KOUSHIROU_A4 ( 編集-未整理 )

2012年4月18日 - “影法師”

[ある暗がりの中の列車の中にみたような様子だった。貨車等の中、列車のそれら側面の側からひとつずつ先頭方向へと左側に連続しているのをみていったら、先頭の運転室があったといった形。後の部屋の中のいくつもの人影はほとんど動かずしんとしていたが何か芸能人のような者たちを思わせた。色彩などまったくなく本当に暗い中に人々が座っていてその輪郭だけがみえるというような印象。それらの室内どれも暗がりだった。運転室の運転手と思われる姿があったが、それもまた暗がりの中にあるかのようで、それらの輪郭だけがかろうじてみえた。何も走っているわけでなく、外見や景色などもなかった。]
 その運転手の姿がその室内の反対側の窓に映っていた。運転手がその首だけをそちらに振り向いてみたように、その鏡像も遅れて手前に向いた。運転手がそちらを見ようとしたかのようにまたそちらへと首を回転したら、その鏡像は進行する方向に向いていた。運転手の首が進行する方向に向いたら、鏡像のそれはまた手前に向いた。それが5回ほど繰り返された。
 後ろに続く列車内。その人影などの間に、『運転手はいつそれの正体を知るのか』、という質問的なサインがあった。(紙に縦に書かれた文字みたいな印象。)

[映画"THE MOTHMAN PROPHECIES"にはリチャード・ギアの鏡に映った姿のそのような場面があったが、私がみた“運転手”のそれはもっと不気味だった。(そういえば、近年たくさん作られたホームビデオ風の“合成恐怖映像”にも類似のものがあった。)
 これまでの私の見解から、当然、“憑依”のようだとそれらに私は思った。それらはある“分裂”を表している。なぜなら、象徴とみても、列車の運転手は本来ひとりで、別の動きをする影などはどこにもないはずだからだ。
 無論、このような夢をみる前にも私が注意していたのは完全にひとつでなることだった。アクメというのは自由の極致であろう、と。]

2012年4月19日 - デヴィ、デヴィ!

(ある特徴のない屋外通路のようなところ)、まばらな人通りの中を歩いていたら、突然、私の背後から何か野次るような声があった。私は今度こそ追及してやろうと思った、振り向いてそこにいた者たちをみた。その5人ほどの中に、学生服姿の太った女子のような者がひとりいた。だが、彼らはその通路右手の出入口の手前で黙っていた。
[私はいつの間にか左手に持った伸縮型の警棒のような物を、遂に伸ばした。平たい箱のような物から一段ずつ小さめの入れ子等がいくつか出るようになっていた。それはカセット式で、私は右手によってそれらをスライドしてまっすぐに保とうとしたのだが、造りが弱いのか、どうしてもそれは途中でぐらついた。]
 私は駐車場の外側に近い縁のようなところにいた。その角を通り過ぎようとした私は、私の右手から、一部に薄紅色がかったある陶製の椀をひとつそこに置いた。
[女の子のご飯用食器。私は後でそれを妹か母の日常用のものだと思った。そこには何も場所的サインもなかったが、どうしてかある自動車販売所の外側の歩道際の部分を思わせた。]

いくつかの屋台があるだけの街路。その角に、沖縄か地方人たちの民族衣裳風の踊りの一組があった。私にはまだ消えない緊迫感のようなものがあった。

 何もない四角く区切られた壁だけの小さな室内に、少女のようなものがひとりでいた。それはうずくまっていたか横たわったように低めた体勢だったが、まっすぐ私に眼を向けていた。(ショートヘアの、白人種っぽい外見。一見すると人の悪くなさそうな顔なのだが)、いきなり私に向かって、「おまえには社会保障もないのか!」などとそれは声に発した。「いいや、私は社会保障をしている!」と私は言い返して、私の裸足の底でその女の子のような顔面を押さえつけるようにしながら、(私の片足の底にそれの前歯が当たるので私は気持ち悪かった)、「デヴィ、デヴィ、デヴィ、デヴィ、デヴィ!」と声に出してその名前のような音を繰り返した。

