージと食い違った意味修飾をすることに拠って )相手との関係-定義付けを避けている。
(--病者は自身のコミュニケーションを否定し,何かが伝達されたことを否定し,相手に伝達されたことを否定し,そのコミュニケーションが行われた状況を否定する。)
..

(3)-a( 第4章 精神分析とその他の洞察療法より
..治療者が無言であっても何らかのことをいうのと同様に患者の行動を制限するものである。患者が指示を求めたとき,治療者が“ わたしはあなたに指示を与えません ”と言ったとすると,これは明らかに患者に“ 指示を求めないように ”と指示をしている。

..精神科の患者は周りのひとを間接的な方法でコントロールしようとする癖がある。それは,症状行動が何かをして(しかも)それを自分がしたのだということを否定するものだからである。分析療法では必然的にそのようなコミュニケーションを行なうことになるわけで,患者に話題を切り出させる点では特にそうである。..患者は間接的にコミュニケーションをすること(夢,空想,自由連想などを述べるようにと)指示される。直接責任の無いことだから,患者は何かを語り(しかも)自分に言っているということを否定するように求められている。

(3) “ 道化師のソネット ”?
Jヘイリー“ 戦略的心理療法 ”記述には(読み進むにつれて,)どうも同一事項に関する重複行が多すぎる。読者の負担にならないように,簡素にまとめてみよう。

( - 理論と技法より / 第3章 指示的療法 )
..たとえば,ひとが自分に敵対的な態度を取ると,いつも不随意的に薮睨みが起こるという悩みを持った患者がいた。若い販売員として自信のある態度を取る必要があったので,この薮睨みはひとつのハンディキャップであった。しかし,この薮睨みは(ある意味では)有利であった。なぜなら,あたかも相手にすっかり圧倒されてしまったように薮睨みをしている男に対して,なかなか攻撃的にはなれないので,これで相手の敵対的態度を解きほぐすことができるからである。..
患者は催眠療法家との関係で謙虚な気持ちを持っていたので,この薮睨みが患者を不利にするような状況を設定することができた。被催眠性の高くないことが判ったので,他の技法を用いた。先ず精神分析では彼の名前を問題にしたことがあるか尋ねてみた。非常に奇妙な名前であったからである。ここでは一応“ 象さん ”と呼ぶことにしよう。..かなり弁解がましく,分析ではそんなに沢山のことを取り扱われなかったと答えた。..面接開始してから何遍くらい薮睨みしたか,それには答えられなかった。..(薮睨みが起こる度に)それを指摘してもらう必要があると(治療者が薮睨みをし返すことに拠って)強制的に注意を惹く方法を提案した。..いったいどうしてわたしがあなたの薮睨みに気づいたと知らせることができるか。..彼の名前を言って知らせることになった。
やがて患者が薮睨みをしたので治療者もそれをし返した,患者は“ 象 ”と言って礼儀正しくこれでいいかと尋ねた。患者が頻繁に薮睨みをしたので,これは会話のあいだに何度も繰り返された。患者は不機嫌になり始めたが礼儀正しいへりくだった態度を続けていた。しかし,インタヴューが続くにつれて,患者は薮睨みのし返しがあたかも攻撃的な反応であるかのように反応し始めた。元々攻撃的な行為に直面したときに薮睨みをしていたわけであるから,彼の薮睨みは自然頻繁になった。しかし,頻繁になれば不愉快な処置を経なければならなくなったので,インタヴューの終わり頃には薮睨みが少なくなった。
..非指示的心理療法家は“ 患者に指示を与えると依存性を高める ”と主張するが,この状況は(子どもが母親からもっと色々指示を得ようとしているのに,母が子どもが依存的になるのを避けようとしている)母子関係に非常によく似ている。(母が子どもの手を振り切ろうとすれば)子どもは依存的になり,余計要求がましくなる。このようなことが心理療法家にもよくある。進んで一時的に依存的にならせようとすると依存の欲求は少なくなり,患者の要求を挫折させると,それは増加する。そのような挫折は患者に転移行動を引き起こすが,過去の挫折から解釈しようとする。治療はこうして延々と続き,最終的には,患者にかなり屈辱的なものとなる。

