読書フログ(p1-1)/
読書フログ(p1-2): ジェイ・ヘイリー著“戦略的心理療法( Strategies of Psychotherapy )

(4)-b
..患者が( 神であると言って- )治療者に反応を否定すると,( 神が治療者に従っているという事実を- )認めなければならない。
..治療者が( “幻聴”に対するようにして- )患者の味方になると,( 患者は“幻聴”に反応しても- )治療者に味方したとなる。

--病の家族
[ ..患者の治療的変化は彼自身の生活を越えて色々な反響を興す。この種の家族では子どもが家族の平衡を支持するに役立っているということが,多くの学者に依って主張されている( ,,身代わり的な役割に依って(家族をまとめる-)必要性を満たす場合や,家族に不満の中心課題を提供する場合, )患者が“ 正常 ”な行動を採るようになると,親が病気になったり,兄弟が症状を出し始める。両親が絶えず争い,離婚の危機が生じることもある。患者が病気になると家族は共同負担で引き寄せられ,子どもの病気に焦点を当てて,互いに自身の問題に直面するのを避けられる。--病の症状を,(患者が受け入れたくないという観念に対して持つ-)防衛,と考えることもできるかもしれないが,独特な家族のシステムを永続させる方法(と見ることもできる。)..( 患者が両親に接近しようとすると )離れているように勧められ,距離を置こうとすると( 両親は自分たちが非難されたように感じて )もっと接近するようにと言う。
..両親の提案する事柄を( 両親のと同じように )子どもも認めようとしない。そのような家族では,子どもとの関係を維持できない。権威か愛情かを巡って,混乱が酷い。..両親間の葛藤が患者を悩ませるだけでなく,患者も病的な行動をとって両親間に葛藤を惹き起こす(,誰が誰のコントロールするか。)..患者の母親は( 患者が自身で何かしたがると, )母親への批判と取って妨げる傾向が強い。子どもが自身で何かしようとすると,母がするべきなのに,という反応。あらゆる反応が2人の関係をコントロールする試み-。
そこで--病者が取る解決方法は,(すべての反応を)両親との関係ではなく,両親との如何なる関係も示すものではない,
..親は子どもが反応しないと不幸に感じ,子どもが直接反応しようとすると困惑し(それが自分たちに対する反応であるのを)否定するよう仕向ける。
( -もっと自己主張するように,だが批判してはならない.-ある関係に相応しい反応をするように,しかし両親に対して(家族内に)どんな関係を持つかを示してはならない,など.( そのような家族状況で誘発される,行動のパターン. ))
..治療者は患者の両親に対する否定を奨励してそれを自身が引き継ぐか(あるいはその否定に感情的に反応して,自身に対するものとして)その有効性を失わせてしまう。たとえば( “あなたはどうしてそのような態度でわたしに接するのか”-などと, )その行動を患者の治療者に対する反応と定義づける。

..( 対抗転移感情は治療者が患者について持った誤った知覚である,とみることができるが, )このような現象がみられる対人関係の背景は重要である。( 治療の観察者が対抗転移感情を指摘するのは )治療者が2人の関係にコントロールを失って(患者に拠って)ある種の行動を取らされている時であろう。主観的には,治療者が色々なイメージを患者に投影するのであろうが,行動面からみれば,患者の本当の親のような行動を取っている。

(4)-c ( 第4章/第7章 家族内葛藤とその解決 )
..( 個人の観点も家族からの観点も真実であるという考え方の人は )家族関係に無意識的な力を認めるか,個人内の家族関係というような概念を用いるかもしれない。..“ 個人 ”について記述する際(その中に人との関係が含まれると)その記述はまったく違ったものになる。もし過去に行われた個人についての記述を用いたとすると,その場合には家族の背景は無視されなければならない。( 記述がひとりの人物から-その人物が動いている背景に移されると)その人物の行為とその行為の理由や方法も変化しなければならない。..個人は家庭内にある時とそのほかの状況とでは違っているのでは., )
個人の病的状態を記述の出発点とするひとは,もっと大きな背景を含むようにしなければならない。

(4)-d
..権力の争いが絶えない家庭で子どもが育てられる場合,彼の一挙手一投足は他の家族に重要な意味を持つようになる。誰が誰を支配するかという,上位制御レヴェルの反応とされる。(子どもがただ散歩していても,)独立心の表現として,両親に対してどのような関係を持とうとしているか,家庭に対する批判,間接的な意見として受け取られる。
子どもの行動にこのような意義が与えられるので,彼はこの問題家庭に於いて(他の子どもには得られないような)力を得るようになる。-苦しみの状態にあることが特に彼に力を与える。だから,患者が一見万能感の表情をしているのも,現実的な基礎がある。通常,両親を分離させ,互いに敵対させる力である。両親が互いに上位制御のレヴェルで争えば争う程,子どもの症状行動が永続させる。