[その最後の部分で、"Devil!"と言ったのだと私は思った。これらも私自身の行為とは思えず、なにか憑依したようだ。しかし、最後に“デヴィ”と言ったところでは、むしろ幼稚園児の頃を思わせる。その“少女”のいた小さなスペース。完全な平面にされなかった壁みたいな印象には、材質的な特徴ともみえなかったが、そのようなものがあらかじめそこにあったかのように私の中にあったとは不思議だ。“少女”の顔にも見覚えはなかった。
 英語辞典によると、"devil"には元々“悪口を言う人”の語意があるそうで、“肉などに辛子や胡椒を沢山付けて調理する”を言うこともあったようだ。
 これらの夢どの部分においても全体にはっきりとした明かりもなかったが、それらは暗くもなかったという点で、それらの場合等は一続きのものだと思われる。たぶんそれらの間に連続性はあったのだが、私には思い出せなかった。]

2012年4月29日 - 公園で

屋外の市民公園スペースのような所に私はいた。私の目の前に自転車かオートバイクのようなものの前部が持ち上がってみえる。その感覚。ある瞬間、全体で持ち上がったかのように私は地面から放れて、私は浮いた。私の左にはH氏が普通にひとり立って私をみていた。
[目が覚めた直後、私には何なのかすぐにわかった。“ もの ”が勃起している最中だったからだ。その感覚がそのまま“ 自転車 ”前部の浮上する様になっていたものと思われる。しかも地面から浮揚したときの私が印象は“ 体外離脱 ”のときのそれのようだった。その光景のあいだ、私の部分は夢だと気付いていたと思う。だが、そのとき“ 夢 ”だと思っていた部分が私から切り離されていたといった感じで、私だもそこで“ その状況に対して意図する ”という言い方にはならなかった。私の“ せんとう ”でなく、もの自体だったからで、私には“ 重力 ”という言い方がない。

H氏。私が階段の途中でオルガンのようなものに触れた以前の夢で、その階段を下りてきたイメージの元の人で、私にとって嫌味のない印象だった。
公園スペースの光景が、私にとっていつも自転的の心象だったのだろう。]

2012年5月8日 - 消えた身体

体として眠っていたが、私の意識はあると私は思ったので、(洪水のように迫ってくる)、私はひとりで仮眠中の室内に「起き上がろう」とした。身体的に起き上がるような感覚によって私は以前の慣習のように“ 体外-浮上 ”してみようとした。が、同時に、あるはずもない“ 身体 ”に頼るのも馬鹿馬鹿しい気がした。そこでは“ 視界 ”は起こらなかった。私は外側の路上に向かって抜けようと思ったが、それ以上何も感覚にならなかった。
二度目に試したとき、私は“ 身体 ”の形にこだわる必要はないと思って、手足もない“ 雲 ”のように移動しようとした。路地にいる男の子たちのひとりの声が聞こえていた。私はこの意識によってその男の子にとり憑いてみようとした。すると、「やばい!」と言った男の子の声が聞こえた。


(ちょうど“たての街”という雑居ビルディング表側路上の様子を思わせた。)
 私はその路にいて、私の手に横長に紅茶入りパック等みたいな物3つを持っていた。その紅茶のラベル表示等が3つの丸いシール等として並んだようなパックだった。私はその中身を開かないように両手でその袋の口を巻きながら歩きだしたところだった。隣の建物の2階のステーキ屋から誰かが私をみるかもしれないと思ったので、私は歩きながら右に眼を向けた。すると、細長い窓の向こうにみえたいくつかの頭等の中のひとつが首を向いて、普通に私に気がついた女性がみたように私をみた。(白っぽい服か、ただ白っぽいという印象。)

[長い間ずっとこの身体的に“もの”がみられていたのだと私は気づいた。それにが身体的ある投-映とでも言うべきものだ。私がある魅惑的な身体として“そこ”にみていたようなものは、私にはすべて自身だったのだ。その何なのかを私は見ていなかった。“あの体がいい”といったような言い方は、単にヴァリエーションというだけで、どれも無意味だった。身体感覚またはその希望がこの身にとって強力であればあるほど、それらは作為であることを忘れて外部の“もの”として誘惑したのだろう。また、そうであったからこそ魅力的に映ったのであって、実際にベッドの上でうまく事が運ぶかどうかはこのことに関係なかった。]

