読書記録8: 未知の次元( The Tales of Power )/ カルロス・カスタネダ

私が買って持っていた“ 未知の次元( 力のお話など )”は文庫本サイズで,掌に渦巻きという簡単なイラストの表紙だった。いつだったか,私はその一冊をカスタネダのそのシリーズ何冊かなどと一緒に“ 体外離脱訓練日誌 ”のひとに送ったので,私の手元には無かった。もう一度その内容確認のために図書館で借りてみた時にも,その同じ文庫版だった。
今日私は雨ざあざあ降れながらも感じるものもなく県図書館に行って借り出してみた。それは見覚えの無い体裁だった。79年(翻訳)初版で,カヴァーは付いていないが,あのグィリーの“ 妖怪と精霊の事典 ”表紙を想わせる,ある時代調かの線描画タッチで(黒に際して明るい方が細く出ているので,版画かもしれない。)風に吹き飛ばされる小屋などのその瞬間という絵柄,空中頭蓋骨や,傘,ちょうど男が自転車を一所懸命に走らせている姿など(一見そこに小さく貼り合わされたみたいに。)装丁名義は横尾忠則だって。それと,後ろの発行者表示等の方に原題等が表記されてあり,なんでかカルロスの綴りが“ CarLos ”? 
偶然と言えば,その背表紙タイトル下に眼球のようなものひとつが描かれてある。私は98年“ 夢見の実践 ”というタイトルで記録を出したときに,ズームアップする目玉の動画をページ切り替えボタン代わりに自作して使いかけたのだが,画像上へのホヴァーやクリックのタイミングに因って正確に動かせるような方式が無かった。

真崎さん名義の翻訳では,カルロスとドンファンとの会話が,どれも“ ねえ、ドン・ファン ”みたいな,一見童話かなにかの台詞調だったのだが,この本ではちょっと異なる。私は予め出揃ったようなあのシリーズから“ 夢見 ”とタイトルに付いたあれだけを最初に手に取ったので( それから最後に“ 呪術師と私 ”だったか,この“ 未知の次元 ”だった。
79年というと,ピンクレディース“ UFO ”やELO円盤のあのイメージなんかよりもあとで,“ 未知との- ”というタイトリングが特別編になるくらいにそんなにメジャーだったんだ(その翌年)と不思議に思われる。今思えば不思議な合作映画が幾つか公開-放映された時期で,わたしは“ カサンドラ・クロス ”の鉄橋シーンに?なんでか萌えと言っていたが,あの目立たない,娘連れのご婦人役には無関心だった。)
私はこのような本にも最後尾から前へと読んでいくので,ああ!またあの感傷的な“ 崖からの飛び降り ”場面じゃないか!と,少々な気がしたのだが,その最後のシーン台詞にドンファンが,“ ..悲しみは自分の存在を保護してくれるものに対して憎しみを抱く者だけが抱く感情だ。”と,簡単なひと言のように付言したので良かった。私も感傷や悲しみ自体には信じない(もはや同一できない)からだ。

[ 今回私が県図書館で借りたカスタネダのそのシリーズ本どれにも(またまた,このまえのミンデル本などみたいに)鉛筆線引きの薄く消された痕が無数に。私は一旦コピー紙に写して綴じた健康食用の資料にはサイド線や色マーカーや書き込みをしたが,大抵それらは時折の参照ペーパーになるだけで,記憶に残らない(“ 分子栄養,ローカーボ ”などいいがら,最近では“ できるだけタンパク質中心に ”というだけになっている。)]

若い弟子ネストールの“ スピリットキャッチャー ”というアイディア(変な音が出る仕掛けを持っていた)という一節に,昔,母方親類の宅にあった“ 笑い袋 ”とその音が憶い出された。あの頃,そんなものを一々面白がるわたしたちに祖母は一度も“ しりません ”という言い方をしなかったのだが(さりとても,壊れたか電池切れだと言って余り積極的に遊ばなかったようだ。)“ イノセンス ”というアニメ映画の中盤に,仮想現実の悪夢が悪夢の中で繰り返されて脱出できないという罠みたいな場面が遇ったが,あの屋敷にいたサイボーグ老人のような者の“ 笑い声 ”があの音を想わせた。

今回私はカスタネダの呪術師との話に読み直して,まるで70くらいで終わるのを先に知っていたかのようだな,と不思議だった( わたしは誰々がしんだと言っては信じていない節があった。)

ところで,この本の中でも,ひとつ“ 都市伝説 ”を想わせるような変てこな話( あるメキシコシティの大通り沿いにドンファンと待ち合わせをした彼が,別の友人から急ぎ離れようとして横道に航空会社オフィス入り口に着いたときに,突然つきとばされてその屋内を転げそうにくるくる回りながら大通りに出た筈が,なんでか市場だった )-何年頃の話か私は知らないが,あの“ ヴィダル夫妻のドライヴ中に起きた瞬間移動( やはりメキシコシティという話だった? 我に帰った2人が,いつのまにか何千kmも遠く離れた所におり,その車体は焼けたようになっていた )”が,想い出されなかった。
そのCカスタネダの一節に関しては,“ 能動的想像と明晰夢( meisekiyumeminogihou )”に,日本語版から抽出された抄録がある。

なにかの文脈を理解できないといえば,すべての元だった。

( 08.2021, 未完 )