..もし治療者がこの子どもに両親との関係を変化させ,両親に言われた行動を取るように影響することに成功すると,それは家族全体に大きな反響を起こす。子どもが“ 何でも命じてください,その通りやります ”と言ったとすると,彼は関係を受け入れているだけではなく,あるべき関係について支配している。(妻が夫に支配せよと“命じる”時と同じように-)夫が妻を支配してもそれは妻の要求に拠るので彼が支配されている。..子どもは再び反抗的な子どもに戻るように奨励される。..家族が新しい行動を自分たち自身で惹き起こしているとしなければ,このシステムに変化は生じない。治療者は(家族のひとりに生じた行動の変化は“全く自発的に”惹き起こされたものである,と)強調しなければならない。

[ その“ 支配的なシステム ”も,それ自体の論理であろう。個人としての私は(そのような論理には対抗しないで)更に無為にすればいいと思った。
“ 私がやられたくないこと ”という嫌がらせ自体の存在性に依る,間違いもあった( 無論,偶像や“メンタルピープル”は私自身の転写であった. )多分も無く,そのとき私としては単純に“(私にとっての)この読了されていない本 ”と言うだけで良かったのだろう。]

..( 話すことを拒む子どもは )お喋りの親よりも家族内の会話で重要なウェイトを占めている。通常このような子どもが黙っているのは言葉の面だけであって,ある方向に会話が進んでいくと子どもは落ち着き無く体を動かし,それに拠って家族全体の注意を惹きつける。( 関心が彼以外の者に移されるような変化が家族の対人関係に生じかけると, )子どもは病的に多弁になったり,行動化しようとする。このような子どもは人に矛盾した反応を取らせることができる。彼にかわいそうに思って味方になろうとすると,彼の反対に遇うので反対側の立場に立ってしまう。
..治療者が専門家として指示する責任を免れようとするのと同様に,問題家族の両親は子どもたちに指示を与えるのを免れようとする。家族もまた苦業を強いるときそれが思いやりの保護的な目的を持ったものであると定義する。( 問題家族の母は,しばしば父も, )子どもの自己理解,特に欠点を自覚することを奨励する。ある行動を奨励するに拠って抵抗を取ろうとするやり方も,通常よく家族が用いる。ある--病の子どもが勇気を奮って母を批判したとき,母は言った。“ もっと言いなさい,わたしを批判して御覧なさい。それがお前に役立つなら,どんなに傷つけられてもよろこんでそれを受けましょう。”

(5) “ エピローグ 精神分析の技術 ”(より
..たとえば,患者の言ったことを治療者がただ繰り返すだけのロジャーズ派の戦術体系がある。これは必然的に勝ち得る体系である。自分の言ったことをただ繰り返すだけの相手に対しては誰もこれを挫いたりできない。
患者が治療者に“ あなたは駄目だ ”と責めても,“ あなたはわたしが駄目だと思っているのですね。”
“ その通り,あなたはまったく駄目だ,なんの価値も無い。”
このような戦術はオーソドックスな黙りよりも患者の勝利感を除き,後になって,馬鹿にされた(下位に置かれた)と感じさせる。オーソドックスな分析家は(ロジャーズ派の戦術を)効果的でないばかりでなく,尊敬できないものだとみている。ロジャース派のやり方は患者に公平なチャンスを与えないからである。
..
..場面構成は--患者をいらいらさせるようで,治療者がオーソドックスな戦術をやろうとすると,患者は診察室を壊しかねない(感情転移をつくることができない。)
最近,ある勇敢な治療者が,2人で治療すれば--病患者の優位に立てると発見した。“ 下位に置くには2人が要る ”治療,または“ 複数治療 ”と呼ばれている。たとえば( --病患者が脅迫的にしゃべり続け, )治療者に耳を傾けようとしない場合,治療者2人が室に入ってきて互いに話を始める。( --病患者は好奇心を抑えられなくて )喋りをやめて耳を澄まし,下位に置かれる。

..患者は(治療者が大変すばらしく)従ってすぐに回復できるであろう,とお世辞を言う。
患者は下位に置かれると気づく,次第に侮辱的な態度-,分析やめる-,治療者は本当に健全か-,“ 人間的な反応を引き出そう ”- しかし(分析家は沈黙していたりで,)患者は無感動の壁にぶつかる。患者は抵抗戦術に失敗して,分析家に返してしまう。そして再び,彼に頼り,彼のあらゆる言葉に依存し,自身が如何に無力で,分析家が力強いか( -ときを待つ. )
問題の解決を頼ってはならない,本当に治すのは患者自身である- 分析家は言いながら。患者は怒って再び反抗的な戦術に切り換える。( このころまでに患者は分析から学んでおり, )回復に向かっている。患者は既に得た洞察を使って何とかして分析家が下位にある関係を定義付けようとする( これが分析の最も困難な時期である。)
分析家は注意深い診断(弱点を列挙する)に依る周到な準備と,患者自身に疑問を感じさせるに依って,年余に亘って何度も患者を挫くのである。
..患者は余り優位に立ちたいとは思わなくなり,治療者が下位に置いても余り意に介さなくなる。彼は2人の関係をコントロールしているのは分析家なのか自身なのかを本当に問題にしなくなる。-彼は治った。
( 患者が終結を申し出ようとする- )分析家は直前に終結を告げる。分析家は申し込み名簿をみながら次の患者を招く- ,この患者も定義に依って優位に立とうともがき,下位に置かれると困る人物である。

( おしまい )