2012年5月15日 -

エクササイズ
をはなれて、おなかのそこで無言にすると、背筋のあたりが少しじーんとしてきた。おなかがぷっくりする。

2012年5月16日 -

エクササイズ
“精神”といった支配が終る。“ニンゲン”に堤割れていたエネルギーを本体にまわす。何も尋ねない。

2012年5月23日 - 弔いの詞

髪の長い非常に大きな体格の男がひとりいた。彼が亡くなった後、洞穴のようなところに向かってある弔辞が読み上げられた。そこでは“彼のものをここにともにおさめたまえ”というような言葉があった。[それらひとつひとつの言葉がとても慣れたきれいな印象だったので、私は後でそれらをメモしておきたかったのだが、私は夢でのその印象のままに再現することができなかった。]
 塀か手すりのようなものの上部だけが赤い煉瓦等で縁の出たように造られたような部分。その赤煉瓦等の平面の一部が四角い蓋のように片手で持ち上げられたところに、隙間があった。そこに、ふたつのまったく同じような小さな白い缶等のような物(“彼”の遺灰が入っていたのだろう)が置かれた。
[それらは小さなコーンビーフ缶ほどの物で、もっと丸い輪郭の縁だった。私が後で連想したのは別の昔の夢だった。“ある屋内通路のようなところで、私は中年婦人からいきなり渡された2つの白い遺骨用容器みたいな物を持った”。それらは円筒縦長のホウロウがかった容器みたいな外観だったと思うが、いまはっきりと想い出せない。なぜそれらが2つ並んだそっくりの物だったのか?という不思議であった。
 今回の夢に表れたそれらは完全な円筒ではなく、ほとんど高さのない楕円の縁の缶みたいな物だったが、それら自体は白くペイントされたかのようだったというだけで、他に特徴もしるしもなかった。]

2012年5月24日 -

エクササイズ
両肩の荷を下ろして自身への抵抗をやめる。

2012年5月25日 - マック・デイ

ある屋内ホールでパソコン関連のものについて何か発表展示されていた会場のようなところ。アップルやマイクロソフトといったようなもの。(客席等の者たち)、しかし私はそこで声に出した。「ここにはマックもウィンドウズもない。スティーヴ・ジョブスは嘘つきだ。これは夢なんだ」と私は言った。
 そばにマイケル・ムーアが独りでいた。私について、“彼はその後、このように倒れた”と、彼はその体をまっすぐに折れたかのように、ひとつの岩のような物に倒れかかった体勢を演じてみせた。私はこちらの頭の上に私の両手を小さく彼に拍手してみせた。
[私には会場の彼ら自身という印象ではなかったが、(夢だと思ったので私は“これは夢だ”と言葉にした。発言した言葉自体は私としては間違っていない)、私彼らという嘘を私自体のものだと還元できていなかったわけだ。そう思えば、“自分”のないひとりきりの夢が一番だということになる。その意味では、後の“マイケル・ムーア”の方がひとりに近かった。]

2012年5月26日 -

“すべては私自身なのだ”という自覚をもってみれば、「みる」ことができる。また呼吸がはじまる。私はチャッカーをしないということだ。

2012年5月31日 - きれいな水

“黒川”のような川がひとつあった。その手前の道路上をそれらに近づいていくと、子どもたちや若い人たちが水泳姿などのようにそこへ下りて入っていった。(そんなドブ川のようなところに彼らが体を浸けるなんて)と私は思った。澄んだ水がその舗装道路の左側の一部に流れて(洪水のように、どこからか)川に注いでいたようだった。「水浴のためにわざわざ大量の水を注ぐとは、市もお金のかかることをするものだ」と私は思った。

風呂場の室内のようなところに浴槽がひとつあった。その中に女がひとり。もう少し若めの女が浴槽の外の右側にいた。浴槽の縁にあったいくつかの半透明の玉々みたいなもの。[各々5~6cmほど。その表面は不透明というよりは温かさのせいで曇ったようにみえた]。それらひとつひとつに少し弾力があったのか、私はそのひとつひとつを確かめるように押さえては、あたかもそれらの真ん中を刃物で2つにするときのように、それらをひとつずつ割ってみた。どれも薄皮のように簡単に割れた。それらの中身はどれもきれいな水のようだった。
[直後に、それらの玉玉が“混じりと純水”との完全に分離されたものだ、というように私はみた。(その場では私は考えなかったが)、私は“女たち2人”に何も触手のようではなかった。そこにはなにも“混入物”はなかったということだ。]