[ 私には,わたし自身への“ 挑戦的(要求)”の返しよりも,“ 撤退的(放棄)”の方が,余計な手招きという誤解の問題には(-きっぱりとしたひとり身の態度なので,)対極的には能が際立つという点を示している。
( 路上の“ 口出し ”子たちには“ 私に何か御用ですか? ”という普通の言い回し以外に無かった。)彼らが引っ掛かるようななんらかの理由が遇ったのだろうが,私の範囲には一度も無かった。]

(2) “ 第2章 催眠にみられる策動 ”
..ミルトンH.エリクソンが,あるとき実技をみせるために,ひとりの女性に演壇に上がるよう指示した。女性が演壇に上がったが,エリクソンはただ立っているだけで何もしない。やがて彼女はトランスに入ってしまった。その理由を訊かれたとき,エリクソンは“ 彼女は被催眠者になる人たちの前に立っている。しかもわたしが一言も喋らない。誰かが何かをしなければならなくなる。そこで彼女がトランスに入ったのだ ”と説明した。この方法は抵抗を示す被催眠者に特に効果がある。なぜなら抵抗するものが何も無いからである。..
この逆説的な指示はどんな催眠誘導にもみられるが特にそれがはっきりしている場合がある。例えば,催眠の講義中,ある青年がミルトンH.エリクソンに“ 他の人ならいざ知らず私を催眠に入れることはできないでしょう! ”と言った。エリクソン博士は青年を演壇に坐らせ“ もっとしっかり目覚めてごらん,もっとはっきり,もっとはっきり ”と言った。..

その第2章の趣旨,
催眠者と被験者との関係について.,ひと言,“ あなたは私の指示に従ってはいけません ”-すなはち,“ 抵抗 ”そのものが催眠者からの指示であり,同時にそれが否定されている場合。被-催眠者は自らの行動としてその指示を否定しながら,取り込まれてしまう?
“ 彼は泳げるのだが,水中に沈んだり潜ったりするので,ちっとも水面に上がれない ”といった問題のように,それとも“ 私はタクシー!とは呼べないから ”とタクシー運転手が言ったという話のように,自己認識自体に矛盾は無い。どちらにしても,“ 本当に支配される ”ことは不可能であろう。

.. 被催眠者は催眠者との関係付けを避けているうちに,知覚あるいは身体的なさまざまな自覚体験をしているようである。自分自身あるいは周囲の世界,時間,場所,あるいはひとの行動,などについての知覚が歪曲を受け,それが彼自身の意識の外で起こっているように思われるのである。ここではそのような歪曲の本質や程度についての説明はしない。これらの体験が生ずる対人関係について述べたが,このような試みは単に催眠の領域だけではなくて,精神障害の原因や心理療法による治療過程の説明にも意義がある。

(1) “ よむ ”努力
これも1960年代までの本。催眠研究関係の参考として“ 認知的不協和の理論 ”とともに借り出してみた(これは自助的な努力なので,もしこれからエリクソンに関して手っ取り早く概観を読みたいというひとには,なるべく最近の解説に当たるように.)が,私のいつもどおり二重-音読型では3日間で読み出せなかったので,敢えて一文字ずつに焦点を合わせないで文章全体に自動的に見回す方法に切り換えてみている(-これには自己観念的誘導投射しながら“ 読む ”のような労力にはできない. 従来のメンタル付随に拠る読書ではなく,訴えや伝達の要素無しに,むしろサブの意識で理解しようと努める。)
既に私のこれ以前からの文脈に在る内容をわざわざ他者の語で今更“ 理解 ”しなければならない?という場合も往々なのだが(私としてはここの読者にそういう苦労に変えたくないので,私-自身のできるだけ原素的な言葉で書き表した。)

ところで,私このまえミンデル著8冊分には読み損なった“ うしろ向きに馬に乗る ”も予約しておいたのだが,ちょうど2週間,音沙汰無い。直観ではたぶん明日午後..
[ これの翌日その予約分に確認してみた処,“(当館に)配送中 ”表示が出ていた。]