2012年6月21日 - 私の家

私は普通に家の近くに歩いていた。路地の形などは普段のままだった。が、近所の家々の間に、いくつも見慣れないパチンコパーラーや性的商売の店みたいな照明等の付いた建物がひとつずつ、2~3軒おきにみえた。 

[前日“すずらん通り”で民家等の間に偶然一軒ずつ小さな店鋪をみたことがこのような夢のイメージになった部分だろう。しかし、それらと言えば、“あら、こんな所にお店があるんだ”というミニチュア的呟きだった。]

暗い室内。そこに何人かの老人か婦人たちが住んでいるといったような姿があった。(どれも西洋風の外観だった)。間近にある女の顔があった。その女の両目は黒く開かれていて、まっすぐに私をみていた。(その頭になにか黒い衣みたいなものがあった)。私はちょうどその女をその腰のところで抱きかかえたかのように私の身体と運んでいた。その間、彼女の下腹辺りにドクドクと脈打っていた。

私は前の夢について部分的に“夢”だと気付いていたが、ここで私はまたその夢についてできるだけ詳細に書き記そうと試みていた。私が直前の記憶等を一々辿ったつもりで、見慣れない綴りをいくつか書いた。うん、滅多にない夢記録だぞ。だが、それらの青いアルファベット文字等は、なにか平面上に塗料によって細く引かれた曲線等のように乾いた厚みの筆跡としてみえた。そばで誰かが見ていた。

[久しぶりに純心な夢らしい夢をみれたという言い方では、寝る直前に“ここは私の家だ。”と唱えたことが効果的だったか。純粋な夢見のためには“関連事項等々”は必要でない。
 たとえばイエス・キリスト伝説には“これは私の血・私の肉です”という言葉があったが、“彼の弟子たち”という表現同様に“すべては私自身の血肉”であったというようにも解釈できるし、“彼の出血”場面等があったように“彼の吐血”問題だったかも判らない。すべては出血だった。
 私にとって重要だったのは“彼のもの”ではなかった。]

2012年6月26日 -

了解とエクササイズ
(彼は“自分”以上のものを「私」として請けることはできなかった。) 
[たとえ神であっても私をねじ曲げることはできない。ここに“敵”はいない。]

2012年6月27日 -

理論的見当を要する
 ある眠りの状態がそのままある“夢”に圧縮されたように表れている。
 夢に移行するまでの“への”睡眠中の状態がその夢となる。
“圧縮”というたとえは、私が有栖さんの掲示板に書いたことがあったように、“かなりばり=死後の世界へ”だというようなアナログに過ぎない。これらのことについては、これまでの記録をきちんと参照できることが必要だが。同時にその夢の直前までの眠りの状態も記されていればいい。

2012年7月2日 -

夢が復活していない。起き抜けにいくつかの“メッセージ”みたいなものが浮かんでは消えた。消えたのは私が一々疑問をもったからだ。
 体の“動かなかった”部分を敢えて緊張させることができるように、意としてここに夢をおくことができるかもしれない。

2012年7月3日 - 私をご存知ですか?

・その就寝前はどのようだったか(睡眠の前に私がしたこと)。
雨が降っているので、私は“彼女は五月雨(さみだれ)の音を聞くと興奮する”という小説“彼女”の次の書き出しを連想していた。
一回この体を伸ばすように緊張してみた。決して“発射”にはしなかった。この身体の背中と胸に細かい震動のようなものがあったので、これらと勃起したものとを同時に意識してみようとした。すると、その震えが私の意識のそこに表れてきたかのようにあったので、私が昔よく目蓋を閉じたあとにそうしてみていたように、私は一点にその揺れをみようとした。(それはほんのわずかだった。今回、私は最初にあらかじめ“それを夢だと思いながら見る”ことには成功しなかった。)

・睡眠前にみえたもの
面白いことに、私の頭を休んで寝床にいたとき、静かな部屋の中で目蓋などを閉じていたのに一瞬の灯りでも感じたかのように中に“ 光 ”があった。直後にもう一回あった。

(1) 私は雑然としたネットカフェのようなところにいた。何か物品類がごちゃごちゃと置いてあるようなところに受付の女がひとりいたが、どうも冷淡な様子で、私は話しかけたくなかった。
 私はその辺の棚に乱雑に置かれてあった機材などの中にフロッピーディスクドライブやデータカード用アダプター等があるかどうかを見ようとした。青い外観の小さな“プリンター”がひとつあった。その裏側の通路へと回ってみたら、いくつかの男性客などのような姿がそれぞれに歩きまわったりしていた。室内に、老婆がひとり机に向かっていたような姿があった。
[それらの様子は私にはまったく見覚えなかった。私の知っていたところではなかった。]
 その通路にもいくつかの人影のような姿があった。私は大型エレベーターのひとつに乗ろうと近づいた。(その何かのモールに接したような空間)。ちょうど開いたエレベーター出入口に警備員姿の男ひとりだけが立っていた。私はそれに乗らずにその隣のエレベーターに乗ろうと思った。

(2) 普通に(見覚えのない)住宅地の町の中を歩いていた。だが、歩けば歩くほど中国大陸の奥地の方向に向かっていた。緑色に照った野山の光景。私は“岸辺(日本)へと引き返さなければならない”と言った。

(3) 私は街に偶然通りかかったように、ある女をそこに止めるようにして訊ねた。
「私をご存知ですか?」
[私はその直後のやりとりがあったのかどうか想い出せない。無言に近かったのだろう。どこかで“唐辛子を撒いた”と言った記憶もあるのだが、この夢の場面で“その女”に言ったのか、それとも他で説明するために言ったのかは憶い出せない。無論、“その女”も“あの女”も私の“魂(云-鬼)”であったことには違いない。私の本は無礼だったのだ。ほとんどの人たちが“いい人”と言われないので、その人たちは黙って私を避ける。]
 私は“私が彼女の後を付いて行くのを彼女は嫌がるだろう”ことは承知していたが、確かめたかった。

 ある瞬間、「夢だ」と私は気づいていて、私は通常の歩きをやめて飛ぼうとした。私は普通に飛び上がると思ったのだが、どうしてか身体は楽に上昇しなかった、垂直上昇しかけたがすぐに止まってしまった。それで私は両手を空中に上下するようにしてみた。
[空中には両手に触れるものが空気以外にないのだから、身体として空中にあれば私は漕ぐように動くしかないという思いつきは自然だ。その時点では私が理論的に考えたわけではなく、偶然に“きっかけ”と言ったわけだが。私が夢をそれ自体として見続けるために、ある程度のマテリアルな印象によらなければならなかった。この夢では私はあたかも小鳥か映画の安倍晴明のように空中を飛んであちらこちらに取り付くように移動した]。
すると移動することができた。(西洋風邸宅の屋内みたいな)2階の吹き抜け内部に白いデッキの付いたところだった。半分黒人みたいな顔とヘアー等の赤ん坊たち6児ほどがいた。が、彼らの母親は放置したようにその場を離れてしまっていた。外にいた“女”はドロンジョ(アニメ・タイムボカンのドボンジョ)のその後だった。

[今日は雨が降っていて割と過ごしやすい気温なので、就寝も辛くなく、夢をみるのにいい条件だったのだろう。また、私自身、緊急に片づけなければならない用事といった件を常に持ち続けるのは心身に良くないとわかっている。就寝前には何も私を気にしないでただ眠りたかったので“夢見の時間”にできなかった。
 しかし、ここ何日も“明晰夢”と私は言い続けていた。また、“明晰夢”という文字だけが無数にコピーされたような明晰夢用“印象冊子”を製作してみたら売れるかもしれないと思ったりしていた(以前の私の自覚夢に表れた小説冊子みたいなもののように、文字等の潰れた滲んだような部分を読むことができない。就寝前に必ずそれらをみると、それらがある印象を発生させるわけである)。
 ここでは私は“実験家”ではなく“観察者”だった。どの時点で“夢”だと気づいたのか、いま私には場面的な絵として浮かばない。たぶん“夢だ”と気づいたので、そこで“両足で歩き回る”のが面倒ですぐに飛んでみようとしたのだが、どうしてか未だに制限があるようだ。私がいつもそれらの状況全体に把握しているわけではない。“女”や“テラス”や“赤ん坊たち”などに、私が私の何なのか理解しているわけではない。
 この夢の場合では、これ以前の“明晰夢”に比べてもかなり長い時間に渡って「まだ夢だ」と私はその場で認識していた。が、私が“この夢を全部記憶しておけない”と思った途端に、突然夢は途切れた。私は何の移行もなく寝床にいた。]